もしその能力が夢花に備わっていたとしたら、夢花は私との思い出も忘れられないということだ。
それはとても辛いことだろうから……、どうか彼女には真っ新な状態で生まれ変わってほしいと思ってしまう。
 だから私は夢花に、私のことを忘れないでほしいとは、言えない。
 忘れないでほしい、という気持ちが未練なのだとしたら、夢花には超記憶能力は備わっていないだろう。
「じゃあ……、赤沢君のことを、すごく大事に思ってた人がいたんだね」
 長考の末にそう伝えると、赤沢君は興味なさげに瞳を細めた。
「昔すぎて誰だか見当もつかないな。文句のひとつでも言ってやりたいよ」
「でも、赤沢君がいなくなったことを心の底から悲しんでくれたはずだよ」
「……まあ、物は言いようだね」
 ふっと、力を緩めたように笑う赤沢君。
 どんな気持ちを未練と呼ぶのか分からないけれど、遠い過去、彼を思っていた人が今の赤沢君を作っているのだ。そう想像すると……とても不思議な気分になってくる。
 彼と同じように、夢花も世界のどこかで生まれ変わっている。それが、唯一の希望に感じた。
 私は顔を上げて、再び青い海を見つめる。
「……今日、来れてよかった。ありがと」
 水平線を眺めながらひとりごとのように御礼を伝えると、赤沢君は「いーえ」と低い声で返事をする。
「赤沢君に何か還元できたかどうか、分かんないけど」
 苦情を漏らすと、彼は隣でラムネを飲み干してから、スッと私の顔を覗き込んできた。
 彼の真っ黒な瞳に突然見つめられ、一瞬時が止まる。
 秋の風が彼の長い前髪を横に攫っていく。
「俺も来れてよかった。理由はないけど、そう思う」
「え……」
 半月型の瞳に、吸い込まれそうになる。
 長い長い彼の人生の中で、今日という日はいったいどんな一日だっただろう。
 彼にとっても、印象深い一日になってくれたなら嬉しいと、なぜか心からそう思った。
「ゴール目指すか」
「う、うん。そうしよう」
 何も上手い言葉が返せないまま、私は再び自転車に跨って、出発前に残っているラムネを飲み干した。
 ……ラムネの冷たさが手の平から伝わる。風は少し強くて、汗が体を冷やしていく。運動不足のせいで、太ももが既に少し重たい。目に染みるほど鮮やかな青い海が、穏やかな波音を絶え間なく生み出している。