「……母が病気になってから、うちのみんなは笑わなくなっちゃったわ。貧しくてもいつも笑いが絶えない家族だったのに、今は、顔を合わせても口もきかないわ。やっぱり、ママが笑っていなくちゃ、みんなも笑顔になれないのよ。それにね」

 少年の言葉があんまり優しいから、私はぽつりぽつりと、ずっと内緒にしてしまってきた心の中の言葉を吐き出す。

「弟や妹には、まだまだ母親が必要だわ。私はたくさん、ママとの思い出を持っているけど、ちびたちはこれから母との思い出を作っていくところだもの。私は、姉としてできることをしにきたの」
「君は、優しいんだね。それにやっぱり、家族のことが大好きだ」
 小さく言われた言葉に、ついに堪え切れなくなってぽたぽたと涙が落ちた。

「ママ、苦しくても、笑うの。私たちに心配させたくないから……私、そんな無理した笑顔なんて見たくない。ママには心から笑ってほしい。ママが……死んじゃうなんて、嫌」

 病気がわかってから、どんどん痩せていくママ。村の先生に見せても、手に負えないって言われて、もっと大きな町の医者に見せた方がいいって言われたけど、そんなお金はうちにはなくて。

 みんなが、泣きたいのを我慢している。パパや兄様があまり話さなくなったのも、姉さまの小言が増えたのも、みんなみんな、涙をこらえるためなんだって、本当は知っている。

 そんなときに、友達が教えてくれた。私たちが迷いの森と呼んでいる森の向こうの山には悪魔が住んでいて、心の臓と引き換えにどんな願いでも聞いてくれるって。

 そんなお伽噺なんて、正直、信じたわけじゃない。けれど、万が一……万が一、本当だったら。もう、そんな微かな望みしか、すがるものがなかったの。
 それに、もし悪魔に会えなかったとしても、このまま私がいなくなってうちの食いぶちが減れば、少しでも生活は楽になる。パパと兄さまは一生懸命に働いてくれているけれど、病気のママと小さい子供たちを養うのはとても大変だもの。

 なにより。

「怖かったの……」
「うん」
「どんどん痩せてくママが……時々辛そうに顔をしかめているのを見ていると……ぎゅ、って私の胸の中を何かに掴まれているみたいに息ができないくらい苦しくて……もう、家にいられなかったの……」
「うん」
 少年の声は優しく、私の涙は止まらなかった。

「だから、悪魔にお願いして、ママを、元気なころのママに戻してもらうの。そのために、私……」
「ねえ」
 ごしごしと乱暴に涙をぬぐう私に、少年の低い声が聞こえた。
「もし僕が、悪魔だったらどうする?」
「え?」

 顔をあげると、少年はあいかわらず微笑んだままだった。でも、どこかさっきまでの笑顔とは違う。じ、と青い瞳で私を見つめながら、少年は続けた。

「もし僕が君の願いを叶えてあげたら、君は僕に何をくれる?」
 雰囲気の変わった少年に戸惑うけど、そう聞かれたら私の答えは決まっている。

「私は、私しか持っていない。だから、私をあげる。頭のてっぺんから足の先まで、全部あげる」
 そのために、一張羅の服を着てきたんですもの。せっかく悪魔に会えても、あまりみすぼらし格好をしてたら、心の臓だっていらないって言われるかもしれない。だから、少しでも見栄えがいいほうがいいと思って。
 ここへ来るまでに、すっかり汚れちゃったけど、でも、これが私にできる精一杯だった。
 私はあわてて乱れた髪を整えた。

「最高の贈り物だね」
「やっぱりあなたは悪魔なの?」
「違うけれど……君のために、悪魔になってみるのもいいかな」
「……そんなこと、出来るの?」
 すい、と少年の目が笑んだ形に細められる。

「そうだね。できるかもね」
「どうして……」
「君が、気に入ったから」

 そう言った少年の後ろで、ぽう、とろうそくの火が灯った。いつの間にか夜が始まっていた庭に、順々にろうそくの光が増えていく。 

 誰がつけているの? 誰も、いないのに。