後日、宿の皆々に寒菊さんが家督を継いだと伝えた。その皆々というのに、寒菊さんの両親もいる。

 両親は、犬の月と狐のきつが二人、寒菊さんのいない中探し回り、見つけたのだという。

尤も、月ときつはあの二人が寒菊さんの両親だとはわからなかったというが。一助さんがその正体に気づいたのだという。

 母親は自我を失って姿を消したという話だったが、月ときつが見つけたときにはおおよそ落ち着きを取り戻していたらしい。父親が静めたのだろう。

 藍一郎さんは少し前に藍さんと共に出ていった。私は最後に会ったときにも、下らない口喧嘩をした。

 「藍、この愚かな女に思い知らせやろう」といいだしたので、「今回は刃の向きを間違えてはならないな」といってやったら大人しくなった。

 「貴様、菊臣になにかすれば容赦しないからな」というのが、私が最後に聞いた藍一郎さんの声だ。尤も、あの暴君のことだから、いつまた暴れにくるかわからないが。

 藍さんがいなくなり寺の刀が紅蘭紫菊の一刀になってしまったので、父の刀を寺に置いてもらえることになった。寒菊さんが念じ、一助さんが厄を落としてくれた。

 あの日真剣になった私の模造刀は、また私にふさわしい姿に戻った。ただ時折、父のあたたかい声が鮮明に思い出されることがある。

 玄関を出て廻廊の下へ下りると、ふと思い出され、「寒菊さん、」と呼びかけた。「寒菊でいいのですよ」と彼はいう。「ここは岸尾家なのですから」

 「……部屋にある花なのですが、青い菊とは随分珍しいですね」

 「藍一郎さんの残していったものですよ」

 「藍一郎さん、」

 「ええ。お前は俺から全てを奪った、といって」

 私はなんとなく嬉しくなった。では青い菊の花言葉は『祝福』だ。奪い合った末、勝ち取った者には菊花の祝福があるのだとあの男はぬかしていた。

私はあの男からこの家を勝ち取った。寒菊さんも平和な日常を手に入れた。劣と劣の醜い奪い合いに、私は勝ったのだ。

 「藍一郎さんは、もう戻ってはこないのでしょうか」

 「どうでしょうねえ」と寒菊さんは穏やかにいう。

 戻ってくるのならそれがいい。私はあれの前で、あの青い菊を愛でてやろう。奪い返してやるという彼奴の闘志に火を点けながら、菊の花弁を散らした盃を傾けよう。藍染めの着物でも着て見せてもいい。

 この菊の園は私のものなのだ。荒れ狂った悪霊と違わない男の居場所のなんぞここにはない。菊花は私を祝福した。

 彼奴は精々、旦那さまの望みを叶えればいい。本来の日暮家を繁栄させればいい。私とは違うのだから、あんなふうに醜く他者から奪わずに、家の名を残せばいい。

 ふとどうにも淋しくなって、私は寒菊さんの腕に寄った。優しい腕が肩を抱いてくれる。

 「幾年か前、藍一郎さんに、今冬の菊は藍色だといったことがあるのですがね」

 「ええ」

 「ようやく、咲きましたね」

 「散らしてはなりませんね」と私は答えた。

 藍一郎さんの、この家への情愛か憎悪か、あるいはそんな複雑な一つの感情か。我がものとしたからには、手放してはならぬ。絶やしてはならぬ。