「君、」と彼はいった。「どうせここにいてもすべきこともないのだろう。それなら出かけるといいよ」

 「どこへ、」

 「さあ、それは我にもわからぬ。ただ、手伝いは連れていく方がいい」

 「手伝い」

 「そうだな、宿の方に、犬と狐はおったかな。いや、旦那のことだからおるはずだよ。彼奴はなんでも連れてくる」

 「犬と狐を連れて出かけろというのか、」

 彼はどこか意地が悪そうに笑うと、私の耳元に口を寄せた。

囁かれた言葉で、どうして久菊さまが私にこの家を譲ってくれるのかが理解できた。

これまでも言葉ではわかっているつもりだったが、なるほど、そういうことか。

それと同時に、自らの愚鈍さに笑いが込み上げた。ああ、やはり半妖などというのは鈍感な人間の蔑称だ。

 「我は三つ眼の鬼だ、他者の事情くらい、聞かずともおおよそ見当がつく。そしてそれはまず外れない」

 彼は得意げに笑って見せてくる。

 「そのうちに喰われそうだね、」

 「いや、そんな莫迦な真似はしないさ。我は君の連れてきたあやかしの情念を鎮めてみたい。それに残念だけれどもね、我は食事を必要としないのだよ。君と違って“完全”だからね」

 私は彼の眼を見返した。「私の両親は無事かな」

 彼はわざとらしく驚いた顔を見せる。「そんな、我が君の両親を攫ったというのかい」

 「違うよ、私は君の優れた智能を借りたいんだ」

 彼は「ごめんよ、ふざけるところでもなかった」と笑う。

 それからまじめな調子で、「無事だろうね」と断言した。「特に悪いものは感じないよ。ああただ、君の両親がどこにいるのかはわからない」

 「そうでなければ、伴を連れて出かけろとはいわないはずだろう」

 「わかってくれて嬉しいよ。なんだろうね、我はどうにも、自分の発言に信憑する価値を与えられていないように思うんだよ。君はどう思う?」

 「確かになにを考えているかわからないところがあるように思う。ただ、君から悪意は感じないし、疑ってかかる理由もない」

 「君は優しいね」と彼はのんびりと笑う。

 「その無邪気さが君の優れた智能によるものなのであれば、私はいっそ、全て捧げるよ。抗って敵う相手とも思えないからね」

 「まあ、仲よくしておくれ。我には食事がいらないのだし、人間であろうとあやかしであろうと、はたまた半妖であろうと、興味はないのだよ。

なにかを蒐集する趣味もないし、ほかの鬼と違って悪事を働くことにも関心がない。我にはね、そうだよ、ここで詛われた魂を待つことしか、できることはないのだよ」

 彼は淋しげに微笑むと、「なあ寒菊や、」と私の眼を見詰めた。「この無力で憐れな鬼を、かわいがってはくれないか」と。

 「ああ、仲よくしよう」

 「嬉しいね。だからどうか、久しぶりに会ったのだとしても、あんな余所余所しい態度は止しておくれ」

 「わかった」と私は頷く。「悪かったね、どうもこの家での立場に自信がないもので」

 「そう自分を蔑むな。君はここの次期当主、旦那に認められた、優秀な青年だよ」

 「ありがとう」と照れ隠しに笑って、私はふと、自分の中に猛烈に好奇心が膨らむのを感じた。

 「どうしたんだい、」という彼に、「つのを、触ってもいいかい」と申し出る。彼はぽかんとした顔をしてから、「ああ、存分に」と笑って、私よりちょっと高いところにあった頭を、膝を曲げて下ろしてくれた。

 私は恐々、その向かって左側のつのに触れた。——恐らく酷く見っともなく——開いた口から、「おお、」と声が漏れた。それは漆器のようにつるつるとした肌触りで、焼き物のような重厚感があった。

 「随分しっかりしているのだね、」

 「人の血の通っているせいかな、君も不思議な奴だね」

 「そうかい。……これ、触られてどんな心地なんだい」

 「特になにも感じないよ。ああ、ただ間違えても、前後や左右に動かそうとしてはならないよ」

 「私をなんだと思っているんだい、そんな恐ろしいことは考えないよ」

 そこでふと、私は直前のものとはまた別の好奇心が湧くのを感じた。

 「なんだい、」といわれて、「君、名はなんといったのだったか」と尋ねる。

 彼は頭を私の高さに合わせたまま「酷いなあ」と苦笑する。「初めて会った日に伝えたじゃないか、数字の一に助太刀の助でいちすけだよ、旦那と一番初めに会ったあやかしってんで、そうつけられたんだ」

 「はあ、そうだったね。これは失敬」

 「全くだ」