通路を歩きながら、鳩司は「俺は伝書鳩をしていたんだ」といった。「だが最後の任務を遂行できなかった」

 「そうなの」

 「悔しくてならなかった。俺を待つ人があるのに、そこへいけなかったんだ。幾年も経ってから久菊さまに会い、俺の死への念を鎮めて下すった。だが魂となって、そのままここを去るというのも惜しくてな。使って戴くことになった」

 「御霊というのは皆そういうものなのか」

 ふと、鳩司が笑った。「お綺は男のような話し方をするな」

 「長いこと父と二人で暮らしていたのがあるかもしれない」

 「いや、それでいいよ。親しみやすいと思っただけだ」

 「なにをいうの」と若い女性の声がしてびくりとした。「それでは私たちを苦手に思っているようじゃない」

 「お前さんはだめだ」

 「だめってなによ」

 「名はなんといった」という鳩司に「美しい傘と書いてみかさよ」と声が答える。

 「自ら美しいなどという者がどこにある」

 「私は美しいですもの」

 「確かにそうかもしれんが、自分でいうものじゃない」と鳩司は諭すようにいう。「ここの菊が、我が美しさに陶酔せよなどといったことがあるか」

 「ところで」と私がいった。「ここにはどうして菊が咲いているんだ」右も左も、菊の畑のようになっている。香のような薫りはこの花のものだったのだろう。

寺が近くなったためだと思ったが、薫りがわかるほど近づいていないし、こちらとは人の背丈ほどあるような竹垣で隔てられている。

 「どうして……だろうな。傘、知っているか」

 「美傘。知るはずないじゃない、鳩司の方が長くいるんだから」

 「久菊さまとはお前さんの方が親しい」

 「なんてこというの。久菊さまがそんな贔屓なんてするはずがないでしょうに」

 「なんだろうな、前の旦那さまがお好きだったとか、そういったところじゃないだろうか」

 「前の旦那さまはどんな人だったの?」と美傘。

 「俺も知らない。俺と会った頃には、久菊さまはすでにここの主であった」

 「そう。それはもういい人なのでしょうね。久菊さまのお父上なのだから」

 そうだ、と美傘。「旦那さまといえば、若旦那さまって」といったぎり、黙ってしまう。なにかと思えば、「お疲れ様です」と優しい声がした。