彼の一言で傘たちはぴたりと黙り、私たちの下駄が湿った地面をゆく音、傘布の雨を凌ぐ音だけが、私たちの共有する沈黙を揺らし包んだ。
そのなんとも息苦しい静寂を「藍一郎兄さん、」と菊臣さんが破った。「最後にいこうといっていたのはどこですか」と。
「今、向かっている」と答える彼の声は、どこか沈みながらも穏やかだった。
「気分の落ち着くところだよ」と藍一郎さんはいった。「誰もいない、雑踏も聞こえない、静かなところだ」
藍一郎さんのいうそこは、私たちの暮らす屋敷から程近い、小高くなった一角だった。小さな山のようでもある。彼は緩やかに続く坂の先を見つめ、「この先こそ、極楽だ」といった。
頂からはこの小さな町を見渡せた。
「これは、」と声が出た。「家々が小さく見えますね」
「たとえばこの先でなにか騒動が起こっても、こちらにはなにも聞こえやしないだろう。しかし、この先にあるのは俺たちと同じ人間だ。
妙に小さく見える、墨で引いた線のようなあれも、俺たちの過ごす家となんら違わない。でも、ここから見ればこんなにも小さい。
日頃感じていることなんぞ、取るに足りぬことなのではないかと期待を持てる」
「兄上は、よくこちらへきていたのですか」
「ここしばらくきていなかった。忘れていた」
「そうですか、」
私は眼下に広がる町並みに、この国の全てをこのように見ることができたらと思った。そうすれば、小さな人影に滲む父や母の気配を逃さず、駆けつけるのに。どうにか、二人の安全を確認したい。——ああ、せめて父だけでも。
私は久菊さまの言葉を思い出しながら、宿にいる者の姿を片端から瞼の中に浮かべた。誰か、人探しの得意なような者はあるだろうか。
一番に鳩司君ら鳩が有力なように思えたが、彼らは知った者から知った者へ言伝をする者だ、父に無事かと尋ねてくれないかと頼んだところで、父の姿や居場所がわからないことには彼らとて困るだろう。
ここから叫んで声が届くようなところにいてくれたらどんなにいいだろう。
父よ母よ、私はここにいる——二人を探すためにここにいる、二人を求めてここにいる——どうか、この声の届く場所にいるならば、どうかこちらへ。
そのなんとも息苦しい静寂を「藍一郎兄さん、」と菊臣さんが破った。「最後にいこうといっていたのはどこですか」と。
「今、向かっている」と答える彼の声は、どこか沈みながらも穏やかだった。
「気分の落ち着くところだよ」と藍一郎さんはいった。「誰もいない、雑踏も聞こえない、静かなところだ」
藍一郎さんのいうそこは、私たちの暮らす屋敷から程近い、小高くなった一角だった。小さな山のようでもある。彼は緩やかに続く坂の先を見つめ、「この先こそ、極楽だ」といった。
頂からはこの小さな町を見渡せた。
「これは、」と声が出た。「家々が小さく見えますね」
「たとえばこの先でなにか騒動が起こっても、こちらにはなにも聞こえやしないだろう。しかし、この先にあるのは俺たちと同じ人間だ。
妙に小さく見える、墨で引いた線のようなあれも、俺たちの過ごす家となんら違わない。でも、ここから見ればこんなにも小さい。
日頃感じていることなんぞ、取るに足りぬことなのではないかと期待を持てる」
「兄上は、よくこちらへきていたのですか」
「ここしばらくきていなかった。忘れていた」
「そうですか、」
私は眼下に広がる町並みに、この国の全てをこのように見ることができたらと思った。そうすれば、小さな人影に滲む父や母の気配を逃さず、駆けつけるのに。どうにか、二人の安全を確認したい。——ああ、せめて父だけでも。
私は久菊さまの言葉を思い出しながら、宿にいる者の姿を片端から瞼の中に浮かべた。誰か、人探しの得意なような者はあるだろうか。
一番に鳩司君ら鳩が有力なように思えたが、彼らは知った者から知った者へ言伝をする者だ、父に無事かと尋ねてくれないかと頼んだところで、父の姿や居場所がわからないことには彼らとて困るだろう。
ここから叫んで声が届くようなところにいてくれたらどんなにいいだろう。
父よ母よ、私はここにいる——二人を探すためにここにいる、二人を求めてここにいる——どうか、この声の届く場所にいるならば、どうかこちらへ。