「俺はもはや、生きる意味など知らない」容器に調味料を入れながら、藍一郎さんは静かにいった。その顔を窺うと、「兄なら弟の泣きごとくらい聞いてくれ」と、やはり静かな声がいった。
私はまだ少し残っている大根へ眼を落とし、「存分に」と答えた。
「あやかしなぞという死に損ないの化け物の蔓延るこの世で、母上はそれに黄泉国へ連れられ、自分は仇を鎮め生かすところの長男だ。
なぜあれらを生かさねばならぬ。死にながら生に固着し、生者の世に縋る化け物だ、なぜ手前らは死んでいるのだといってはならぬ。なぜ自分の過ごすそばに置いておかねばならぬ。
……手前の同胞のせいで死んだ者がいかほどいるかと、あの憎い存在を殺すことができるなら、どんなにか幸せだろう」
藍一郎さんは震えた息を吐いた。
「寒菊よ、手前は俺より二年も長くこの世にいるだろう。なぜ、かの化け物を始末してはならない」
尋ねられ、私は知る限りの言葉を慎重に選び取る。
「あやかし、と一括りにしてしまえば、宿にいるようなまっすぐな魂までも否定することになります」
「あれらとて、いつまでも大人しくしているとも限らない」
「そうでしょうか。彼らは久菊さまに恩を感じています」
「それは父上にだろう」と藍一郎さんは声を張った。こちらを向いた、見開かれた瞼の中、純粋な黒の双眸を濡らす感情は、早朝の室内の限られた光をこれでもかと返してくる。
「そうだ、あれらはこの家の当主に恩を感じているのではない。当主が父上だからそうして大人しくしているのだ。
いつか父上がいなくなったらどうだ、父上は俺はふさわしくないとて、菊臣に継がせるおつもりなのだぞ。あの無防備な弟がこのままここを継ぎ、いつか化け物に憑かれたら、俺はどうすればいい!
父上にこの家の主にふさわしくないといわせた自分を詛うか、そうしてなんになる。俺はあれらを鎮める術を持っていない。持っていれば母上は今も優しく微笑んで下さっているだろう——俺にはかわいい弟が、醜い化け物に飲み込まれ喰われる始終を見届けるほかできることがないのだ!」
どうして、と藍一郎さんは声を震わせる。「どうして俺たちは、こんな家に生きていなければならない」と。その姿は、行燈の火の揺れる仄暗い部屋の中で認めた菊臣さんと同じだった。
どうしようもなく、抱きしめたくなった。この子も、結局は私より若い。二年という月日が、こんなにも彼を愛しく思わせる。彼の厭う同情という念を、私はどうしようもなく強く抱いている。
しかしながら、その体を抱くことはもとよりその震える肩に触れることも叶わない。触れてしまえば、私に彼の最も忌む血が通っていることが知れてしまう。それは初めて兄と呼んでくれた少年への、あまりに残酷な仕打ち。
「藍一郎さんは、この家がお嫌いですか」
「この家は、詛われている。あれらから逃れることを許されないのだ」
「では、私が継いでもよろしいでしょうか」
藍一郎さんはひゅっと喉を鳴らした。私の眼を見上げる。
「どうして、」
「いっそ、……絶ってしまうのです。他人の私が継ぐことで」
藍一郎さんが認めてくれれば、私にとってそれほど幸運なことはない。
「寒菊は、死なないか? 寒菊はあれらに喰われないのか?」
微かな確かな痛みを覚えつつ、私は「ええ」と答えた。
「私のような生意気な者を好んで喰う者など、悪霊といえどそういませんよ」
私はまだ少し残っている大根へ眼を落とし、「存分に」と答えた。
「あやかしなぞという死に損ないの化け物の蔓延るこの世で、母上はそれに黄泉国へ連れられ、自分は仇を鎮め生かすところの長男だ。
なぜあれらを生かさねばならぬ。死にながら生に固着し、生者の世に縋る化け物だ、なぜ手前らは死んでいるのだといってはならぬ。なぜ自分の過ごすそばに置いておかねばならぬ。
……手前の同胞のせいで死んだ者がいかほどいるかと、あの憎い存在を殺すことができるなら、どんなにか幸せだろう」
藍一郎さんは震えた息を吐いた。
「寒菊よ、手前は俺より二年も長くこの世にいるだろう。なぜ、かの化け物を始末してはならない」
尋ねられ、私は知る限りの言葉を慎重に選び取る。
「あやかし、と一括りにしてしまえば、宿にいるようなまっすぐな魂までも否定することになります」
「あれらとて、いつまでも大人しくしているとも限らない」
「そうでしょうか。彼らは久菊さまに恩を感じています」
「それは父上にだろう」と藍一郎さんは声を張った。こちらを向いた、見開かれた瞼の中、純粋な黒の双眸を濡らす感情は、早朝の室内の限られた光をこれでもかと返してくる。
「そうだ、あれらはこの家の当主に恩を感じているのではない。当主が父上だからそうして大人しくしているのだ。
いつか父上がいなくなったらどうだ、父上は俺はふさわしくないとて、菊臣に継がせるおつもりなのだぞ。あの無防備な弟がこのままここを継ぎ、いつか化け物に憑かれたら、俺はどうすればいい!
父上にこの家の主にふさわしくないといわせた自分を詛うか、そうしてなんになる。俺はあれらを鎮める術を持っていない。持っていれば母上は今も優しく微笑んで下さっているだろう——俺にはかわいい弟が、醜い化け物に飲み込まれ喰われる始終を見届けるほかできることがないのだ!」
どうして、と藍一郎さんは声を震わせる。「どうして俺たちは、こんな家に生きていなければならない」と。その姿は、行燈の火の揺れる仄暗い部屋の中で認めた菊臣さんと同じだった。
どうしようもなく、抱きしめたくなった。この子も、結局は私より若い。二年という月日が、こんなにも彼を愛しく思わせる。彼の厭う同情という念を、私はどうしようもなく強く抱いている。
しかしながら、その体を抱くことはもとよりその震える肩に触れることも叶わない。触れてしまえば、私に彼の最も忌む血が通っていることが知れてしまう。それは初めて兄と呼んでくれた少年への、あまりに残酷な仕打ち。
「藍一郎さんは、この家がお嫌いですか」
「この家は、詛われている。あれらから逃れることを許されないのだ」
「では、私が継いでもよろしいでしょうか」
藍一郎さんはひゅっと喉を鳴らした。私の眼を見上げる。
「どうして、」
「いっそ、……絶ってしまうのです。他人の私が継ぐことで」
藍一郎さんが認めてくれれば、私にとってそれほど幸運なことはない。
「寒菊は、死なないか? 寒菊はあれらに喰われないのか?」
微かな確かな痛みを覚えつつ、私は「ええ」と答えた。
「私のような生意気な者を好んで喰う者など、悪霊といえどそういませんよ」