私は採った大根とかぶを洗って戻った。

 爨に入り、私は「手伝います」と申し出た。

 野菜を受け取った藍一郎さんからは「結構だ」と返ってきたが、「そういわないで下さい」と食い下がった。

 「同情か」と彼は呟いた。

 「はい?」

 「男が家事をするというので、軽蔑しているか」

 「いいえ。男が家事をしてはいけませんか」

 「惨めだ」

 「私はそのようには感じません」

 ところで、と私は声を落とした。

 「藍一郎さん、梶澤佐助という者を御存知ですか」

 「いいや。手前の思ひ人か」

 「いえ」と軽く返しながら、内心ぎくりとした。私に探している者があることを知っているのかもしれない。

 「先ほど、畑の方で会ったのです。なんでもここに仕えている者だそうで」

 「知らないな。寝呆けて妖怪でも見たのだろう」

 「折角なら美しい女性がよかったですね」

 「手前は大根を切れ」といわれ、私はちょっと嬉しくなりながら「はい」と答えた。

 「今日の夕餉に出すから小さく切れ」

 私は「はい」と頷いて、包丁で大根を切る。

 「なににするのですか」

 「庶民の食卓に香の物のほかがあるか」

 「香の物でしたら、一と月はかかるものではありませんか」

 「小さく切れば半日ほどで食える」

 「そうなのですか」これはもうちょっと早くに知りたかったです、と苦笑する。

 「お詳しいのですね」

 「俺がどれだけの間家事をしていると思っている」

 私は黙って続きを求めた。

 「母上がいなくなってからだ。もう冬は五度目になる」

 「然様ですか」

 ふと、藍一郎さんの包丁が大きな音を立てた。

 「俺はあやかしなどという化け物が大嫌いだ」

 氷の塊を飲み込んだように体の中心が冷えた。

 「あれは死に損ないの化け物だ。主がいなければなにもできぬ分際で、その主を殺す。なぜ死んだ者に生きている者が殺されねばならぬ」

 「彼らの魂は、人を殺すのですか」

 「殺す」。短い言葉が深く突き刺さった。

 「母上はそういう化け物に殺された」

 そこでようやく、私は奥さまの姿を見たことがないことに気がついた。

 「死に損なって化け物になる者と、なにもいわずに消えていく者、なにが違う。いっそ、死にきれなかった母上に我が家の全員連れていってほしかった」

 あやかしは、人を殺す。私はただ、どうかどうかと願う。母の父の、道中、事無かれと。

 ふと、「なかなか手際がいいな」と藍一郎さんはいった。

 「ええ、あるときから久菊さまに拾って戴くまでの間、一人で暮らしておりましたから」

 「そうなのか」

 「母がいなくなってから十五年、父も家を出たのです」

 「それは……捨てられたのか」

 「いいえ」と答えるのに迷いはなかった。

母も父も、私を捨てたのではない。父は家を出る直前まで、家を出る瞬間まで、私を愛してくれた。

そんな父の愛した女性だ、母も私を捨てたはずがない。父の言葉を一瞬たりとも疑ったことはなかった。だから、藍一郎さんにそういわれても、哀しいと感じることもなかった。

 「では手前、なぜここにきた」

 静かな声にいわれ、腹の奥に飲み込んだ氷の塊の存在が思い出された。私はなんとか笑った。

 「仕事もなく、一人で暮らすのも限界だったのです。そこで久菊さまに出会ったものですから、つい甘えてしまいたくなったのです」

 立っているのもやっとのような苦しい沈黙を散々引き伸ばしてから、藍一郎さんは「そうか」と短くいった。