浅井了意の御伽婢子では嫌な予兆を抱いたもののそれ以上の情報は得られず、髑髏の所在はわからなかった。そもそも舞台の京都に伊左衛門は縁がない。伊左衛門の店に詰めてその帳簿を追っても京都に関係ありそうな案件も客もなかった。
まさに八方塞がりだ。
だが俺もそろそろ限界だった。伊左衛門から髑髏を引き受けて1ヶ月ほどが経過した。髑髏は連日俺の枕元に現れ、俺を見つけられないものの俺の匂いの出どころの方向に当たりをつけたらしく、現れてからずっとぶつぶつと呟きながら俺が寝ている布団の際に張り付いている。時には結界を乗り越えてさわさわと布団に触れさえするのだ。
死神の鎌のようなその冷たい骨で。魍魎の涎のように着物から腐汁を垂らしながら。
そんなわけで、いつ取り殺されるかと気が気じゃない。寝不足で体が極めて重だるい。まるで土砂降りの雨に振られ続けているような、泥田の中を泳ぐような、そのような疲れが蓄積している。
そんなわけで、俺は最近朦朧としていてちょっとしたすきにウツラウツラしてしまう。そしてそんな隙間に髑髏は夢を辿ってやってくる。夜中に出張って結界の中で俺を探すより無防備な昼間を襲うほうが確実だと気付いたのかもしれない。
流石に昼日中の不意を突かれると鷹一郎の結界が間に合わない。その少しの隙間に髑髏は逢瀬を求めて俺の体を撫で回す。
皮膚を這い回る硬い骨の感触は俺の意識を曖昧にして、此岸と彼岸の境界を踏み越えさせようとする。触覚がイカレてきた。そのへんの家具や物を触るより骨に触られる感触のほうが生々しい。さすがに陽の光の中では俺を墓に連れ込めるほどの力はないらしいが、ふらふらとした頭でどこかに引きずられそうになるのをなんとか踏みとどまっている。
そのころには朝に起きると手水にら深いクマが刻まれた目元とげっそり痩けた頬が写るようになる。俺の方がお化けといわれかねない。ズシリと重い肩とひっくり返る胃の腑。飯ぐらいは俺が作ろうと思っていたのにすでに俺の胃は鷹一郎の用意する薬粥しか受け付けぬ。
そんな調子だから鷹一郎から離れられない。いないところで取り憑かれたら死ぬより他に仕方がない。だから重い体を引きずり幽鬼のように鷹一郎に付き従うのが俺の毎日だった。
それで結局の所、解決の糸口となったのは伊左衛門の絵だった。
「てめぇのそれ、イケてんな」
鷹一郎について外国人居留区のレグゲート商会を訪れた帰り。アディソン嬢に話しかけられた。
アディソン嬢はレグゲート商会の用心棒だ。嬢と呼ばれてはいるものの、その性別はわからない。西欧人で骨格は太く男性にしては小柄。声は透き通っているが男性のように低い。だいたいは胸の空いた亜細亜人女性の服を着ていて胸元に大きな池田対い蝶の入れ墨を入れている。右足は妙な義足で背には不釣り合いに大きなサーベルを負っている。
鷹一郎はアディソン嬢について、あれはなかなかの達人ですよ、と言っていたが一般人の俺にはわからん。亜細亜人種を見下しているのがその視線や態度からわかりやすく透けて見えるのはどうなのかとも思ったが、用心棒としては怖がられたほうがよいのだから問題はないのだろう。
商談は滞りなく終わり商会を出ようとした時、油断しちまったのかフッと気が遠くなってその瞬間髑髏に絡みつかれて鷹一郎が祓った。そんなルーチンが出来ていた。だから入り口に立つアディソン嬢には俺に絡まる髑髏を見られたのだろう。アディソン嬢は見える類で鷹一郎の家業も知っている。
「勘弁してくれよ」
「そいつが祓ったりしねぇのか」
「祓いはするんですけどね、戻ってくるんですよ」
「へぇ、いらねぇならくんねえか?」
「やれるもんなら進呈してぇ」
「アディソンさんは霊の類とは相性悪そうですからねぇ。哲佐君とは逆ですねぇ」
アディソン嬢が何故こんなものを欲しがるのか心底わからないと思って改めてその姿を眺めると、今日も妙な満州服を纏っていた。こいつは亜細亜人を馬鹿にしているのにこんな服ばかり着ている。
そうだ、ひょっとしたらアディソン嬢なら服から髑髏の出自がわからねぇかな。
「アディソン嬢、髑髏の着物に心当たりはねぇか」
「着物ぅ? 一瞬だったからなぁ」
「姿絵ならこちらに」
アディソンは鷹一郎から受け取った紙を眩しそうに日に透かして眺める。さらさらと潮っぱい海風が抜ける。
外国人居留区は神津湾に面した小高い丘にある。レグゲート商会の商館の出入口は真っ直ぐ東に向いていて、丁度港に停泊する黒船から多くの積荷が降ろされている様子が眺めおろせた。
「これ、着物かぁ?」
「違うのですか?」
「着物ならジャケットの袖がこんな短くねぇだろ」
「経年で千切れたのでは?」
「そうかねぇ。それにしてはねぇ。おい哲。もっかい見せろや」
もう一回? 髑髏を?
冗談じゃねぇ。なるべく近寄らせたくねぇ。来るたびに俺の寿命が縮む勢いなんだよ。死神の噺の蝋燭みてぇに吹けば勢いで消えちまいそうだ。少しでも遠ざかりたい。
そんな俺の表情を見てとったのかアディソン嬢の口がへの字に曲がり眼光が鋭くなる。
「見せろっつってんだろコラ」
「そうですねぇ。心当たりがあるようでしたら見て頂くのが早いでしょうか」
「おい、俺は嫌だぞ」
「祓うには対象の特定が不可欠ですよ。哲佐君はそのまま髑髏になりたいのですか? それに哲佐君は寝ていればいいだけです。ちゃんと結界は張りますから。アディソンさん、どこか横になれるところはないでしょうか」
「少し先の噴水にベンチがある」
「結構です。ではご案内ください」
「Hei.Menen ulos hetkeksi!」
そう中に声をかけてアディソン嬢はひょこひょこと歩き出す。小柄な体に1メートルほどはあろうかという刀。昼日中に見ると妙にバランスが悪い。けれども以前、義足だと大変だろうと思って何の気なしに持とうかと声をかけたら商売道具を預けられるか馬鹿野郎と酷い勢いでどなられた。
まさに八方塞がりだ。
だが俺もそろそろ限界だった。伊左衛門から髑髏を引き受けて1ヶ月ほどが経過した。髑髏は連日俺の枕元に現れ、俺を見つけられないものの俺の匂いの出どころの方向に当たりをつけたらしく、現れてからずっとぶつぶつと呟きながら俺が寝ている布団の際に張り付いている。時には結界を乗り越えてさわさわと布団に触れさえするのだ。
死神の鎌のようなその冷たい骨で。魍魎の涎のように着物から腐汁を垂らしながら。
そんなわけで、いつ取り殺されるかと気が気じゃない。寝不足で体が極めて重だるい。まるで土砂降りの雨に振られ続けているような、泥田の中を泳ぐような、そのような疲れが蓄積している。
そんなわけで、俺は最近朦朧としていてちょっとしたすきにウツラウツラしてしまう。そしてそんな隙間に髑髏は夢を辿ってやってくる。夜中に出張って結界の中で俺を探すより無防備な昼間を襲うほうが確実だと気付いたのかもしれない。
流石に昼日中の不意を突かれると鷹一郎の結界が間に合わない。その少しの隙間に髑髏は逢瀬を求めて俺の体を撫で回す。
皮膚を這い回る硬い骨の感触は俺の意識を曖昧にして、此岸と彼岸の境界を踏み越えさせようとする。触覚がイカレてきた。そのへんの家具や物を触るより骨に触られる感触のほうが生々しい。さすがに陽の光の中では俺を墓に連れ込めるほどの力はないらしいが、ふらふらとした頭でどこかに引きずられそうになるのをなんとか踏みとどまっている。
そのころには朝に起きると手水にら深いクマが刻まれた目元とげっそり痩けた頬が写るようになる。俺の方がお化けといわれかねない。ズシリと重い肩とひっくり返る胃の腑。飯ぐらいは俺が作ろうと思っていたのにすでに俺の胃は鷹一郎の用意する薬粥しか受け付けぬ。
そんな調子だから鷹一郎から離れられない。いないところで取り憑かれたら死ぬより他に仕方がない。だから重い体を引きずり幽鬼のように鷹一郎に付き従うのが俺の毎日だった。
それで結局の所、解決の糸口となったのは伊左衛門の絵だった。
「てめぇのそれ、イケてんな」
鷹一郎について外国人居留区のレグゲート商会を訪れた帰り。アディソン嬢に話しかけられた。
アディソン嬢はレグゲート商会の用心棒だ。嬢と呼ばれてはいるものの、その性別はわからない。西欧人で骨格は太く男性にしては小柄。声は透き通っているが男性のように低い。だいたいは胸の空いた亜細亜人女性の服を着ていて胸元に大きな池田対い蝶の入れ墨を入れている。右足は妙な義足で背には不釣り合いに大きなサーベルを負っている。
鷹一郎はアディソン嬢について、あれはなかなかの達人ですよ、と言っていたが一般人の俺にはわからん。亜細亜人種を見下しているのがその視線や態度からわかりやすく透けて見えるのはどうなのかとも思ったが、用心棒としては怖がられたほうがよいのだから問題はないのだろう。
商談は滞りなく終わり商会を出ようとした時、油断しちまったのかフッと気が遠くなってその瞬間髑髏に絡みつかれて鷹一郎が祓った。そんなルーチンが出来ていた。だから入り口に立つアディソン嬢には俺に絡まる髑髏を見られたのだろう。アディソン嬢は見える類で鷹一郎の家業も知っている。
「勘弁してくれよ」
「そいつが祓ったりしねぇのか」
「祓いはするんですけどね、戻ってくるんですよ」
「へぇ、いらねぇならくんねえか?」
「やれるもんなら進呈してぇ」
「アディソンさんは霊の類とは相性悪そうですからねぇ。哲佐君とは逆ですねぇ」
アディソン嬢が何故こんなものを欲しがるのか心底わからないと思って改めてその姿を眺めると、今日も妙な満州服を纏っていた。こいつは亜細亜人を馬鹿にしているのにこんな服ばかり着ている。
そうだ、ひょっとしたらアディソン嬢なら服から髑髏の出自がわからねぇかな。
「アディソン嬢、髑髏の着物に心当たりはねぇか」
「着物ぅ? 一瞬だったからなぁ」
「姿絵ならこちらに」
アディソンは鷹一郎から受け取った紙を眩しそうに日に透かして眺める。さらさらと潮っぱい海風が抜ける。
外国人居留区は神津湾に面した小高い丘にある。レグゲート商会の商館の出入口は真っ直ぐ東に向いていて、丁度港に停泊する黒船から多くの積荷が降ろされている様子が眺めおろせた。
「これ、着物かぁ?」
「違うのですか?」
「着物ならジャケットの袖がこんな短くねぇだろ」
「経年で千切れたのでは?」
「そうかねぇ。それにしてはねぇ。おい哲。もっかい見せろや」
もう一回? 髑髏を?
冗談じゃねぇ。なるべく近寄らせたくねぇ。来るたびに俺の寿命が縮む勢いなんだよ。死神の噺の蝋燭みてぇに吹けば勢いで消えちまいそうだ。少しでも遠ざかりたい。
そんな俺の表情を見てとったのかアディソン嬢の口がへの字に曲がり眼光が鋭くなる。
「見せろっつってんだろコラ」
「そうですねぇ。心当たりがあるようでしたら見て頂くのが早いでしょうか」
「おい、俺は嫌だぞ」
「祓うには対象の特定が不可欠ですよ。哲佐君はそのまま髑髏になりたいのですか? それに哲佐君は寝ていればいいだけです。ちゃんと結界は張りますから。アディソンさん、どこか横になれるところはないでしょうか」
「少し先の噴水にベンチがある」
「結構です。ではご案内ください」
「Hei.Menen ulos hetkeksi!」
そう中に声をかけてアディソン嬢はひょこひょこと歩き出す。小柄な体に1メートルほどはあろうかという刀。昼日中に見ると妙にバランスが悪い。けれども以前、義足だと大変だろうと思って何の気なしに持とうかと声をかけたら商売道具を預けられるか馬鹿野郎と酷い勢いでどなられた。