俺の出番、つまり伊左衛門からの使いが鷹一郎を訪ねたのはそのおよそ1週間後だった。
 やはり自分で障子を開けてしまったのだという。

「明るくなって朝と思って開けたら満月だった。もう昼も夜もわからねぇ」

 そういって伊左衛門は泣き崩れた。
 再び訪れた商家の端ではぼろぼろにちぎれた札を握りしめた伊左衛門が震えていた。一度は助かると思った分、その絶望はより深いのだろう。お天道様の下でも部屋はこの前よりも昏きに沈む。その畳の目地からはうぞうぞと虫が這い出るようなおぞましさ。

 そして伊左衛門は間近で見たそれの姿を報告する。
 長振袖と思われた着物は最近流行りの和洋折衷のようにも思われた。そして牡丹の切子灯籠を下げていた。近くでよく見たその(かんばせ)は、ぱかりとむき出しの歯を開いてへらりと笑うその姿は、この世のものではなかったそう。
 鷹一郎は伊左衛門に姿絵を書かせた。流石に商売先に家具や何やらの現物を持ち込むのは難しい。送り賃もかかる。だから伊左衛門は売り物の整理によく絵を描くらしい。
 伊左衛門の絵は中々にうまく、確かに伝統的な和装とは少し異なっている。和洋折衷は近頃の流行りだがこのようなデザインに作らせたのだろうか? それには何か少し違和感がある。

「やはり来ましたね」
「せ、先生ぇ、な、なんとかしてくだせぇ。あの骸骨、再び見つけたからにはもう離さねぇなんていいやがるんだ。あの鼻の曲がりそうな腐臭、もう我慢ならねぇ」
「腐臭? 骨なんじゃねぇのか? なんで腐臭がするんだ?」
「それはね哲佐君。骨は腐らなくても周りに腐るものがたくさんあれば匂いは骨や着物に染みるんですよ」

 きっと黄泉に引き摺り込んでたくさん殺しているのです、と鷹一郎の鈴を鳴らすように囁く声。
 ヒィと漏れる伊左衛門の呻めき。
 たくさんの、死体。死体にまみれた女の骸骨。闇の中で蠢く白い骨。そこに新たな、死体。

「さて哲佐君の出番です。伊左衛門さん、これから取り憑かれる対象を伊左衛門さんからこの哲佐君に移します。もう暫く頑張ってくださいね」
「み、身代わりになって頂けるんで?」

 すがる表情で俺を見るな。やりたくてやるわけじゃねぇ。それにこれは、身代わりなんてもんじゃねぇ。言うなれば身売りだ。
 怪異を遠ざけるには主に2つの方法がある。
 1つは結界を張って立ち入らせぬようにすること。けれどもこれは伊左衛門自らが開けてしまった。
 1つは身代わりを立てること。守り人形や鷹一郎が伊左衛門に持たせた式神札がその典型だがおそらくこいつには一時凌ぎにしかならねぇ。結界を張って出会う前に戻しても髑髏は伊左衛門を訪ねてきた。ということはきっかけは扉をあけたこと(・・・・・・・)ではない。不特定多数ではなく明確に伊左衛門を狙ってやってきているのだ。
 そのような相手に対しては身代わりは一時しのぎにすぎない。身代わりが目的本人ではないとバレてしまうと結局本人を探して訪れる。

 鷹一郎は何も言わず俺の肩をぽんと叩いた。
 碌でもない俺の出番というやつだ。この仕事で俺は鷹一郎から破格の金をもらう。
 世の中には憑依体質だとか不幸体質だとかが存在するらしいが、俺はいわゆる『生贄体質』という奴だ。怪異にとって俺はやたらとうまそうに見えるらしい。だから怪異の方が俺をとって食おうと押し寄せてくる。

 今取り憑かれているのは伊左衛門。
 おそらく何かが原因となって伊左衛門は髑髏に取り憑かれた。けれども原因がわからない。だから原因を解消しない限り、鷹一郎の札で誤魔化したとしても偽物と気づけば伊左衛門をまた探し始める。身代わりの一時凌ぎじゃ解決しないのだ。
 だから取り憑き先を俺に移す。
 俺を伊左衛門と誤魔化すのじゃなく、原因である伊左衛門自体がどうでも良くなる程俺を取って食いたくなるように。

 その日から俺は伊左衛門の家に泊まりこんだ。最初は伊左衛門の服を着て伊左衛門の布団に横たわる。本物の伊左衛門は部屋の隅で札を抱きしめ目をきつく瞑って震えている。

 髑髏は夜に現れる。
 匂いをたどるのか最初は俺と伊左衛門の間をぞろりぞろりと迷うようにウロウロしていたが、そのうち伊左衛門ではなく俺の周りをぐるりぐるりと回るようになってくる。だんだんと近づくその感じはあたかも真綿で首を絞められるよう。毎日毎日少しずつ、腐臭が近づくその感覚は生きた心地もありはしねぇ。
 けれどもそのくらいになればようやく伊左衛門が他の部屋で寝ても髑髏は見向きもしなくなってくる。ようやく伊左衛門は安眠できるようになり、鷹一郎は大変感謝されて謝礼を受け取った。
 そして俺の仕事はここからだ。俺は伊左衛門に代わって祟られている。鷹一郎がこれを祓うまで。

「おい鷹一郎。これはいつまで続くんだ」
「そうですねぇ。哲佐君が骸骨になるより前には髑髏の居所を掴みたいですね」
巫山戯(ふざけ)んな」
「けれども哲佐君が取り憑かれ続ける限りお給金はお支払いいたしますよ」

 給金。その言葉に俺は酷く弱い。金があれば大抵のことは解決できる。
 鷹一郎の仕事はいつも破格だが、今回は普通に働く5倍の日当が懐に入る。
 鷹一郎は髑髏を払うためにその原因を調べていた。この髑髏を完全に祓うためには髑髏の本体がどこにいるのかを突き止めなきゃならねぇ。
 だが俺にも一つ、心当たりがあった。
 髑髏、陽光のような満月の光、そして牡丹の灯籠。

「なぁ鷹一郎、この話って牡丹燈籠(ぼたんとうろう)じゃねえのか?」
「そうですねぇ。似ていますが明確に違う部分もあります」

 怪談牡丹燈籠。
 俺が生まれたころに三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)が発表した有名な新作怪談噺。
 けれども落語ではお(よね)は最初、というより死人と見破られるまでは美しい人の姿だった。そして祟り殺す相手の新三郎(しんざぶろう)と生前恋仲であった。
 けれども伊左衛門の前に現れたのは縁もゆかりもない髑髏。せめて人の姿がわかればそれが誰か、何故伊左衛門を狙うのかわかるのかもしれないが。