大蛇の君の初恋は、忌み子として虐げられていた少女でした。

「そうか、なるほど」

 紅さまは、なにか考え込んでいるようだった。

「それで、そのまもり神とやらが来てから、水害や不作というのはよくなったのか?」
「いえ、それはまだ……。でも、これからだってまもり神さまはおっしゃっているようです。そんなにすぐには水害や不作はよくならないって」
「長く続いているのだよな」
「もう五年になるでしょうか……」
「そんなに続いていて、この村の食糧は続いているのか。見たところ、小さな村だ。そんなに豊かだとも思えない」
「それが、そろそろ本当に備蓄が尽きてしまうみたいで……。村人たちはずいぶん我慢を強いられているようです」

 そうか、と紅さまは言った。

「そこまで村が貧しているのに、贅沢をする余裕はあるのだな」
「贅沢、ですか?」
「次期村長だというあの娘だ。贅沢な着物を着ていた」
「清は、特別ですから。彼女の品位が村の品位につながるとのことです」
「食事も贅沢をしているのか」
「それでいいのか?」
「と、いいますと……」
「村人たちが満足に食べられないのだろう。それなのに、長は贅沢をしている。それでいいのか」
「……私が意見することではありませんから」
「意見するとしたら。どう思う」
「……そうですね。やっぱり、みんなが満足に食べられたほうが、いいと思います。……おなかがすくのはつらいですから」

 私は、誤魔化すように肩をすくめて笑ってみせたけど。
 空腹がつらい、というのを私は身をもって体感している。そもそも、施しがなければ今日の食事にもありつけない身。
 飢え死にしかけたことも、一度や二度ではない。

「あやも……あ、えっと、手当の道具を持ってきてくれた子です。彼女はこの村で唯一私の味方なんですけど……あやも、最近はろくに食べ物がないってよく言ってます。家族がみんな満足に食べるのはとてもとても無理だから、弟や、おばあちゃんから食べさせてるって。でもそれもいつまで続くか……」

 話していて、申し訳なくなっていた。
 そんな状況なのに、あやとあやの家族は、私に食べ物を分け与えてくれているのだ……。

「私の食事は村でもっとも貧しいものですが、それでも生き長らえる程度には、もらってしまっているのです。村人のみなさまに食糧が行き渡るように、私が最初に死んだほうがいいんでしょうね……」
「そんなことはない」

 紅さまが大声を出したので、私はびっくりして彼を見る。
 彼は、とても一生懸命な顔で……私を、私だけを、まっすぐに見ていた。
 紅さまは気まずそうに、視線を逸らした。

「……いや。その。すまない。また、怖がらせてしまったか? ……人間とかかわるのはやはり難しい」
「いえ、大丈夫です」

 私は思わず、くすくす笑った。

「……ありがとうございます。私、いつも、要らないって言われてばっかりなので。たとえお世辞でも、そう言ってもらえるのは、とっても嬉しいです」
「いや。……世辞などではなくてだな」

 紅さまは、きっとすごくいいひとなのだろう。
 一見ぶっきらぼうだけど、ひとは見かけによらないし。

 あやかしなのに。こんなに美しくて、人間離れしているのに。
 ちょっと人生で行き会っただけの私に情けをかけてくれるのだから……。

 まだ出会って間もないのに、このひとといるのは、痛くない。
 それどころか、もっといっしょにいたくなる。
 私の話を聞いてくれて、私のそばにいてくれるひとなんて。……奇跡だ。

 ……だから。
 そろそろだと、思った。

 これ以上いっしょにいてしまっては……もっと、いっしょにいたくなるから。

「……紅さま。お怪我の具合は、いかがですか?」
「ん? ああ。もうすっかり良くなった」

 紅さまは腕の包帯をほどいて、傷跡を見せてくれた。
 たしかに、傷はすっかりよくなっているようだった。少しだけ痕が残ってしまっているけれど、もう治りかけ。
 私の傷の治りよりずっと速いように感じた。常人離れしている。やっぱり、あやかしだからだろうか。

「他の傷もこのような感じだ。手当のおかげだ。感謝する」
「よかったです」

 本当に、ほっとした。
 あやかしだったことには、びっくりしたけれど……。
 小さな蛇。あのままだと、死んでしまいそうだった。……死んでほしくなかった、助かってほしかった。
 だから……よかった。本当に。

 私は、笑顔が歪まないように気をつけながら、紅さまに言う。

「もし、もう体調のほうがすっかりよろしければ……ゆかれたほうが、よろしいかと」
「……え?」
「ここは忌み子の座敷牢。たいしたおもてなしもできません。窮屈な場所です。……村人に見つかれば、清やまもり神さまにどんな目に遭わされるかもわかりません。まだ、気づかれてはいないはずですから……ゆかれるのなら、いまです」

 これ以上、名残惜しくなる前に。
 もっといっしょにいたいと願い始める前に……。
 紅さまは、複雑そうな顔をしていた。

「……それは、俺の身を案じてのことか。俺とともにいたくない、という意味ではないか」
「そんな、そんなのは、もちろんです。私はむしろ……紅さまといると、心地よくて」

 はっと、口を押さえた。
 私は何を……。
 そんなことを言ってしまっては、いけないのに。

「でも……ずっといっしょにいることは、無理でしょうから」

 当たり前だけど、紅さまにも帰るところがあるはずだ。
 この村に住むためにやってきたわけじゃなくて、ただ行き倒れてしまっただけだろうから。

「こんなみすぼらしく、危ないところに、長く居続けないほうがよろしいかと思います。紅さまも帰るところがあるのですよね? 早く帰って差し上げたほうがよろしいかと。弟さんもいらっしゃることですし」
「……もう少し、滞在させてくれないか」

 紅さまは。
 絞り出すように、そう言った。

 私は目を見開く。

「……いけないか」

 紅さまは、上目遣いで私を見てくる。
 切実なその視線……。

「そんな……私のほうは、かまわないのです。いつまで居てくださっても……」

 ですが、と言いかけたのを、私は呑み込んだ。

 ……もっといっしょにいてしまったら、きっともっと好きになってしまう。
 だから、別れるとき、もっとつらくなってしまう。

 そうは思ったのだけれど……それは、私のわがままだってこと、私にはよくわかっていたから。

「けれどご家族が心配されると思います。……もう少し滞在されたいというのは、もう少し体調を整えたいということでしょうか。ここでは何のおもてなしも、滋養のある食事もお出しできません、それでもよろしければ……」

 いや、と紅さまはどこか苦しそうに言う。

「体調のほうはもうすっかり大丈夫なんだ。硯……俺は、硯のことが……」

 紅さまは、なにかを言おうとする。
 でも、言えなかったとでもいうように……なにかを諦めるかのように、ちょっと微笑んだ。

 そういう顔をすると、美しさとあいまって、すごく可愛いし、……すごくかっこいい。

「……気持ちを伝える決心をするから。それまで、数日でいい、時間をくれないか。……初めてなんだ、こんなことは」

 なんのことかわからず、私は首をかしげたけれど。
 紅さまがしばらくいてくれることは、正直とっても……嬉しくて。

「どうぞ、ご滞在くださいませ」

 思わず、それだけで、本心からの笑みがこぼれてしまうのだった。
 そこから三日間、紅さまと私とふたりの生活が始まった。

 朝、起きたとき、おはようを言える相手がいることが。
 夜、眠るとき、おやすみなさいを言える相手がいることが。
 こんなにもあったかくて、絶望を癒すものだとは思わなかった。

 紅さまとは、いろんな話をした。
 話題はいくらでもあった。
 紅さまは私の話を聞きたがり、私は紅さまの話を聞きたがった。ふたりとも競うように相手の話を聞きたがるので、私たちはそんな気持ちをお互い感じるたびに、笑いあった。

 紅さまは私のこれまでの人生に心からの思いやりを示してくれて、私が涙してしまうことも、一度や二度ではなかった。
 そして、紅さまのお仕事――あやかし退治の道中で起こった面白おかしい出来事に、私がこれまでの一生ぶん笑ってしまうことも、一度や二度ではなかった。

 どうして……このひとは、こんなに優しいのだろう。

「紅さまは、女性に人気なのではないですか」
「……なぜだ」
「だって、こんなに優しいから」
「だれにでも優しいわけではないのだぞ」
「そうなのですか?」
「……硯だからだ」

 そう言って、紅さまはそっぽを向く。
 紅さまがそっぽを向く仕草は、本当に可愛らしい。

 ……そうは言ってるけど、だれにでも優しいんだろうな、紅さまは。
 だって……私だけが特別なんて、そんなことはありえないもの……。

 あやは、いつも通り一日一度は来てくれた。
 紅さまともすっかり打ち解けて、紅さまのほうも普通にあやと喋ってくれていた。
 あやが座敷牢から出してくれる散歩の時間、……私の数少ないささやかな平穏の時間は、隣にかならず紅さまがいてくれるようになって、もっとかけがえのない時間となった。

 紅さまとあやは、たまに私のわからない会話をする。

「紅さま。硯さまは心がお優しくて、気高くて、明るくて、どんな境遇にあられても絶対にめげず、本当に、本当に素晴らしいお方ですから、大事になさってくださいまし」
「もちろんだ」
「あやは応援しております」

 あやは、紅さまが滞在するわけが理解できるようだった。

 清やまもり神さまは、来なかった。
 あやに聞いたところによると、この間の水害――紅さまが怪我をして倒れていた日に起こった激しい水害のせいで、備蓄の食糧が駄目になってしまい、今後の村の食糧問題をずっと話し合っているらしい。

 村の一大事。それはもちろん、案じたけれど……。
 清たちが来なかったことは、本当によかった。

 これまで失われていたものが、渇いていたものが、欠けていたものが、壊されていたものが。
 すべて、注がれて……あたたかく、とろりと満たされていく。

 紅さまと暮らしていると……そんな感覚を、覚えた。
 呼吸をするのが苦しくない。
 笑うときに顔が引きつらない。
 紅さまと暮らし始めて、三日目の夜。
 私は、いけないとわかっていたのに……不安になってしまって……不安を、言い出してしまった。
 地面についた肘で頬杖をつくように横になり、毎晩私が寝つくまで話をしてくれて、見守ってくれる紅さまに。

「紅さま。いつまで、ご滞在されるのですか。……私は怖いのです」
「何が怖い。話せるならば、話してみてくれ」

 紅さまはこういうとき、とても優しい顔をしてくれる。
 だから……耐えなくては、ならないのに……私の声は、震えてしまう。

「この幸せがなくなってしまうことが。また、ひとりぼっちに戻ってしまうことが」
「硯……」
「いずれは、ゆかねばならないのであれば、早く……行っていただいたほうが……」

 ぼろりと涙が出てきたことに、私は驚いた。

 私の涙なんて、とっくに涸れたと思っていた。
 だって清にどれだけ罵られても、土下座を強要されても、笑われても。
 生みの両親が私の存在を否定して、私を子どもと認めないと公言していても。
 村人たちにどれだけ軽蔑されても、唾を吐かれても、折檻をされても。

 涙など、とうのむかしに出なくなっていたのだから。

「長くいっしょにいればいるほど、別れがつらくなりそうです。……だから」
「……すまない。俺は意気地なしだな。……想いを伝えるのがこんなに大変だとは」

 紅さまは、身体を起こして座る。
 そして、ぎこちなく――私の頭に、手を載せた。

「俺の真名を教えよう」
「真名……ですか?」
「そうだ。真名だ。俺たちあやかしは、真名を非常に大事にする。あやかしの真名を知る者は、そのあやかしを支配できるから」
「支配……」
「たとえば戦っているときに真名を呼ばれれば、力が相手に支配されてしまう。だから、俺たちは真名を本当に信頼できる相手にしか教えない。……害することはこれまでこれからも決してないと、誓える相手にしか教えない。……俺が真名をみずから伝えるのは、弟の他には初めてだ」
「そんな大事なもの、私なんかに……」
「硯だからだ。――俺の真名は紅瞳(べにひとみ)という」
「紅瞳、さま……」

 美しい響きの名前だと思った。美しい彼に、ぴったり。

「俺は硯とずっといっしょにいるつもりだ」
「……でも、そんなことは、無理です」
「無理ではない。……明日の夜には、伝えよう」

 紅さまは、美しく微笑む。

「願いがある。……これからは、紅、と呼んでくれないか」
「でも……」

 失礼だ……そう思ってしまう恐怖から、逃れられなくて。

「失礼です……私などが、やはり」
「硯の立場はこの村の者たちが決めたもの。俺はこの村の者ではない。だから、失礼ではない。まったく失礼などではない。……このまま、さま付けをされてしまうほうが俺は悲しい」
「そうなのですか?」
「……硯と少しでも近づきたい。どうか、紅と呼んでみてくれ。硯」
「……べ、べに……」

 さま、とどうしても言いそうになってしまう。
 でも、私がこのひとを呼び捨てにしただけで、このひとは、本当に本当に嬉しそうだから……。

「……紅、と、お呼びしますよ、本当に。よいのですか……」
「もちろん」

 私は、ついに折れてしまった。……なんだか、このひとにはかなわない。

 座敷牢には月光もほとんど入らず暗いのだけれど、わずかには月明かりが入ってきていることに、私は気がついた。
 月明かりは、今宵は私に優しい。
 だれかがそばにいてくれる夜は、こんなにも生きていたくなる……。
 そんなかけがえのない時も、束の間。

 翌朝、私たちは、息を切らして駆け込んできたあやに起こされた。
 まだずいぶん早い時間だった――日も昇りきっていないほどの。

「こんな早くからすみません、で、でも、た、た、大変なんです、す、す、硯さま……硯さまっ……!」
「あや。どうしましたか。まずは落ち着いてください」

 完全に混乱しているあやを座敷牢のまだきれいな畳の上に座らせて、肩をさする。

「す、す、すみません、あ、あたし……あたしがこんなんじゃいけないのに……」
「大丈夫ですよ。ゆっくり話してください」
「す、す、硯さま……硯さまが、いけにえっ――」
「……男を連れ込んでいたなんて。まさかと思ったのだけど、本当だったとはね」

 地を這うような冷たい声。
 あやは息を呑み、私の鼓動はこの上なくうるさく、速くなる。

 がたがた震えるあやを胸にかばって、ゆっくり振り向くと――そこには、清がいた。

 どうして……こんなに早く来たことなんて、これまでなかったのに。

 その後ろには、まもり神さまもいて。
 にんまりと笑いながら、清の肩を抱く。
 清は唇を尖らせ、甘えるようにまもり神さまを見上げた。

「ねえ、ひどいわね、硯ったら。こんなに淫らな女だと思わなかった」
「逆に好都合だよ、清。これでもっと村人も説得しやすくなる」
「生贄に捧げる前に、硯に罰を与えることは可能? 厳罰よ。生きたまま皮を剥ぐのなんかどうかしら?」

 私の胸のなかで、ひっ、とあやは声を漏らした。

「そうそう、この裏切り者の女中もね。働き者だから信用していたのだけど、まさか忌み子の味方だったとはね。私たちの話を盗み聞きしていたあんたが飛び出ていくのを、まもり神さまが気がついてくださったのよ。今度はもっと上手にやりなさいね、……まあ今度なんて二度と来ないでしょうけど。とんでもない女だわ。殺してあげましょうね」

 あやは震えながら、ぼろぼろ涙を流し始める。

「そしてもちろん、不届き者の男もね――」
「……逃げてください。紅」

 私は、彼に向かって言った。
 あやをいま一人で逃がすのは、逆に危険だ。非力な少女ひとり、村人たちが追いかけて殺すことなんて、わけもないだろうから。

 でも、紅はこの村の者ではない。
 蛇に変身することもできるし、帰るべきところに帰れば、助けてもらえるかもしれない。

 どちらにしろここにいたら、殺されるだけ……。

 私たちの村のくだらない風習で、紅を殺させるわけにはいかない!
「早く。紅。早くっ――!」
「硯の言うことは、できる限りかなえたい。だから前回は隠れていた。だが、それは過ちだった。ときには硯の大事な言葉に背いてでも、守らねばならないのだな。……人間の機微を俺はこれからもっと学ばねばならないようだ」

 紅は、視線をちょっとうつむき加減に――そのままゆっくりと立ち上がって、ゆらりと、清、ではなくまもり神さまを見た。

 ――その迫力に、ぞっとする。
 これまで見たことのない、彼の迫力。
 背後から紅い炎が立ちのぼっているかのようで……。

 このひとはあやかしなんだ、と。
 初めて実感として、思った。

「……稲荷の化身と申したな?」
「……なんだ、おまえは。白い髪に紅い瞳。子鬼か何かか」

 まもり神さまは警戒した様子で、清を抱き寄せる。

「俺を知らないとは。田舎者にも程がある。――こう言えばわかるか? 白の大蛇である、と」
「……へ?」

 まもり神さまはぽかんとしたあと、急に青ざめた。

「……し、し、白の大蛇。ま、ま、まさか……大蛇の君……?」
「田舎者でも聞いたことくらいはあったか」

 呆れたように、紅は言う。

「う、う、うそだ。なんで大蛇の君が、こんな寂れた田舎の農村に。そうか! 下級の狐か狸が化けているのだろう。た、大蛇の君がこんなところにいらっしゃるなんて……そんな……そんなわけない!」
「疑うのであれば戦ってみるか?」

 紅は右手をまっすぐに突き出す。
 その拳は、少しずつ紅く燃え――なのに紅はちっとも熱そうではない。

「……ひいいっ。な、なんだ強烈なこの力は」

 私たちにはなにもわからないのだけれど――まもり神さまは、なにか感じとっているようだった。

「ちょっと力を出しただけでそれか」
「わ、わかりました、こんな妖力を出せるあやかしが、ただものなわけないっ。わかりましたから、そのお力をお納めください、ば、化け術が剥がれてしまう、し、死ぬ……」

 紅は呆れたように息をついて、拳の炎を消して引っ込めた。

「俺は悪神退治も請け負っていてな。人間たちの平和になぞそこまで興味はないのだが、可愛い弟のためだ。各地で悪さをするようになった神――悪神を退治して回っている。……この村の近くの水源には、ずっと悪神がいた。水底の深きところにいたから水害程度で済んだのだろうが、とんでもない力を持ったやつだった」
「……じゃ、じゃあ、もしや三日前の雷雨も」
「その悪神と俺が戦っていたからだ。悪神の最後の悪あがきだったみたいだな。……で?」

 紅は、まもり神さまを睨む。

「俺はたしかに白の大蛇だが。おまえは何なんだ? 二年前から村のまもり神になったと言っていたな。しかし、まもり神であるためには当然神であらねばならないのに、神の気配がしない。悪神も放っておいている。おまえはいったい――何なんだ?」
「わ、わたしは……」

 まもり神さまは、がたがたと震えだした。

「ねえ、まもり神さま、どういうことなんですか? まもり神さまは、神さまなんですよね。この村をずっと守っていってくださるんですよね?」

 清がまもり神さまの腕を取って、すがりつく。
 しかしまもり神さまは、清の腕を乱暴に振り払った。

「うるさい。いまそれどころじゃないんだ」

 清は呆然としていた。
 乱暴を受けたことなんて……人生で、初めてだったのかもしれない。

 そしてまもり神さまは、目にも留まらぬ速さで、あっというまに――その場に土下座した。

「わたくしめは、名もなきしがない化け狐ですっ。ちょっとした出来心で。このように寂れた農村であれば騙せると思い、まもり神を騙り、この村のやつらを騙していたのです」
「他には何かしたか」
「蛇が穢れたものだと教えたのもわたくしです。自分よりも上位の御方の力をおそれ、危険となりうる存在はすべて穢らわしいと教えたのです。蛇の御方は力が強いですから。悪いことをいたしました。申し訳ありません、申し訳ありません、お許しくださいまし」
「それは別にいい。他に――何かしなかったか? 硯に対してひどいことをしなかったか?」

 清が急にはっと我に返ったかのように、まもり神さまの腕に無理やりすがりつく。

「ちょ、ちょっとなにしてるんですか、まもり神さま! こんな、不届き者の男に、なんで謝ってるんですか?」
「口を慎めえ! この御方は、絶大な力を持たれる大蛇の君さまだ!」
「な、なにをおっしゃっているの……? ねえみんな来て、大変、大変なの! 人を呼んで!」

 そして、村じゅうを巻き込んで、大きな騒ぎになる。
 紅は、深くため息を吐いていた。

 村人たちは集まってくるけれど、私の座敷牢にはとてもそんな大人数は入らない。
 加えて、座敷牢に集まるのは縁起が悪いということで――私は特別に座敷牢からの外出を許可され、紅とあやとともに、村人たちのいる広場へ向かうことになった。
 広場には、数十人が集まっていた。
 村人たちはほとんどいるだろう。

 私の生みの両親――蓮池家の現当主とその奥方が、私たちを待ち構えていた。
 ずいぶん久しぶりに二人の顔を見たけれど……だいぶ老けたみたいだった。

 広場の中心に立つのは、私と紅とあや、まもり神さまと清。

 ほとんどの村人が私を忌まわしげに見ていたけれど、後ろのほうであやを心配そうに見ている一家だけは、私と目が合うと何度も頭を下げてきた。

 初めてお顔を見るけど、たぶん、あやの家族だ……。
 優しそうな雰囲気が、みんなあやと似ている。

 申し訳ない。謝っても謝り足りない。私のせいで、あやがこんな目に……。
 私は、あやの一家に深く頭を下げた。それくらいしか、今はできなかった。

 蓮池家の現当主は、腕組みをして尊大に言い出す。

「どういうことなんだ、清。生贄は空気の清浄な朝のうちに捧げたかった。おまえが生贄を連れてくると言うから、私たちは任せたのだが」
「私はうまくやったわよ! でもね父さま、忌み子は男を連れ込んでいたの。村人から昨晩通告を受けたのよ。忌み子の座敷牢から男と女の笑い声が聞こえてきたって。それでね、忌み子ったら、本当に男を連れ込んでいたの。だから生贄に捧げる前に厳罰に処しましょう? いっぱい苦しめて、殺しましょうよ!」
「まったくおまえは、いつも話したいことから話す……生贄というのは、生きたまま捧げるから意味があるのだ。私たちの手でそれを殺してしまうわけにはいかない」

 厳罰でも生贄でも、……なんでもいいのだけれど。
 どちらにせよ、私のことを相変わらずまったく何ひとつ大事になど思っていないのは――よく伝わってきた。

「……硯を生贄にしようとしていたのは、おまえたちか」
「なんだ、この男は――」
「忌み子と過ごしていた不届き者よ。さっきから、わけのわかんないことばっかり言ってるの――」
「この御方は大蛇の君だ!」

 まもり神さまが叫ぶ。

「……これはこれは、まもり神さま。まもり神さまは、この男とお知り合いなのですかな?」
「知り合い? とんでもない。このように強力な御方と知り合いと称するなど、あまりに畏れ多い。――みなこの御方にひざまずけい!」

 まもり神さまは、両手を上げる。
 村人たちは、ざわざわとし始めた。