美桜の学校へと向かう足取りは、昨日よりも少しだけ軽い。仮に加奈子たちに絡まれたとしても、とことん無視してやるという気持ちと、毎朝、龍巳に見送ってもらうことが自信へと繋がっていた。
 昇降口でパシッと肩を叩かれたため、美桜は身構えた。
「おはよ、美桜」
 真帆だった。だからか、いつもより弱いパシッだったのは。
「おはようございます、真帆さん」
「真帆でいいって言ってるのに」
 真帆は笑いながら上履きをとると、靴を履き替える。美桜は自分の下駄箱に手を伸ばすと、何かがおかしいような感じがした。何がおかしいのかと問われると答えることはできない。だけど、違和感。
 真帆と並んで教室へと向かう。三年生の教室は三階。後ろからやって来た男子生徒は、一段抜かしで階段を駆け上がっていくため、美桜たちを抜かしていく。
「おはよー」
 明るく真帆が声をあげて教室に入れば「おはよ」「おはよう」と挨拶が返ってくる。
「おはようございます」
 真帆の後ろに隠れるかのようにして小さく挨拶をして、そそくさと自席へと向かう。だが、真帆は隣の席だった。いつの間にか彼女の机の周りには人だかりができている。
 何かがおかしい、と美桜は思った。そう、いつも人だかりができる席は加奈子の席。何しろこのクラスのカーストトップなのだから。だが、今日は真帆だ。なぜ? 教科書を机の中にしまいながら、美桜は教室をゆっくりと見回した。
 加奈子とそのとりまきの姿が無い。昨日は欠席だった。もしかして今日も休みなのだろうか。四人揃って――?
「ホームルームを始めます」
 担任が教室に入ってきたため、真帆の周りの人だかりは散った。美桜はじっと空いている加奈子の席を見つめている。そんな彼女を、隣の真帆がちらっと視線を向けたのだが、もちろん美桜はそれには気付かない。
「出席をとります、朝野(あさの)誠二(せいじ)……」
「はい」
「……金木美桜……。金木美桜……、金木さん、休み?」
「美桜、呼ばれてるよ」
「あ、はい」
 ぼやっと考え事をしていたから、名前を呼ばれたことにも気付かなかった。返事をして手を挙げれば、担任も安心したように次の名を呼ぶ。
藤川(ふじかわ)英人(ひでと)
「はーい」
宮崎(みやざき)有里(ゆり)
「はい」
 あれ、と美桜は思った。藤川と宮崎の間には丸山がいたはず。つまり、丸山加奈子。そして、他の三人の名前も呼ばれていなかったことに気付く。欠席の連絡があったから、最初から呼ばなかったのだろうか。いや、違う。欠席の連絡があってもまずは名前を呼んでから「休みの連絡がありました」と担任が言うのだ。おかしい、と思いながらもそれ以上、追究する術はなかった。
 やっぱりおかしいかも、と美桜が思ったのは昼休みに入った時。あのカースト上位四人が欠席ではなく、いなかった者として扱われている。何がおかしいって、まずは机の並びだ。四人がいたそこの席から、不自然に机が無くなっている。ぽつんと、穴が開いているような席順なのだ。だが、クラスメートはそれすら不自然に思わないらしい。
「あの、真帆さん……」
 真帆は美桜の机の方に自分の机を寄せていた。特に約束をしていたわけでもないのに、二人でお弁当を食べている。
「丸山さんとかは、どうされたのでしょう?」
「丸山? 誰、それ」
「え、と。丸山加奈子です。このクラスで一番成績の良かった」
「何、言ってるの? このクラスで成績が一番良いのは、美桜でしょ?」
「え?」
 美桜だってけして成績は悪い方ではなかった。むしろ上位だ。それもあって加奈子たちに目をつけられていた。それでも美桜の上にはいつも加奈子がいた。クラス一位。加奈子はこの座から転げ落ちたことは無い。その次に加奈子の取り巻きたちが入って、美桜はいい時でもクラスで三位とか、そのような成績だった。
「もう、テストが近いからって、勉強疲れなんじゃない?」
 そんなことはない。このクラスは四十人。今、四人がいなくなって三十六人。それそのものが不自然なのだ。
「あの、真帆さん。どうして、あそこの席は空いているのでしょうか?」
 不自然にポツンと机の無い場所。それは加奈子の席だった場所。
「さあ? なんだっけかな? 別にいいんじゃない? 誰も気にしていないから」
「あそこは、丸山加奈子の席でしたよね?」
「うーん、ごめんね。美桜がさっきから言っている丸山加奈子って誰のことだからわからないんだけど。もしかして、美桜の中学のときの同級生?」
 そこで美桜はこれ以上加奈子について口にすることをやめようと思った。おかしなことに加奈子を含むあの四人が、いないように扱われている。急にいなくなったのではなく、最初からこの世に存在していないかのように。
 口の中に入れた卵焼きの味が、まったくわからなかった。それくらい、美桜はじっと考え込んでいたのだ。
「変な美桜」
 と真帆は口にするけれど、変なのは自分以外の人間ではないのか、と美桜は思っていた。
 午後の授業もつつがなく進み、というのも、あのカースト上位四人がいなければ、物事は何事もつつがなく進む。あの四人のおかげで、新任の数学教師が休職しているというのも有名な話なのだが。
「美桜、一緒に帰ろう」
 昨日は病院に行くから、という理由でそれを断った。だけど、今日は病院にいく予定はない。となれば、断る理由が無い。それでも、これ以上真帆と一緒にいるのは()()と何かが囁いていた。だが、断る理由が無い。気の弱い美桜は、結局二つ返事をしてしまう。
 真帆と並んで昇降口へと向かうのも、なんとなく空気が重かった。それに彼女は気付いているのか、明るく声をかけてくる。上の空で返事をする美桜。
 朝、違和感があった下駄箱。なぜ違和感があったのか。あの四人の上履きがなかったのだ。もう、存在しない人間かのように。
「どうかした?」
 真帆の言葉に「何でもない」と答える。
 靴を履き替えて正門の方に向かって歩けば、正門の向こうに人影がある。誰かのお迎えだろうか、と美桜が思った時、その人影が龍巳(たつみ)であることに気付いた。
「美桜さん、お迎えにきました」
「え、誰? 美桜、紹介してよ」
 あそこでは着物姿の龍巳も、外出するときは洋服らしい。シャツにジーンズというラフな姿なのに、他人の目を惹きつけるのはやはりその容姿のせいだろう。隣にいる真帆が、誰、誰、と五月蠅い。
「美桜さん、隣の方はお友達ですか?」
 龍巳はいつもと変わらぬ口調で尋ねてくる。
「あ、はい。同じクラスの……」
田中(たなか)真帆(まほ)です。美桜さんとは隣の席です」
「元気なお嬢さんですね」
「あ、真帆さん。こちらは……」
「美桜さんの従兄弟です。美桜さんをお借りしてもいいですか? せっかく花の女子高生の時間の邪魔をしてしまって申し訳ないです」
「いえ」
 有無を言わさぬような迫力とは、まさしくこのような龍巳の笑顔のことを言うのだろう。
「じゃね、美桜。また明日」
 少し硬い表情で真帆が手を振ったので、美桜も小さく手を振った。
「車は少し離れたところに止めてあるのです。そちらまで歩きますが、よろしいですか?」
「あ、はい。ところで龍巳さん。今日はどうされたのですか?」
「先日のこともありましたので、少し心配になって迎えにきました」
 と龍巳は言うが、それは嘘だ。美桜につけていた使役魔から報告があがってきたからだ。青砥(あおと)高校の様子がおかしい――と。
「学校の方は、おかわりありませんか?」
 美桜は龍巳に言おうかどうか迷った。加奈子たちのことを。
「あの」
 と言いかけたところで、肩を抱き寄せられた。どうやら後ろから自転車が物凄いスピードで走ってきたようで、危うく美桜がぶつかりそうになったのだ。
「危ないですね。これでは、何のための歩道かわからないですね。どうかされました?」
 どうもこうもない。突然、このように龍巳に抱き寄せられてしまえば、誰でもこうなってしまう。
「何でもありません、大丈夫です」
 美桜にはそれだけしか口にできなかった。