龍巳(たつみ)美桜(みお)を拾ったのは、本当に偶然だった。深夜、使役魔が騒いでいるから外に出てみたところ、人が倒れていた。それが美桜だった。助け起こそうと思って彼女に触れた途端、ビリッと全身に電気が走ったような痺れを感じた。
 そこで龍巳は、彼女が自分の伴侶となるべき少女であることを悟った。
 あやかしは、自身の伴侶となるべき者と出会うと本能的に感じるらしい。だが、そうは聞いていたものの、今までそういったことのなかった龍巳にとっては、その話すらも半信半疑であった。だが、それが確信へと変わった瞬間でもある。
 彼女のことはただの人間であると思っていた。人間とあやかしの婚姻も、今となっては珍しいことではなくなってきているが、だからといって多いとも言い難い。寿命の異なる異種婚姻は、様々な手続きや根回しが必要となるからだ。だが、彼女はあやかししか見ることができない妖具(ようぐ)を見ることができるようだった。
 妖具――それがあの床の間に飾ってある日本刀のようなもの。あれは刀の形をした妖具なのである。妖具とはあやかしを捉えるための道具であるため、人間界の純粋な人間には見ることができないし、もちろん触れることもできない。
「青龍様、楽しそうですね」
 使役魔はするすると龍巳の首から降りると、どこかへすっと消えていく。それは龍巳が命じたから。
 美桜の様子を見張れ――と。
「まさか、私の伴侶が人間界にいるとは思ってもいませんでしたね」
 龍巳は独り言ちた。
 伴侶を得たあやかしは、その力を増幅させるとも言われている。だからこそ、伴侶は「極上の番」とも呼ばれているのだ。
 龍巳は嬉しそうに目を細めた。

 さて、諸々手続きをしてきた美桜は、龍巳につかえている使用人――名前を、千衣子(ちいこ)という――と共に、この社務所へと戻ってきていた。美桜としては怒涛の数日間。宝くじを当てたくて、この神社にお百度参りをして、途中、力尽きて眠ってしまったというのが事の発端。
 与えられた部屋は、あのアパートの一室よりも広い部屋だった。社務所の奥にこのような立派な住居があることも驚いたが、このような立派な部屋を与えられたことも驚きだった。なぜ、龍巳はここまで自分によくしてくれるのだろうか。
「美桜さま、お食事の準備が整いました」
 荷物を片付けていた美桜の元へやってきたのは、千衣子。どうやら美桜付きの使用人とのこと。家賃滞納ボロアパートの貧乏暮らしから、一気にお嬢様になってしまったような、そんな気分。
 千衣子の後ろを黙ってついていくと、案内された場所は大きな和室。和室であるのに、椅子とテーブルが並んでいるのだが、やはり和室にあったような黒や茶色を主体とした色合いのもの。
 そのテーブルの上座と思われる場所に座っていたのは、もちろん龍巳であった。美桜の姿を見つけると、目尻を下げて微笑む。
「美桜さん、部屋のほうの居心地はどうですか?」
「あ。はい。私にはもったいないような部屋です。ありがとうございます」
「その着物も似合っています」
 美桜は、なぜか着物を着つけられた。よく見たら、ここにいる人たちは皆着物姿だ。そもそもここは美桜が知っている世界と違うような気がする、のだが。それを口にしてもうまくはぐらかされてしまうような気がしていた。
「では、食事にしましょう」
 美桜の前には料亭かと思われるような食事が運ばれてきた。このような料理、今までお目にかかったことさえない。むしろ、食べ方さえわからないようなものばかり。美桜が困って食べ物を見つめていれば、龍巳が優しく声をかけてくれる。だから美桜も恐る恐る口元へとそれを運ぶ。
「美味しい」
 それが美桜の素直な気持ち。いつも満足な食事さえとることのできなかった美桜。逆に、お腹がびっくりしてしまうのではないかと思われるほどの豪華な料理。
「本当は食事をしながら、あやかし退治についてのお話をしたかったのですが……。どうやら美桜さんは食事に集中されたほうがよろしいみたいですね」
 龍巳が笑っているのは、美桜がハムスターのように頬を膨らませているからだろう。それらをゴクンと飲み込んだ美桜は、恥ずかしいところを見せてしまったとでも思ったのか、少し頬を赤らめた。
「美桜さん。お気になさらず、好きなだけ好きなように食べてください」
 美桜を見つめる龍巳の眼差しは優しい。いや、彼だけではない。ここにいる他の者たちも、美桜を見守るかのような眼差しを向けてくるのだ。
「美桜さん。食事が終わりましたら、私の部屋に来ていただけませんか? あやかし退治について説明しましょう」
 部屋に来てもらえないか、と男性から誘われたら、ドキリとしてしまうかもしれない。だが、残念ながら美桜には魅力のない誘いだった。今は目の前のご飯の方が大事。
 口の中にいっぱい食べ物が詰め込まれているため、美桜はコクコクと頷いた。

 食事を終えた美桜は、千衣子に案内されて龍巳の部屋へと向かった。こんなにお腹いっぱいご飯を食べたのはいつ以来だろうか。
「待っていましたよ。どうぞ、そこにお座りください」
 龍巳の部屋は、いつも美桜が気付くと横になっていたあの部屋だった。
「千衣子さん、お茶の準備をお願いします」
 龍巳の言葉に黙って頭を下げた千衣子は、無言でお茶を淹れると二人の前に湯呑を差し出した。そして、黙って彼女は部屋を出ていく。
「美桜さん。早速ですが、あやかし退治について説明しましょう。明日も学校がありますから、あまりお時間を取らずにさくっと説明しますね」
 彼の口から似合わないような言葉が飛び出して、思わず美桜はにやけてしまった。そんな彼女に安心したのか、龍巳は言葉を続ける。
「では、早速。あやかし退治には妖具(ようぐ)と呼ばれる道具を使います。その妖具の一つがあの刀です」
 そこで龍巳は床の間に視線を向ける。美桜も釣られるようにして床の間を見やった。立派な日本刀が飾ってあるのだが、あれがあやかし退治のための道具だという。となれば、()()なのだろう。
「妖具は、普通の人間には見えませんし触れません。ですからあの刀が人間を傷つけることはありません。あやかしをばっさりと切りつけて、強制的に妖界へ送り返す。それがあの刀の力です」
 普通の人間を傷つけるわけではない、と聞いて美桜は安堵した。やはり刀と聞いてしまえば血生臭いことを想像しまいがち。
「それで、美桜さん。あなたは一体、何者ですか?」
 美桜は問われている意味がわからなかった。ん? と首を傾げる。
「妖具は、()()()人間には見ることができないのです。ですから、あそこに日本刀のようなものがあることに気付かないのですよ。()()()人間であれば」
 含みをもたせている龍巳の笑みが怖かった。何者と問われても、美桜は人間だ。あやかしではない。
「もしかして。私が陰陽師の家系の血を引く者、だったりするのですかね?」
 龍巳もその可能性を考えた。妖具が見えているという時点であやかしか陰陽師の血を引く者か。もし、美桜が陰陽師の血を引く者であれば、龍巳がすぐに気が付くはずだ。これも普通の人間とは違う独特な気を放つから。
 だが、美桜から感じられるのは人間の気。陰陽師でもあやかしでもない、いたって普通の人間の気。だから、彼女が妖具を目にすることができたのが解せないのだ。どうやら、美桜の生い立ちについては調べる必要がありそうだな、と龍巳は考える。自分の極上の番となるべき女性。謎に包まれているのも魅力の一つであるが、できることなら余すことなく彼女を知りたい、という欲。
「すみません、どうやら私の勘違いのようでした」
 という一言で、龍巳はその場を誤魔化した。それから簡単に妖具の使い方を説明し、刀以外にもたくさんの種類があることも教えた。その中で、美桜には鞭のような妖具と小刀のような妖具の二つを与えた。
「こちらの妖具は、あやかしに向かって打ちつけるほかに、彼らを拘束させることができます。あやかしを妖界に送り返すには切りつける必要がありますので、そのときはこちらの小刀をお使いください」
 つまり、人間でいうところの失血死のような状態になれば、あやかしたちは強制的に妖界に送り返される、とのことだった。だから日本刀や小刀のような切りつける妖具が必要になる、とのこと。
「それから、こちら。お守りです」
 ミサンガのような組紐を手渡された。
「これでしたら、学校につけていくこともできるでしょう?」
 龍巳は美桜の手首に、その組紐を結び付けた。美桜は黙ってそれを眺めたけれど、加奈子に見つからないようにブラウスの袖の下に隠しておこう、と思った。