彼女は橋の中央に立ち、遠い目をして、流れる川を見つめている。

 消えてしまうのではないかと錯覚してしまうほどに、目を奪われる横顔だった。

 そんな彼女の気を引きたくなり、小さく声を出す。

 思惑通り、彼女はこちらを見た。そして視線を合わせるように、膝を曲げた。

「まあ、可愛い猫ちゃん」

 彼女が伸ばしてきた手に甘えるように、首を動かす。

 彼女はくすぐったいと言って、笑った。さっきまでの美しい横顔も嫌いではなかったが、この笑顔の方が見たいと思った。

 しかしその思いは彼女には伝わらず、彼女の表情が曇った。

 今一度声を出してみると、彼女は切なそうに微笑む。

「心配してくれてるの? 優しい子ね」

 彼女の切なさとは裏腹に、その手は暖かい。

 しかしながら、心配していると言っても、できることなど何もない。強いて言えば、自分の存在を利用して、彼女を癒すくらいだろうか。

「桜子!」

 そんなことを思っていたら、男の大きな声が聞こえ、咄嗟に彼女の傍から逃げ出した。

 少し離れた場所で様子を伺うと、男が彼女の腕を掴み、容赦なく引っ張り上げている。

 彼女の目から、光が消えた。

 助けないと。

 何ができるわけでもないが、なんとなくそう感じた。

 無理矢理立たされ、引きずられるように歩いている彼女の後ろ姿を見て、飛び出さずにはいられなかった。

 男の足元に行き、邪魔をする。

「なんだ、この猫」

 しかし男は容赦なく、腹あたりを蹴ってきた。自分の身体は簡単に吹き飛ばされ、橋の鉄骨に背中を打ち付けた。

 薄れゆく意識の中で、彼女が不安そうにこちらを見ているのがわかる。

 助けたいと思ったのに。心配されてどうする。

 痛みなんか堪えて、もう一度彼女の元に行きたかったのに、体が動かなかった。

「こんなところでお昼寝かい? 猫は気楽でいいねえ」

 そのまま眠ってしまおうかと思ったとき、長髪の男が目の前に座って言った。

 手を伸ばされて、逃げたかったが、その気力もなかった。

「……そうか」

 その男はニヤリと笑う。それが不気味で、ますます逃げたくなる。

「人間に恋をしてしまった黒猫くんは、私の使い魔になれるかな?」

 言っている意味がわからなかった。

 しかし、なんの反応もできずに、とうとう意識を失ってしまった。