布の端材でミシンの練習をしているレベルのわたしにとって、助けに船とはまさにこのことだった。

「ぜひ……! お願いします」

 わたしは深々と頭を下げる。





 その日から秋山さんによる熱血指導の幕開けだった。

「待ち針の角度から教えなきゃいけないなんて、びっくりね」
「縫い代はアイロンできちんと折らなきゃ」
「縫い終わりは返し縫いって今どき学校で教わらないのね」

 繰り出される数々の厳しいことばに、身がすくむ。
 裁縫に慣れている人にとっては基本中の基本なのだろうけれど、家庭科の授業でくらいしかミシンに触れてこなかったわたしには高いハードルだった。
 こういう状態になったのには、わたしの不器用さを見かねた母が「結衣は触らなくていいから」とぴしゃり一言で封印してしまった側面があることにはあるのだが。
 アニメのコスプレを自前でやっている人のことを尊敬するばかりだ。

 秋山さんから教われないときには、店が暇になった隙にミシンの電源を入れ、何度も端材で繰り返し動きを復習する。
 なんと言っても祖母が残したベストだ。
 中途半端な技術の状態で、仕立て継ぎたくはない。

「えらく熱心な指導を受けてるんだな」
 まるで他人事のようにイトが店の奥から顔を出す。
 顔つきはめっきり衰弱している。こんなに弱っているときでも皮肉が言えるなんて、大したもんだ。イトが死にそうなことを忘れてしまう。

「秋山さんが丁寧に教えてくださっているからね」
「昔からあの人は苦手だったんだ」

 イトがそんな風に誰かを評価するのは珍しく、わたしは面食らった。

「知ってたの」
「そりゃ、古くからのお客さんだぞ。知らないはずがない。絹子とも仲が良かった」
「それで、どうして苦手に?」

 仲が良かったのなら、それでいいのでは。

「強引なところがあるだろう? 休みの日だって絹子を連れて出てしまうもんだから……」
「おばあちゃんを取られた嫉妬!?」

 かわいいところあるじゃん!
 妻を女友達に取られて嫉妬するイト、萌える!

 イトは初めてわたしの前で顔を赤らめた。

「そんなことはどうだっていい。真面目に作業しろよ」

 そう言い残して猫の姿に戻ってしまった。
 かわいすぎるでしょ……。

 祖父母の愛を知った今、ますますこのベストを仕上げなければという使命感に燃えだした。
 孫のわたしが夫婦の残した仕事を引き継ぎ、家族の絆という名の糸で結い上げるのだ。
 ”結衣”という名を与えられた以上、成し遂げたかった。

 また、こんな予感も抱いていた。
 このベストを仕立て継ぎ、結い上げれば、「甘ったれな結衣」から脱却できるのではないか――。
 一皮むけて成長した自分の姿を、あの全身鏡に映し出してみたいのだ。