おそらく祖母が祖父との思い出の品を詰め込んだ箱。生前の祖父の記憶を少しでも残したくて置いておいたものたちといった様相だった。
 住居スペースに置かなかったのは、祖父を亡くした辛さゆえなのかもしれない。

 そっと優しくベストを抱き上げたとき、それが大きな問題を抱えていることにわたしは気づいてしまった。

「未完成品じゃん」

 心許ない蛍光灯の明かりのもと、箱の外から見ているときには気づかなかった。
 でも取り出せばよく観察しなくてもすぐわかる。
 仮留めや仮縫いばかりの未完成品であることに。
 ボタンもベルトも着けられていない。
 このままではすぐに着ることはかなわない。

「これは、つまり……」

 わたしは気がついてしまった。これはつまり、そういうことだ。

「裁縫苦手なわたしが、ちゃんと完成させろってことなんだね?」

 天に召されたおばあちゃんが、「そういうこと」とささやくのが聞こえたような気がした。





「家庭科の成績で5なんて取ったことないのにぃ」

 そう独り言をもらすわたしの目の前には、洋裁のテキスト。本棚で眠っていたものを引っ張り出してきた。わたしが購入したものではなく、母がわたしがいつか興味を持つだろうと買い与えたものだ。もらってからそのまま本棚の中で眠っていたのである。ひどい話だ。
 針仕事もミシンもどちらかといえば不得手で、祖母や母のように鞄やワンピースを作る趣味も無い。当然ながら、お客様の買われた服の寸法直しなんてものもしたことがない。

「これはわたしに与えられた試練ってわけだよね」

 イトが与えた最後のミッション。いや、イトと祖母が与えたミッションといった方が適切だろうか。
 先ほどからずっと、先々代が孫の代に与えた、店を継ぐ人間としての覚悟を問う試験のような気がしていたのだった。

 祖母が記した【商売の心得】手帳を開く。
 一ページ目に書かれたことばは先に紹介した通りだが、そこからページを繰っていくと、こう記されている。

【商売の心得 その二十:服を売りっぱなしにするべからず。】

 服屋に陳列される既製の洋服たちは、完成品ではない。
 世の中は標準的な体型の人たちばかりではない。むしろそうではない人の方が多いはずだ。
 訪れたお客様一人一人の違った体の個性――腕の長さや太さ、胴の長さや太さ、足の長さや太さ――に合わせて寸法を調整することで完成品に一歩近づくのだ。
 また、お客様の手に渡った後も大切にしなければならない。その後の着心地や洗濯してみての感想、伸び縮みに至るまで細々ときめ細かく心を配る必要がある。

 そういった心得が手帳には綴られている。