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「学長の井月隆士郎(りゅうしろう)です」


時は少し遡り、宏弥の恩師林田の連絡で二月中旬に蓮華学院女子大学で学長と宏弥は面談することになった。
時間が夜だったせいか学生もほとんどいない大学で、宏弥は初めて学長の隆士郎と学長室で会った。

隆士郎は温和そうに見えるが目の奥では宏弥を観察している。
そういう事を敏感に感じ取る宏弥からすれば、隆士郎の行動は当然のことであり、ここで宏弥自身も相手を見極めるつもりで来ていた。

隆士郎からの軽い世間話から始まりそれに宏弥が誠実に返答する。
隆士郎の手元には宏弥の経歴、林田の推薦書と共に宏弥の卒論のコピーなどもテーブルに置かれていた。

「質問はあるかな」

てっきり隆士郎の方から『闇夜姫』の話題に触れてくるかと思えば一切無く、待遇面や大学でのマナーなどをひとしきり話したの事だった。

自分から聞きたいなら聞けと言うことなのだろう。宏弥は、

「林田教授から学長は『闇夜姫』を研究している僕に興味を持たれたようだったと聞かされています。本当のところをお教え頂けませんか」

と素直な疑問をぶつけた。
聞きたいことは沢山在るがまずはこの点だ。

隆士郎は足を組み直すとソファーの背もたれにもたれかかる。

「そのままだよ」

隆士郎は穏やかな表情。
返答はそれだけ。
宏弥としては腹の探り合いは好きでは無いがどうやら自分から手の内を見せたくないのか、またはどれだけ自分に知識があるのかどうか。
ようは試そうとしているという意図は読み取れた。

「私が国文学の学者として目標としているのは『闇夜姫』単独の研究で学術論文を発表することです」

「それは、珍しい内容だからそれで名を上げたいという事かな」

表情は変わらないようで一瞬隆士郎の声に緊張感のような警戒心のような声が混ざっているように宏弥は感じ取った。
こういう感は間違わない。

一瞬で、宏弥がずっと抱いていた違和感と疑問が解けた気がした。

学長はただ、『闇夜姫』を研究している若い学者に興味があったのでは無い。
『闇夜姫を知っているからこそ、余計なことを外に知らしめないためにここに呼んだのだ』と。

ふ、と自然と宏弥の口元が緩む。

そうだとすれば、ここにいれば自分の知りたかった真実が舞い込む可能性が高いという事。
地道に行動していた結果、相手には警戒相手と認識された、それは宏弥にとって面倒なことでは無く喜ばしいことだ。

「どうかしたのかな」

黙ったままでようやく何故か薄く笑った宏弥に声をかける。
隆士郎はその表情を見て呼んで正解だったと考えた。
彼は一瞬で理解したのだろう、自分がここに呼ばれた本当の意図を。

表情は変わらなくても彼の目の色が変わった。
それなら彼は目的を達成したいがため、言うことを聞くだろう。
その方がこちらにとってもやりやすい。

宏弥は居住まいを正し、

「失礼しました。
先ほどの質問に対する回答ですが、一学者として名を上げたい、それは僕としても生活がありますので否定はしません。
ですが『闇夜姫』というあまりに知られていない存在を、後世に残すのは学者の務めだと思っています」

「例えばそれが、パンドラの箱だったとしても?」

隆士郎は楽しげに宏弥に問いかける。
それに宏弥は初めて笑顔を見せた。

「開けてみなければパンドラの箱かどうかなどわかりませんよ。
開けなければただの箱。
開けた事によって本当に災いが起きるのか、そこまで検証しなくては学者としての面目が立ちません」

「君は見かけによらず怖い物知らずなんだね」

「火を見るとまずは触ってそれを経験してみようと考える性格だというのは自覚があります」

「自分一人が火傷をするのなら良いが、それにより他人も巻き込む可能性があることを知って置いてもらえると助かるかな」

「ご助言、感謝致します」

声だけなら静かなやりとりだろうが、この部屋には鋭い空気が張りつめている。

隆士郎は宏弥に対し頭の回転が速くそれによるリスクは高いと判断しつつも、冷めたような表情で心の奥底に恐ろしいほどの炎を持つ青年に興味を持つ方が勝った。

もしかしたら彼は使えるかも知れない。

・・・・・・『闇夜姫』の為に。