「そうだった、忘れていたよ」
とぼけたように隆士郎が言うが、宏弥の目は一切その言葉を信用していない。
「だが幼い頃の話で、本当にそういう内容だったか自信は無いのだが」
「構いません。僕もそうですので」
思わず隆士郎がその言葉に反応してしまった。
そんなのは初耳だ。何が同じなのだろうか。
宏弥の表情は変わらない。
隆士郎は気持ちを落ち着かせ、
「初耳だよ。君も聞いたことが?」
先に質問したのは宏弥。だが隆士郎の方がこの言葉に食いついて先に聞きたいらしい。
ただその手に宏弥が乗る気は無かった。
「学長の記憶は曖昧のご様子。
僕が話したことで引きずられるなんてことは無いと思いますが、念のために先にお聞かせ頂けますか」
少しだけ低くなった宏弥から一切逃がさないというようなものを感じ、隆士郎は諦めて自分から話をすることにした。
「聞いたのは父方の祖父からだ。
祖父の友人が病に倒れ医者にも見放された。
そこで噂に聞いていたある人に救いを求めた。
来たのは男だったらしく、その男の祈祷で病はみるみる良くなった。
男が言うには呪詛をかけられていたらしい。
病に倒れた友人は仕事で成功していて妬まれていた。
男は、もしも不正に手を染めてばかりの者なら依頼を受けはしなかったと彼らに言った。
どうやら男は祓い屋のような仕事をしていたようだが、その男がこう言ったそうだ。
この世の厄災がこれで済んでいるのは『闇夜姫』が在るからこそだと」
この地下の書庫は外界から遮断されたように外から音が聞こえない。
急に静かになった部屋に、エアコンの稼働する機械音だけが広がっている。
宏弥は表情を変えずに隆士郎を見ている。
先を聞きたい、という目であることを理解し、
「私は子供の頃にこれを聞いた。
そして、穢れ無き姫に助けて貰うには心の正しい人でいなければならいとも言われた。
だから子供ながらに、あぁこれは悪いことをすると呪われて苦しくなって、そういう人間には綺麗な闇夜姫は助けてくれない、だからよい子でいるようにと諭しているんだ、と思った。
感覚としては、地方でよくある天狗に攫われるぞとかそういうものの類いと思って聞き流したんだ。だからとっくに忘れていた。
まさかそれを研究している人間がいるとは思わなくてとても驚いたよ」
隆士郎の言葉は嘘と真実が混ぜられていた。
そもそも井月家は闇夜姫に仕える一族。
幼い頃から闇夜姫の話しを聞いているのは当然だ。
それをさもおとぎ話、子供への諭しとしてという形で話してみた。
さて、彼はどうでるのだろうか。
宏弥は時々相づちを打ちながら聞いていたが、聞き終わってしばらくは隆士郎の様子を見るようにずっと黙っていた。
その沈黙に耐えかねたのは隆士郎だった。
「どうしたんだい?君ならてっきり質問攻めしてくるのかと」
不思議そうな隆士郎に宏弥は目を伏せる。
「失礼しました。
闇夜姫の資料を探し色々旅もしましたが、闇夜姫について話をする人に会うことなど私と学長含めて四つの事例しか今まで無いので感慨深くなっていました」
「ここにその半分があるというのは確かに不思議な話だ。
今度は私にも君の話しを聞かせてくれるかな」
宏弥は話しを聞いて内心興奮しているのだろうか、それとも真実かどうか判断しようと冷静に見ているのか。
どうなのかわからないほど宏弥の表情は変わらない。