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 五歳の頃、私は母を殺した。

 いや、事故で失った、といった方が正確かもしれない。その頃の記憶はひどく曖昧で、今となっては何が原因でその事故が起きたのかすらよく覚えていないけれど、私さえいなければ母が死ぬことはなかった。それだけは事実だと思う。

 以来、大切な部品を失ったように時を過ごし、迎えた高校二年の夏。

 息苦しい毎日に心が蝕まれていた。

 誰もが憧れる青い春なんてどこにもなくて、目の前に広がる色のない世界をただ漠然と消化していく。正直、今すぐその場から逃げ出して死にたいと思うことなんか日常茶飯事で、でも実際に死ぬ勇気なんてどこにもないから、屍のように生き続ける現実。

 もっとも、構って欲しがりだとか面倒な人種だと煙たがれるのが嫌だから、死にたい、だなんておくびにも出せずにいるけれど。

 今日も自分を偽って健全なふりをする。

 それが私の日常だ。

「……ねぇ月乃(つきの)、聞いてる?」

 底のない水の中を延々と沈んでいくような、あるいは光のない海底で出口を探して彷徨い歩いているような。

「あ、うん。わかった」

 這い上がってくる名もなき負の感情に抗う術を知らない私は、目の前にいる一つ年下の従姉妹・神崎(かんざき) 陽菜(ひな)には目もくれず、小さく頷いて見せた。

「まじ? 今日の五時に成外内(なりそとない)商店街の緑公園集合だけどいい?」

「うん。三時までバイトだから、それ終わったら向かうよ」

「よかったぁー。じゃあ私、部活終わったら着替えて先に行ってんね。月乃の分の浴衣、出しといてもらえるようママには私から頼んどくから!」

 本当は行きたくない。

 でも、それを口にするだけの意志の強さがない。

「うん」

 だから私はそう返事して、目の前にあるスーパーの割引セールで買った一つ六十八円の菓子パンを口に詰め込む。

「あー早く夕方になんないかなぁ」

 きらきら目を輝かせる陽菜とは何もかもが違っていた。

 たとえば、彼女が今頬張った黄金色のふわふわ玉子焼きは叔母さんの手料理の一品だし、次に口にするであろうつやつやの炊き立てご飯が盛られたカラフルなお茶碗は、彼女が数多き友人たちから連名でもらった誕生日プレゼントの一つ。それを持ち上げる指先に施されたラメ入りネイルや、明るく染め上げられたオリーグレージュのロングヘア――今日も小綺麗に三十二ミリのコテで巻かれている――は、当たり前ように校則違反の象徴と言える。

 対して今私が頬張っているものは添加物にまみれる菓子パンにパック牛乳。友達と呼べるような学友はおらず、コンビニバイトに明け暮れる毎日だから従業規則上ネイルなんて当然できないし、黒髪一本縛りの前髪は横分けピン留めでお辞儀しても顔に髪がかかることはない。いつもかけている優等生眼鏡をはじめとして、全体的に生徒手帳にある模範生徒そのもののビジュアルだから校則違反を気にすることは一切ない。

 あまりに対照的すぎてとても血族とは思えない陽菜と私。

 まぁ、同じ親から生まれた姉妹というわけでもないから似てないのは当然なんだけど。

「先行くね」

「うん、夕方よろしくー」

 ひらひら手を振る陽菜にはやはり目もくれず席を立つ。あと五分もすればマンションの一階までゴミ捨てに出た叔母さんが、ご近所さんとの世間話を終えて戻ってくるだろう。朝から小言を言われるのは御免だった。

 鞄を引ったくると足早に家を出て、ゴミ捨て場への最短ルートとは違う非常階段から一気に一階まで駆け降りる。

 日曜日の朝七時三十五分、焼け付くように熱いアスファルトを薄汚れた白いスニーカーで踏みつけながら、私はバイト先のある神社方面まで歩みを進めた。