魔術国家オルチャード。
 魔術師を中心として成長した国家。
 発展した魔法技術により、他国と比べて文明が十年ほど先に進んでいると言われている。
 しかし昨今では他国もオルチャードのように魔法技術を取り入れて、技術面を大きく進歩させているため、その隔たりはほとんどなくなっているそう。
 そんな世界の中心となっている魔術国家オルチャードは、かつて世界的に見ても貧しくて力のない国だったそうだ。
『魔術国家』と呼ばれる以前は魔獣被害の絶えない哀れな『弱小国家』だったらしい。
 というのも昔は『魔法』という概念が確立されていなかったそうで、魔獣に対抗する手段が皆無だったそうだ。
 中でもオルチャードは他国に比べて魔獣的な被害が多く、非常に苦しめられていたと聞く。
 すると突然そこに『謎の魔術師』が現れて、魔獣被害に遭っているオルチャードを魔法の力で救ったらしい。
 その姿を見た国民たちは魔術師を『英雄』やら『原初の魔術師』と呼び称えて、魔法の存在を大層ありがたがったそうだ。
 やがてその魔法を学びたいと思った者たちが、原初の魔術師に教えを乞い、初めは小さな村で慎ましやかな講習会が開かれた。
 次第にそこに人々が集まり、講習会は規模を広げて、いつしかその場所には学習施設が設けられるまでになった。
 これが後の『魔術学園』である。
 そして魔術学園を中心にオルチャード全体に魔法技術が広まり、やがて弱小国家から魔術国家と呼ばれるまでに成長を遂げたのだとか。
 これが『魔術国家』、並びに『魔術学園』の起源だとされている。

「って、マルベリーさんは言ってたよね」

 その魔術学園に向かう道すがら、私はマルベリーさんに習ったことを頭の中で復習していた。
 もしかしたら歴史の問題なんかが筆記試験で出るかもしれないし。
 ただ歩いているだけの時間がもったいないと思ったので、脳内で受験対策を進めることにしたのだ。
 ともあれ私は、そんな風に脳内受験勉強をしながら、咎人の森を出てからは東に向かって歩き続けた。
 王都ブロッサムまではかなり距離があるようなので、途中にある村に寄って馬車に乗るといいらしい。
 というわけで村に到着してすぐに、マルベリーさんの助言に従って馬車乗り場へと向かった。
 するとちょうど東行きの馬車が出発する寸前だったので、急いで乗り込むことにした。

「あ、すみません! 私も乗ります!」

 マルベリーさん以外の人と話すのは随分と久しぶりだったので、若干声が裏返ってしまう。
 密かに恥ずかしがりながら手続きを済ませて、私は馬車に乗った。
 ゆらゆらゆら。
 馬車に乗ったのは実家を追い出された時以来で、少しだけ新鮮な気持ちだ。
 物珍しげに馬車の窓から外を眺めていると、やがて別の村に到着した。
 そこからさらに東に向かう馬車に乗り換えて、再びゆらゆらと揺られる。
 それを日を跨いで三回ほど繰り返すと、ようやく目的地である王都ブロッサムに辿り着いた。

「おぉ……」

 広い。人多い。建物高い。
 率直な感想がそれだった。
 大きな円形の都市。小さな村とかに比べて高い建物が多く、首が痛くなってしまう。
 一番奥に見える最も大きな城は、おそらく王城だろうか。
 町の正門からでも見えるほどでかい。装飾も豪華だ。
 今まで大きな町に出掛けたこともなかったので、余計に珍しく感じてしまう。
 おまけにこの王都ブロッサムは世界で一番魔法技術が発達している都なので、見慣れない道具やら乗り物やらがそこら中に窺える。
 聞き慣れない町の喧騒に、激しく耳を打たれながら、私は恐る恐る表通りを歩き始めた。
 辺りを物珍しげに見回しながら、人波を掻き分けていると、やがてお揃いの衣服に身を包んだ若者たちを目の端に捉える。

「あれってもしかして……」

 魔術学園の学生たち?
 若者たちは全体的に黒を基調とした衣服を着用している。
 男子は薄手のジャケットの上にロングコート。
 女子はフリルの付いたブラウスとスカートを着用して、その上に小さめのマントを羽織っている。
 それぞれ豪華な装飾が施されており、見るだけで上質な衣服だというのがわかる。
 しかも極め付きにその人たちは、魔術師の象徴とも言える“杖”を腰や背中に携えていた。
 マルベリーさんが教えてくれた、魔術学園に通う学生の制服の特徴と一致する。
 そう直感した私は、すぐに若者たちのことを追いかけて、こっそり後ろをついて行くことにした。

「失礼しまーす……」

 すると思った通り、若者たちの後をつけると、学園らしい施設へと辿り着いた。
 青と白を基調とした清潔感のある建物。
 大きな時計塔や広い校庭、校舎の間に見える自然豊かな中庭、そして少し離れたところに訓練場らしきドーム状の施設もある。
 その景色の中に制服姿の若者たちが溶け込んでいる様子は、まさに学園生活のワンシーンを絵として切り抜いたかのようだ。
 これらの特徴は、マルベリーさんから聞いていた話とも一致する。

「ここが王立ハーベスト魔術学園……。綺麗なところだなぁ」

 私はここに通うことになるのか。
 まあまだ入試に合格できると決まったわけじゃないけどね。
 ともあれ目的の学校に辿り着いた私は、さっそく入試の手続きに向かうことにした。
 校門を抜けて、最初に目についた事務室らしい場所に足を進める。
 ガラス張りのカウンターの奥に事務員さんを見つけたので、少し控えめに声を掛けた。

「あのー、すみませーん」

「はいっ?」

 そこから私は、入試の出願をしたいと事務員さんに伝えた。
 するとすぐに手続きの説明をしてくれて、テキパキと対応をしてくれる。
 出願期限が迫って来ているということで、最近は特に申し込みが多いらしい。

「まずはお名前を教えていただけますか?」

「あっ、はい。サチです。サチ・グラシエ……」

 と言いかけ、私は咄嗟に言葉を変える。

「サチ・マルムラードって言います」

「はい、わかりました」

 私はもうグラシエール家を追い出された身。
 その名前を名乗ることは許されていない。
 ていうかこっちだってもう名乗りたくないし。
 だから咄嗟にマルベリーさんの名前を借りちゃったけど、別に問題はないよね。
 国から大罪人という扱いを受けているマルベリーさんだけど、同じ名前を名乗っても特に怪しまれてはいないし。
 もしかしたらあまり珍しくもない名前なのかもしれない。
 次に事務員さんは、魔素を確認させてほしいと言ってきた。
 どうやら単純に魔素の情報を受験票に記載するだけでなく、魔素を見ることでその人の年齢もわかるらしい。

「あ、あれっ? 年齢は十五歳で問題はないんですけど、魔素がものすごく小さいですね。あの、本当に魔術学園の入試を受けるんですか?」

「えっ? はい、まあ」

「そ、そうですか……」

 無謀な者を見る目をしている。
 まあ無理もない。私だって事務員さんの立場だったら、魔力値1で入試を受けようなんて自殺行為としか思わないもん。
 ということがあったけれど、事務員さんはその後、手慣れた様子で受験票まで発行してくれると、それをこちらに渡して最後の説明をしてくれた。

「入学試験は筆記試験と実技試験の二つとなります。ちなみに怪我や事故は自己責任になりますのであらかじめご了承ください」

「あっ、はい。って、怪我や事故?」

 唐突に出てきた穏やかならない言葉に、思わず引っ掛かりを覚えてしまう。

「魔獣との戦闘を想定した試験内容になっていますので、毎年怪我人が続出しているんですよ。ですので事前に怪我や事故が起きることを承諾していただいているのです」

「はぁ、なるほどねぇ……」

 どうやらマルベリーさんの言っていた通りみたいだ。
 魔獣との戦闘を想定した試験内容。
 試験は筆記と実技に分かれていると言ったが、その実重要視されているのは主に実技の方らしい。
 だから実技試験は例年、入学希望者たちにとっては厳しいものになるらしく、それによって怪我人を多く出してしまっているのだろう。
 この学園が完全に実力主義の世界だというのが、すでに入試の段階で明らかになってきた。
 まあ、そのために私は実戦での訓練を数多くこなしてきたんだから。
 怪我や事故はそうそう起きないと思う。
 何はともあれ「わかりました」と返事をして、無事に出願を終わらせた。

「さてと、じゃあ試験当日までのんびり過ごすとしますか」

 学園を後にした私は、再び町の表通りを歩いて宿を探すことにした。
 すると学園近くに手頃な宿屋を見つけて、その一室を長期で借りることにする。
 それからというもの、試験の日まで思う存分町での観光を楽しんだのだった。



 入学試験当日。
 私はたくさんの入学志望者たちの中に混ざり、辺りをキョロキョロと見回していた。
 魔術学園の正門前に、数多くの若者たちが集っている。
 やっぱり良いところの生まれのご子息やご令嬢ばかりが集まっているようで、綺麗な身なりの子たちが多かった。
 そんな中、マルベリーさんからもらった地味目のローブを羽織っているだけの自分が、やや浮いているように感じてしまう。
 居心地はあまりいいとは言えない。ただそこまでの疎外感もない。
 生まれや身分は違うけれど、どうやら抱いている気持ちはみんな同じように見えたから。

「すぅ〜……はぁ〜……」

 ある者は胸に手を当てて深呼吸を繰り返し、またある者は祈るように両手を合わせて佇んでいる。
 やっぱりみんなも緊張しているらしい。
 魔術国家オルチャードに住んでいる子供たちにとって、魔術学園への入学は憧れの一つだから。
 それに私たちは筆記試験と実技試験の二つを実施するとしか聞いていないので、具体的にどんな内容になるかは知らない。
 実技試験においては、魔獣討伐を前提としたものだと中途半端に知らされているため、余計不安になっている子たちがたくさんいるようだ。
 かくゆう私もそこそこ緊張している。
 どんな試験になるんだろう? あんまり難しくないといいんだけど。

「それではこれから入学試験を始める。私が試験官を務めるレザン・エルヴェーだ。最初は筆記試験になるので、受験票の番号を呼ばれたら指定の教室に向かいなさい」

 眼鏡を掛けた紫髪の綺麗な女性試験官さんの指示に従い、私たちは各々指定の教室へと入っていった。
 そしてさっそく筆記試験が開始させる。
 筆記試験は、比較的簡単な問題ばかりだった。
 魔法の原理や魔素の仕組み、他にも魔法に関する重要な問題など。
 国家魔術師を目指す者たちならば、解けて当たり前と思うような試験内容だった。
 と思うことができたのも、マルベリーさんの教えの賜物なんだろうけど。

「では次に実技試験を執り行う。受験者は王都の東門まで来なさい」

 続いては実技試験。
 また試験官さんの指示に従い、私たちは学園を出て王都の東門までやってきた。
 正門となる北門に比べてそれほど大きくはない。
 石畳の小さな階段があり、そこを下りると草原を斬り裂くように均された道が伸びている。
 往来する人たちが僅かにいるため、私たちは邪魔にならないように芝の方に逸れてから、実技試験の説明を受けた。

「試験内容は王都の東に位置する森で、指定の魔獣を討伐してくることだ」

「指定の魔獣?」

 誰もが同じ疑問を抱くと、試験官さんは咳払いを挟んでから続けた。

「王都に住んでいる者たちは承知していると思うが、あの森は『怪花(かいか)の森』と呼ばれる場所で、巨大な花の形をした魔獣――『死花(アイビィ)』が潜んでいる。人を見つけると生命力を吸い取るために近づいてきて、毒などを撒かれることもあるので非常に厄介だ。受験者の君たちにはその魔獣を討伐して来てもらいたい」

 王都の出身ではないので初耳の情報だった。
 東門の前からは確かに鬱蒼とした森林が見えている。
 あそこで花の形をした魔獣を倒してくればいいってことか。
 なんだ簡単そうじゃん。と思っていると、周りの受験者たちはまったく真逆の反応を示した。

「うわっ、死花(アイビィ)かよ」

「よりによって今回の試験がそれか……」

 みんなの反応を見るに、どうやら死花(アイビィ)はかなり厄介な魔獣のようだ。
 どれくらい強いんだろうか? みんなの不安そうな顔を見ていると、次第に私も心配になってきた。
 そんなみんなの気持ちを落ち着かせるように、試験官さんは大人っぽい笑みを浮かべて続けた。

「とは言っても、さすがに受験者の段階で危険な魔獣と戦うのは無理があるだろうからな、事前に大方の死花(アイビィ)は国家魔術師たちに掃除してもらった。現在残っているのは開花する前の“蕾状態”の死花(アイビィ)だけなので、それが君たちが狙う討伐対象となる」

 開花する前?
 それって本来の死花(アイビィ)とどれくらい違うのだろうか?

「開花する前の奴らなら、動きも遅くて力も弱い。魔術学園への入学を目指す者ならば、問題なく倒せる魔獣のはずだ。それを討伐し、討伐証明として蕾の中にある、白い球状の“胚珠”を一つ回収して来てもらいたい」

 と聞いて、みんなは見るからに安堵の息をこぼしていた。
 同じく私もほっと胸を撫で下ろす。
 自信がないわけじゃないけど、王都の周りに出てくる魔獣とは戦ったことがないからね。
 もしかしたら咎人の森にいた魔獣たちとは段違いの強さかもしれないし。
 だから討伐対象があまり強くない魔獣だとわかれば、自ずと安心感も湧いてくるというものだ。

「ちなみに試験中に他の受験者と協力して死花(アイビィ)を倒すのもありだ。ただ死花(アイビィ)の数も限られているので競争形式ということも忘れないでもらいたい」

 協力してもいいけど仲間全員で仲良く合格するのは難しいと遠回しに伝えてきた。
 五人で協力すれば、その分五個の胚珠を回収しなくちゃいけないからね。
 あくまでこれは競争だから、そのことを念頭に置いて、程々に手を貸し合ってくれということだろう。

「制限時間は二時間。それまでに死花(アイビィ)の胚珠を持ち帰って来た者たちに実技点を加点する。それと言うまでもないと思うが、受験者同士で争い、危害を加えて胚珠を奪う行為も禁止とする」

 そこで試験官さんによる実技試験の説明は終わった。
 受験者のみんなは揃って怪花の森に目を向ける。
 そして……

「それでは、始め!」

 試験官さんのその声を合図に、一斉に走り出したのだった。