王立ハーベスト魔術学園――女子寮一階。
『104』の番号の表札が掛けられた部屋に、三人の女生徒が集まっていた。
 そのうちの一人、ウェーブが掛かった緑髪の少女が、指先で髪を巻きながら不満そうな声を漏らす。

「特待生の噂、まったく広がってないんですけどー」

 それに対し、もう一人の水色髪の小柄な少女が、冷静な様子で静かに返す。

「マロン・メランジェとその派閥の人たちが、噂を堰き止めているって言っていたわ」

「はぁ、余計な真似してくれるわね」

 緑髪の少女――ミュスカ・フェルマンテは、一層不服そうな顔で髪を掻き上げた。
 あのメランジェ家の令嬢が介入しているなら、こちらの思い通りになっていないのも頷ける。
 人望があり成績も人格も完璧な彼女に心酔する生徒は多くいるので、その者たちの集いだけで一種の派閥になりかけているほどだからだ。
 特待生とどんな繋がりがあるかは知らないが、面倒な奴らに目を見つけられたとミュスカは舌を打ち鳴らす。
 そして彼女は、不意に自分の失態を思い出し、ますます機嫌を悪くしたように眉を釣り上げた。

(今思い出しても腹立たしいわね……!)

 魔獣討伐の依頼中、調子が悪かったのか、唐突に魔法が使えなくなって逃げ帰るしかなかった。
 そのせいで依頼は失敗に終わってしまい、再挑戦しようにも受付の信用を得られずに受注ができなかった。
 そこで代わりにその依頼を受注したのが、特待生のミルティーユ・グラッセである。
 聞けばミルティーユは、他にも滞留している依頼を片っ端から受けているらしい。
 おそらく、依頼が滞っている事態に学園側が頭を抱えていて、その消化を手伝うことで評価を得ようとしているのだろう。
 特待生の称号をほしいままに手にして、その上内申点まで稼ごうとは見上げた根性である。
 それを憎たらしく思ったミュスカが、身近な友人たちにミルティーユの噂を広めて貶めようとしたのだ。
 しかしまさかあのメランジェの令嬢がそれを妨げてくるとは予想だにしていなかった。
 歯噛みするミュスカを見て、水色髪の小柄な少女――クロゼ・カラレージは考え込むように顎に手を添える。
 すると、クロゼと瓜二つの顔をするピンク髪の少女――アカゼ・カラレージがミュスカの顔を覗き込んだ。

「どうするミュスカ? あの特待生いじるの、もうやめる?」

「やめるわけないでしょ。調子付いてるあいつの心、粉々になるまで叩いてやるわよ」

 ミュスカからしてみれば、単に依頼を横取りされただけではなく、特待生の自分ならこれくらい余裕で達成できるのだと言われた気分になった。
 家章も持たない平民の分際にコケにされたようで非常に腹が立つ。
 噂を広げるだけではまだ足りない。あいつの心が粉々になるまで、とことん追い詰める。

「って言ってもさぁ、目に見えた悪戯は教員の目に触れるかもだし、これ以上は難しいんじゃないの?」

「……」

 アカゼの言うことも正しく、これ以上派手に動けば教員に目をつけられるかもしれない。
 誰かの噂を口にする程度なら咎められることもないけれど、直接的に手を出してしまうと言い逃れもできなくなる。
 名家の子息令嬢が集うこの学園で、評判を落とすことは実家の名前に泥を塗るにも等しい行為だ。
 いくら感情的になっているとはいえ、そこだけは絶対に注意しなければならない。
 何か、教師に目をつけられずに、あの特待生の心を叩き割れるような、そんな都合のいい作戦はないだろうか。
 そう考えていると、ふとクロゼとアカゼ姉妹の会話が耳に入った。

「そういえばアカゼ、あなたちゃんと試験勉強はしているの?」

「してるしてる。クロゼに言われた通り、ちゃんと試験に出そうな場所はパラパラ見てるから大丈夫だよ」

「見るだけではなくて書いて覚えることもしなさいよね。実技試験ほどではないにしろ、筆記試験もそれなりにはレベルが高いって聞いているから」

 期末試験は基本的に筆記と実技の二種類で行われる。
 入学試験の時も同じように筆記試験を終えたのちに、すぐに実技試験の方に移った。
 魔獣討伐を生業とする魔術師を育成する教育施設ゆえに、試験は実技の方に重きを置かれているとは聞くけれど、だからといって筆記を疎かにすると足をすくわれる可能性もある。
 自分も近々一学期の範囲を復習しておくかとミュスカが考えていると、続く姉妹の会話に脳を刺激された。

「クロゼは相変わらず心配性だなぁ。私の方がお姉ちゃんなんだから大丈夫に決まってるっしょ」

「その発言のせいで余計に心配になってきたわ。忘れているはずもないけど、もしこの試験に落ちたら即時退学処分になるのだから、それだけは念頭に置いておきなさいよね」

「ほーい」

「……」

 不意にミュスカは、不敵な笑みをたたえた。

「退学処分、ね。その手があったじゃない……」



――――



 ミルの依頼消化の手伝いの付き添いを始めて、早くも半月が経過した。
 今のところ、ミルの周りでは特に何も起きていない。
 学園内の生徒に嫌がらせを受けることも、はたまた噂を流したと思われる犯人も見つからず、ただ平穏な日々が流れていた。
 これが私が傍にいたおかげなのか、嫌がらせ組が飽きた結果なのかは定かではないけど。
 とりあえず半月ミルの依頼に同行して、私が抱いた感想はこれだ。

「なんかミルって、すごいのに残念だよね」

「ざ、残念って……いえ、事実なので何も言い返せませんけど」

 討伐依頼の報告を終えて、昇降口に向かう道すがら、ミルが肩を落とす。
 落ち込んだ様子を見せているところに追い討ちを掛けるようで申し訳ないが、私はさらに続けた。

「幸運値が0のせいで毎回何かしらのトラブルに巻き込まれてるし、でも魔力値がめちゃくちゃ高いからどんな不利な状況も魔法で強引に解決しちゃってるし」

 まさに、すごいのに残念な存在だ。
 もしこれで不幸体質さえなければ、完璧にかっこいい魔術師になれたというのに。
 と悔やんでいるのは誰よりも、ミル本人だろうけど。

「でも、とりあえずこれで頼まれてた仕事は終わったんでしょ?」

「はい。他にも二年生や三年生の方々が手伝っていたみたいなので、滞留していた依頼はすべて消化できたみたいです」

 となると、いよいよ半月後に迫った期末試験に集中していいということになるだろう。
 試験に落ちてしまったら進級できずにそのまま退学となってしまうので、いつも以上に気を引き締めて臨まなければならない。
 試験は毎回難関だと噂されているし。
 とは言っても、どういう試験になるのかは明らかにされていないので、対策の打ちようもないけどさ。
 もし二年生や三年生に知り合いでもいたら、前年度の試験内容とか聞けてある程度の対策はできただろうけど。

「あっ、ミルと同じように依頼の消化を手伝ってた二、三年生って結構いたんでしょ?」

「はい、そう聞いてますけど」

「その中の誰かと仲良くなったりしなかったの?」

「仲良く、というか会ったこともないですよ。私はただ依頼受付所で滞留している依頼がないか聞いて、それを受けていただけですから。……そもそも会ったところで、私が仲良くお話しできると思いますか」

「……なんかごめん」

 悪いことを聞いてしまったみたいだ。
 深く反省しながらこめかみに指先を当てて、私は唸り声を漏らした。

「うーん、もしミルに二、三年生の知り合いでもいたら、一学期の期末試験で何やったか聞けたんだけど」

「過去問対策ってことですか? まったく同じ試験内容になるとは思いませんけど、まあ確かに何もしないよりかはマシな気が……」

 不意にミルはそこで言葉を切ると、なぜかサッと私の背中に回って体を縮めた。
 そして天敵に恐れる小動物のように、青フードで顔を覆い、私の後ろに隠れながら前方を注視している。
 何事? と思って前を見てみると、廊下の先から見知った人物が歩いてきていた。

「あっ、サチ様」

「おぉ、マロンさんじゃん! よく会うね」

 最近何かと接する機会が多いマロンさん。
 彼女は優しげな笑みを浮かべて挨拶をしてくると、次いで私の後ろに隠れている青ずきんちゃんを見つけて「まあ」と声を漏らした。
 そしてミルに対して「こんにちは」と挨拶をしてくれるけれど、ミルは極細の声で「ど、どうも」と返すだけである。
 相変わらずの人見知り体質である。
 まあ、ミルの不幸体質は周りにも影響を与えてしまうらしく、拘った人たちを不幸にしてしまうため、距離を取らざるを得ないのだ。
 だから仕方ないよね、なんて思いながら、私はマロンさんが歩いてきた方を見て首を傾げる。
 彼女は廊下の正面からではなく、横の渡り廊下の方から歩いてきたので、それが気になってしまった。

「西棟に何か用事でもあったの? 職員室とか?」

「あぁ、いえその、今日は研究会の見学に行っていたのですよ。入学した時からずっと気になっていて、学園生活にもそろそろ慣れてきましたので、いい頃合いかなと……」

「へぇ、研究会か」

 研究会。
 本学園の生徒たちが、共通の目的を持って集まり、自由に議論や研究を行う活動を指す。
 申請のための書類を揃えれば誰でも開くことができるみたいで、現在では二十や三十といった研究会が一つの目的に向かって研究を進めているらしい。
 もし革命的な研究結果を出すことができれば、本格的に国家魔術師学術研究会――通称『魔学会』で発表して成果報酬を受け取ることもできるようだ。
 そんな研究会に、マロンさんは入りたいみたいだ。

「へぇ、マロンさん研究会入るんだ。どこの研究会に入りたいの?」

「え、『演術研究会』に、興味がありまして……」

「演術研究会?」

 耳慣れない名称に疑問符が浮かぶ。
 それよりも、あのマロンさんが珍しく頬を紅潮させているのを見て、私は不思議に思ってしまった。
 見るからに恥ずかしがっている様子。
 その理由はまったくもってわからなかったけれど、答えはその“演術研究会”とやらに隠されているのだろう。

「演術研究会って何するところなの? 『剣術研究会』とか『武術研究会』なら知ってるんだけど、“演術”っていうのは初めて聞くなぁ……」

「あの、えっと……簡単に言えば、舞台上で舞や芸を見せること、ですかね」

 舞や芸?
 舞台に立って、大勢の人の前で踊ったり芸を見せたりするの?

「つまり、舞踊研究会ってこと?」

「正確に言うなら、『魔術師演芸研究会』ですね。通常の舞踊や演芸に魔法を用いることで、一層華やかに舞や芸を見せることを『演術』と呼んでいるんですよ。まだ一部の地域にしか浸透していない呼び方ですけどね」

「へぇ、全然知らなかった」

 魔法を用いた舞踏や演芸。
 それは確かに魔術師にしかできない華やかな見世物だ。
 魔法を用いた剣道を剣術、魔法を用いた武道を武術と呼んでいるのは知っているけど、まさか踊りや芸にまで魔法が使われているなんてね。
 機会があれば一度見てみたいものだ。
 ていうかそれって……

「じゃあマロンさん、もしかして舞台で踊ったり……」

「は、はい。小さい頃に、舞踊の嗜みがありましたので……」

 マロンさんが恥ずかしがっている理由が理解できた。
 舞台に立って、人前で踊るのが恥ずかしいのだろう。
 まあ幼い頃にやっていても、改めてこの歳になってみんなの前で踊るのは勇気がいるよね。
 ましてや学園の研究会でそれをやるとなると、自ずと同年代の生徒たちからそれを見られることになるのだから。
 でもマロンさんはとても綺麗だし、魔力値も高いから相当派手で華やかな舞踊ができるのではないだろうか。

「マロンさんが踊ってるところ、すごく綺麗だろうなぁ……。練習したら絶対に見せてね!」

「いや、その……は、はい。頑張りますね」

 恥ずかしがりながらも頷いてくれたマロンさんは、その後ぺこっと頭を下げて立ち去っていった。
 私は彼女が踊る姿を脳裏に思い浮かべながら、後方のミルに声を掛ける。

「演術研だってさぁ。恥ずかしがってたけど、マロンさんにすごく合ってると思わない」

「は、はぁ……」

「もしかして学園祭とかで踊ったりするのかな? そうだとしたら早く見てみたいなぁ」

「……そうですね」

 いまだに青フードを被って身を縮めているミルが、鈍い反応を返してくる。
 私は苦笑いしながら、複雑そうな顔をするミルの方を振り返った。

「相変わらず他の生徒が苦手かね、ミル君」

「……私と必要以上に拘ってしまうと、不幸な目に逢わせてしまいますからね。サチさんは随分と、マロンさんと親しくなったんですね」

「まーねー。ミルが一人で依頼を受けてる間に色々あったからさ」

「……そうですか」

 ちょっとだけ不機嫌そうな様子。
 その理由はよくわからない。
 まあいいかと思いながら、私はマロンさんが歩いてきた渡り廊下の方に目を向けた。

「研究会、か……。ねえミル、せっかくだから私たちも見に行ってみよっか」

「えっ?」

「研究会だよ。私たちも結構余裕が出てきたしさ、面白そうなところがあったら入ってみるのもいいかなって思って」

 割といい提案なのではないだろうか。
 二人とも期末試験までの討伐点を稼ぎ終えたので、学園依頼を受ける必要がなくなった。
 ミルの依頼消化の手伝いも終わり、放課後にやることと言えば試験の対策くらいである。
 しかしこれといって大した対策もできず、またあの退屈な日々が訪れる恐れがあるので、今から研究会に入っておけば時間を有効に活用できるはず。
 普通に興味もあるし、見学くらいは行ってみてもいいんじゃないかな。
 なんて思って提案すると、ミルは不機嫌そうな顔をそのままに、なんだか鈍い頷きを返してきた。

「……演術研究会以外だったら、まあいいですけど」

「えっ? なんで演術研ダメなの?」

「……なんとなくです」

 なんとなくって。
 でも確かに小心者のミルじゃ、舞台で踊ったり芸を見せたりするのはさすがに無理があるだろうからね。
 高い魔力値と得意の氷魔法を使えば、華やかな演芸を見せることもできるんだろうけど。
 まあミルがそう言うなら、演術研究会だけは避けて見学に行くとしよう。
 いざ、研究会が集まっている特別棟へ。