放課後。
 ミルはレザンに言われた通り、学園長に話を聞きに行くことにした。
 そのためいつも放課後に一緒に帰っているサチは、先に寮部屋に戻っていった。
 あとで話を聞かせてほしいと言われたが、それは内容次第だと思った。
 あまり良い話ではなかった場合、その後の自分の精神がどうなっているかわからないと思ったから。
 何よりそんな不安を抱かせてきたのは、他でもないサチだった。

『もし怒られて泣いて帰ってきたら、私が慰めてあげるから安心して』

『説教をされに行くんじゃないんですから……』

 たぶん、としか言いようがないけれど。
 ともあれ授業が終わり、サチと別れた後は学園長室に向かった。
 魔術学園の校舎は四階建てで、東棟と西棟の二棟が存在している。
 “II”の形で水平に並んだ両棟を、二本の渡り廊下が繋いでいて、上空から見ると学園は“ロ”の形をしている。
 その中央には本日昼食をとった広い中庭があり、生徒の憩いの場として人気が高くなっている。
 東棟には通常の授業で使う教室が集まっており、生徒が主に巡回するのは東棟の方だ。
 一方で西棟は研究会やらその他の特別な用途で使われている教室が多く、教員たちが集まる職員室もこの棟にある。
 そのためミルはほとんど足を運んだことのない西棟に入り、不安げな足取りで廊下を歩いていた。

「う、うぅ、怖いです……」

 先日も職員室に呼ばれてこの西棟にはやって来たが、その時は案内人の先生がいたので迷うことはなかった。
 しかし今日はたった一人。西棟の最上階である四階に学園長の部屋があると聞いているだけで、単独で西棟に入る機会は今まで一度もなかった。
 というか、サチが傍にいない放課後が初めてで、例えようのない不安が込み上げてくる。
 自分がどれだけサチに依存しているか、たったそれだけで呆れるほどわかってしまうが、否応ない恐怖心は抑えることができない。
 何より最近は悪目立ちもしてしまったばかりなので、できれば誰にも会わずに学園長室に辿り着ければいいと思った。
 という願いが神様に届いたのだろうか、ミルは誰ともすれ違うことなく四階に到着した。
 そして学園長室と思しき部屋の前には、見慣れた紫髪の女性が待っていた。

「来てくれて感謝するよミルティーユ君。それじゃあさっそく中に入ろうか」

「は、はい……」

 レザンの姿を見て安心したのも束の間、すぐに緊張の汗が蘇ってくる。
 この黄金色の二枚扉の向こう側に、魔術学園を牛耳る偉大な魔術師が待っている。
 入学式の日に壇上に立って、学園行事についてあれこれと説明してくれた姿は見たことある。
 金色の髪を一つの団子状に纏めている、結構な歳が行っているおばあちゃんだった。
 顔にはシワがたくさんできており、確か杖までついていた気がする。
 思えば学内で学園長の姿を見掛けた覚えはなく、それ以来の再会ということになる。
 依然としてただならぬ不安を覚えていると、レザンが金の扉を三回ノックした。

「アナナス学園長、ミルティーユ・グラッセが来ました」

「うむ、入ってよし」

 扉の向こう側からそんな返事が来て、ミルは思わず首を傾げてしまった。
 なぜなら頭の中に思い浮かんでいる学園長の姿と、今の声の質に、明らかな年齢の差を感じたからだ。

(今のは、子供の声……?)

 不思議に思いながらも扉を開けて中に入ると、そこは豪華な装飾が施された大きな部屋だった。
 部屋の形はほぼ真四角で、隅には柔らかそうなソファとガラス張りのテーブルが置かれている。
 おそらく客人との対話用の席なのだろう。
 反対側の隅には何やら大きな釜が置かれており、中では何かがグツグツと煮えたぎっている。
 御伽噺に出てくるような魔女が、長い木べらで掻き回しているような大釜に見えた。
 何よりもミルが驚かされたのが、部屋の奥の立派な席に腰掛けている、その人物の姿だった。

「おぬしが一学年の特待生となったミルティーユ・グラッセじゃな。よくぞここまで来てくれた」

「こ、こど……」

 想像していた団子結びのおばあさんは、そこにはおらず……
 代わりに、同じ髪型の五、六歳程度に見える金髪幼女が、得意げな顔で待っていた。
 ミルは口をあんぐりと開けて、呆然と固まってしまう。

「んっ? なんじゃ? ワシの顔に何か付いておるか?」

「あっ、いえ、そういうわけではなく……」

 逆にシワも何もない、艶やかな肌をしているのが不思議でたまらないのだ。
 入学式の日に見たあのおばあさんが、この魔術学園の学園長ではなかったのか。
 という疑問に答えてくれたのは、後から続いて入ってきたレザンだった。

「アナナス学園長、擬態の魔法が解けておりますが……」

「んっ、解けてしまったのではなく、今日は最初からそんなもの使っておらぬわ。何せ話をするのはたった一人の生徒だけだからの」

「擬態……」

 見た目を変える魔法は確かにある。
 イメージ力の強い者が使えば、魔獣の姿に化けることもできるくらい汎用性の高い魔法で、今でも戦闘に活用する魔術師が多くいるそうだ。
 しかしどうしてわざわざ、たかが学生の前に出るだけだというのに擬態の魔法を使っていたのだろうか。
 しかもよりにもよって年老いた姿に。
 という疑問が顔に出ていたのか、学園長が自嘲的な笑みを漏らして言った。

「こんなちんちくりんな見た目をしておったら、確実に生徒たちに舐められてしまうではないか。ただでさえ血の気の多い連中が集まる魔術学園なのでな、少しでも貫禄を付けるために老婆の姿をしておったわけじゃよ」

「は、はぁ……」

 幼女から老婆になったところで、大して扱いに違いは出ない気がするのだが。
 それに学園長という肩書きがあるだけで、舐めて掛かろうなんて生徒は一人もいないと思う。
 ミルとしては人見知りなのでどちらの姿でも緊張はしてしまうが。
 ともあれ老婆の姿に化けていた理由がわかり、ミルは改めて目の前の幼女を学園長だと認識した。
 それと同時に学園長も、自己紹介を交えつつ話を始めてくれる。

「さてと、知っていると思うが、ワシがこの魔術学園の学園長のアナナス・クロスタータじゃ。まずは特待生選定おめでとう、ミルティーユ・グラッセ」

「は、はぁ。ありがとう、ございます」

 突然のことに鈍い反応を示してしまう。
 アナナスはミルのその表情を見て、細々とした眉をキュッと傾けた。

「んっ? なんだか釈然としていない顔のようじゃが……?」

「あっ、いやその、いまだに私なんかが特待生で、いいのかなって思っていまして……」

 正直な気持ちを吐露すると、アナナスは『ふむ』と見た目にそぐわない腕組みのポーズをとって、しばし考え込むように俯いた。
 やがて幼なげな顔を上げて、レザンの方を一瞥する。

「確か今回の特待生選定は、魔力値測定の結果だけではなく、その他の成績も加味して判断しているはずであったな」

「はい、その通りです」

 どうやら学園長は特待生選抜にはそこまで深く関わっていないらしい。
 しかし説得力のある言葉を学園長は口にした。

「普段の授業態度や入試の結果、それと学園依頼の遂行度など、それらをすべて総合してみた結果、おぬしが我が校の320期生の特待生に相応しいと断定されたのじゃ。これで納得してもらえたかの?」

「……は、はぁ」

 それでも得心していない様子で、ミルは顔を曇らせている。
 判断基準が魔力値だけではないと聞いて少しは納得できそうな気がしたけど、結局他の成績だって言うほど振るってはいない。
 授業態度はただ大人しいだけだし、入試の結果や学園依頼の遂行度はすべて、あの人の協力があって今の成績を出せているわけだから。
 ということは、やっぱりすごいのは自分ではなくサチの方なのでは?
 またサチのことを頭に思い浮かべて、知らずのうちに自分と比べてしまう。
 勝手に凹んでいると、それを知る由もなくアナナスが続けた。

「それで特待生のおぬしに、折り入って頼みがあるのじゃが」

「頼み?」

 ここに来た目的を思い出す。
 学園長が直接話したいことがあるからということでここに来たわけだけど、自分に頼み事とはいったいなんだろう?

「近頃、生徒たちの学園依頼の不達成率……つまりは“失敗する回数”が異様に高くなっているというのは聞いたことあるかの?」

「い、いえ、あまり聞いたことは……」

 そう言いかけた後で、ハタと思い当たる。
 先日、自分たちが受けた黄金砂漠での岩傀儡(ゴレム)討伐。
 そういえばあれは、自分たちの前に他の生徒が受けていて、岩傀儡(ゴレム)を倒せずに未達成のまま放置されていたものだ。
 そのせいでぱっつん前髪の受付少女が困った様子をしていて、それを見兼ねたサチが依頼を引き受けたという経緯がある。
 というような依頼の失敗が、ここ最近増えているということだろうか。

「新入生だけの話じゃなくてな、進級試験を突破した優秀な二年生や三年生もここ最近学園依頼を失敗することが多くなっているのじゃ」

「ど、どうして……?」

 この王立ハーベスト魔術学園は、世界最高峰の魔術師養成機関だ。
 そこに入学できたというだけでも、魔術師として光り輝く才能を持っている証明となり、そのうえ進級まで果たしている二、三年生はとんでもない実力者たちのはず。
 そんな人たちがどうして、自分で受けたはずの学園依頼を失敗してしまっているのだろうか。
 依頼とは言っても、そこまで難しいものはないはずなのに。

「依頼を失敗した生徒たちは、『調子が悪かった』とか『魔法が上手く使えなかった』とか言っていての、明確な理由は何一つわかっていないのじゃ。仮にも我が校の生徒たちが下手な言い訳をするとも思えないが、兎にも角にもそれが積み重なって未達成で放置されている依頼が急増しているのじゃ」

「な、なるほど……」

 理由はわからずじまいということか。
 明確な原因がわかれば今後の対策も立てられるというものだが、本当にただ調子が悪かっただけなら“時の運”ということになる。
 下手に誰かを責められるわけではない。
 ただ、理由や原因がどうあれ、実際に不達成の依頼が残留しているというのが現実だった。

「そのせいで学園側の信頼もガクッと落ちていてな、魔術学園に頼み事をしてくる依頼人たちも減少傾向にあるのじゃ。そこでおぬしに、一つあることを頼みたいと思ってな」

「そ、それって……?」

 不思議そうに首を傾げるミルに、アナナスは頬を緩ませながら言った。

「現在未達成で放置されている学園依頼を、特待生のおぬしに解決してきてもらいたいのじゃ」

「えっ……」

「すでに優秀な二、三年生にも依頼は割り振っているのじゃが、なにぶん数が数でな。ちょうど一年生の中からも手伝ってくれる人物を探していたのじゃ。そこで成績も優秀で特待生にも選ばれたおぬしの話を聞き、是非手伝ってもらえたらと思ったのじゃよ」

 未達成で放置されている依頼の解決。
 特別難しい内容の頼み事ではないが、なぜ自分が選ばれたのかという理由だけが引っ掛かってしまった。
 なぜならミルは、今まで一人で学園依頼を遂行してきたわけではないから。
 言うなればこの学園、もしかしたらこの世界において最高に心強い味方が常に傍にいてくれたから、簡単に依頼を達成できたのだと思っている。
 それを知らないアナナスは、至極真っ当な理由でミルを選んでいた。

「他の一年生にも任せられそうな生徒はいるにはいるのじゃが、やはり特待生のおぬしが一番信用できる。無理にとは言わぬが、もしやってくれるのなら、通常よりも多めの報酬と討伐点を与えてやりたいと思っている。どうじゃ? 引き受けてはくれぬかの?」

「……」

 先生たちの過大評価です。明らかに実力不足なのでお断りします。
 と、即座に返答したい気持ちでいっぱいだった。
 他の同学年の優秀な生徒たちを差し置いて、二、三年生に混じって学園依頼の消化を手伝うなんて無茶である。
 そもそも自分は特待生なんて名誉ある称号をもらうような人物ではないのだ。
 所詮はサチに助けられてばかりの出来損ないで、自分一人で依頼を解決したことなんて一度もないのに。
 だからその頼み事は聞けません。と、いつものミルだったら遠慮気味に断っていただろう。
 しかしその時だけは、答えを出すのを渋り、難しい顔をして考え込んでいた。
 やがて意を決したように口を開いたミルは、自分でも驚くような返事をしていた。

「わ、私でよければ、是非……」

 ミルは密かに、両の拳をぎゅっと握り締めていた。