リュカがレオンとシャルロットをパルフェの店に連れて行ってくれたあの日。

 馬車に乗って街へお出かけなんて、久しぶりのことに大はしゃぎの二人を優しいまなざしで見つめるリュカの姿にナディアはそこはかとない愛しさを感じていた。

 リュカに痣を見せてほしいと言われて、ナディアは戸惑いはしたが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
 それはきっと、リュカが自分で言ったように見た目で判断するような人ではない、とナディア自身が確信していたからかもしれない。

 あの時リュカが自分にくれた言葉は、確かにナディアの心の枷を少し軽くしてくれた。

 ローズからの言葉が、完全に払拭されたわけでは決してなかったが、ナディアの心は少なからず軽くなった。ずっと、心にのしかかっていたこの痣に対する想いが、リュカによって取り払われていくようだった。

 あの日だけではない。
 ナディアは、もうずっと、リュカに救われている。ナディアだけでなく、ナディアの家族までもを大切に扱い、ナディアが大事に思っているものまで同じように大事にしてくれるリュカに、ナディアは言葉では言い表せないほどの感謝を感じていたし、たくさんのものをもらった。

 ドレスや装飾品のことではなく、ナディア一人では到底手にすることの出来なかった気持ちだ。

(リュカさまとずっといられたら…)

 いつからか、ナディアの胸にはそんな願いが浮かんで来るようになった。

 始まりは、居酒屋での下働きがバレて、半ば脅される形で始まったこの関係が、気づけばリュカの優しさに完全に絆されてしまっていた。

(身の程知らずも良いところね)

 そもそも、これは契約であって本当の恋人ではないし、家格さえも釣り合いが取れるものではない。リュカに愛されているなど思い違いも良いところだ、とナディアはことあるごとに暗示のように自分に言い聞かせていた。

 しかし、リュカの仕事がまた忙しくなってきてしまい、会うこともままならない状態が続いていた。
 ナディアは、またリュカに出会う前と変わらず、孤児院と家の往復と町人からの頼まれごとに精を出す毎日を過ごしていた。

「悪いなぁ、収穫が追っつかなくってよぉ」

 今日は、リンゴ農家のダンの所の手伝いにきていた。毎年この時期になると町中の子どもが駆り出されるのだ。その中にナディアと孤児院の子どもも混じっていた。

「気にしないでください。私もみんなも楽しみにしてるので」

 手伝いが終わると必ず一人ひとつリンゴがもらえるのを、ナディアは楽しみにしていた。もちろん、孤児院の子どもたちもしかりだ。果物は高級なため、めったに口にできないから。

 梯子や台を駆使してみんなでもぎ取ったリンゴはぴかぴかと輝いて見えた。今日はとても気持ちのいい秋晴れで、澄んだ空気が清々しい。

「あ、そこの高いところは僕が取るから無理しないでいいよー!」

 大きな声が農園に響く。

 ノアだった。手伝いの話をしたら自分も行く、と買って出てくれたのだ。背の高いノアがいれば大助かりだ、とナディアもアリスも内心でガッツポーズをとった程。

「ノアってば、明日はへとへとになって起きられないんじゃない?」

 走って行くノアの後姿を見ながらアリスはくすくすと笑った。

「確かに…引っ張りだこだから疲れちゃうわね…申し訳ないことしちゃったかしら」

 不安に思うナディアの肩をアリスがばしっと叩く。思いのほか力が強くてナディアはジンと痛む肩をさすった。

「良いのよ、お坊ちゃまはあれくらい揉まれとけば」
「アリスってノアさまには辛口よね…」
「そりゃそうよ、私の推しカップルの邪魔を…、っと、何でもない何でもない。ほら、私たちも働かなきゃ」
「え、あ、そうね…」

 アリスに言われてナディアも慌てて持ち場に戻る。

「そう言えば、公爵さまとなんかあったー?」

 アリスの乗る台が倒れないように支えていると、上から声が降ってきた。