それをサインに、リュカはナディアの頬に手を添えると、それこそ割れ物を扱うようにそっと自分へと向かせる。

 とても目を合わせられず、ナディアの瞳は伏せられる。そのまつ毛や唇は儚げに震えていた。

 リュカの指先が躊躇いがちに痣を隠していた栗色の髪を耳へとかけると、ナディアのそれが露わになり、白い肌に刻まれた痣は、陽の光に照らされて輝いているようにすら見える。

「とても綺麗です、ナディア」
「…っ」

 伏せられた瞳から涙が溢れ、痣の上を滑り頬を伝った。リュカは目じりにそっとキスを落とす。

「すみません、あなたの嫌がることはしないと言ったのに…」
「…私が、いつ嫌だと言いましたか…」

 泣きながら、いつものリュカの言葉をまねて返すナディアにリュカは目を丸くする。

 ナディアはリュカを真っすぐ見た。アイスブルーの瞳からまた一粒の涙がこぼれる。リュカが、仮面のないナディアの顔を目にするのは、これが二度目だ。けれども、その瞳に正面から見つめられたのは、初めてだった。
 ブルーダイヤのように透き通る瞳が、リュカを射抜く。その美しさに、リュカは息を呑んだ。

「この涙は…、うれし涙です」
「ナディ…」
「リュカさまに、綺麗だと言ってもらえて嬉しかったのです。ありがとうございます」

 恥ずかしそうに、けれども精一杯の笑顔で返すナディア。リュカの言葉は、とても嘘やお世辞を言っている様には思えなくて、すんなりとナディアの心に届いて、しみ込んでいった。

「ナディア」

 頬に触れるリュカの手に自らをすり寄せれば、目じりをなぞるように指先が涙を拭う。
 視線が交差した。
 視線を辿り、近づく吐息と混ざりあう二人のシトラス。
 そして、どちらともなく瞼を閉じた時、互いの唇が触れ合った。ただそれだけなのに、体に電気が走ったように痺れが駆け抜けていく。
 離れたナディアをリュカが追いかけようとした時、

ーーーーガチャッ

 勢いよく開かれたドアから、レオンとシャルロットが顔を出した。ナディアは反射的にリュカの腕を振りほどいて立ち上がった。その拍子に床に落ちた仮面を急いで拾って付け直す。

「リュカ遊ぼ!」
「お客さま帰ったでしょ?」

 リュカに気を取られていたおかげで、ナディアには目もくれず無邪気な笑顔を浮かべながらリュカの前までかけてくる二人。ナディアは平静を装うのに必死だった。

「二人とも、部屋に入る時はノックをしなくちゃダメでしょう」
「いいじゃん、お客さま帰ったし家族しかいないんだから」
「コレットは帰ったけど、公爵さまはまだいらっしゃるでしょう。失礼ですよ」
「えー?ねーねとリュカは結婚するんだからもう家族じゃん」

 不意に投げつけられた結婚というワードに、ナディアはドキリとする。

「け、結婚なんて、そんな…」
「ねーねは、リュカさまと結婚しないの?」
「シャルロット…」

 ナディアと同じアイスブルーの瞳を輝かせて問うシャルロットがナディアのドレスの裾を引っ張った。

「えっと…、先のことはわからないから…、け、結婚だなんてそんなこと、あんまり安易に口にするものじゃないわ」

 こういう時に限って何も言わないリュカの視線を背後に感じながら、ナディアは言葉を選んで二人をなだめるように言う。結婚なんて自分には縁のないものだとナディアは今も思っている。ましてや、リュカの爵位は公爵であり、ナディアの伯爵家とでは家格の差もあるのだし、リュカの立場を考えれば公爵夫人などナディアに勤まるわけがなかった。

「えぇ?だって、リュカが言ってたもん。ねーねと結婚するって」
「レオン、男同士の約束はどこかにいってしまったのかな?」

 その声に振り向けば、椅子に座ったまま優しい笑みを浮かべてこちらを見つめるリュカの姿があった。

「あっ、忘れてた!」

レオンのうっかりにくすくすと笑うリュカの姿にナディアは見惚れてしまう。こんなに、美しくて優しくて、完璧な人が、どうして自分なんかのそばにいてくれるのだろうか。考えても、答えなどわかるはずもなく、ナディアは胸が苦しくなるのだ。滲んでくる涙を、ナディアは瞬きをして散らした。

「そうだ、今から二人をパルフェの店に連れていきましょう」

 手をポンと叩いてリュカが立ち上がる。
 あの日の口約束を、リュカはちゃんと覚えていてくれて、果たそうとしてくれている。その優しさと誠実さに、ナディアは感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。

「パルフェってなに?美味しいの?」
「リュカさまとおでかけー!嬉しい!」

 はしゃぐレオンとシャルロットの手をひいて、リュカはナディアを振り向いた。

「ナディアも一緒に行くんですよ」
「あ、はい!すぐに参ります」

 ナディアは、返事をすると慌てて3人の後を追った。