***
ーーーーー忌々しい。
吐き捨てられた言葉が、ナディアの胸に深く突き刺さって抜けない。
けれども、不思議なことにローズへの憎しみや恨みつらみは無く、ぶつけられた言葉だけがナディアの中にずっしりと重くのしかかり、そこに居座っていた。
ただ、ローズの言葉が、世間の言葉としてナディアは受け止めるべき言葉なのだと、それが「普通」なのだと思い知らされただけなのだ。
いや、思い出された、と言うべきかもしれない。
この顔の痣は、周りからすれば忌むべきものであり、晒してはいけないもの。自分は、ひっそりと陽にあたらぬように生きていくべきなのだ、と。
(わかっていたのに…)
どうして忘れていたのだろう、と振り返るナディアの脳裡に浮かぶのはただ一人。オパールグリーンの瞳をした、彼の人。
リュカと出会ってからだ、とナディアは思う。リュカと出会ってから、自分はとても欲張りになっていった気がする。リュカの周りは、みんなナディアの事を優しく受け入れてくれていた。リュカはいつも慈しむようにナディアを見つめ、甘やかすから。
リュカはナディアがこうなった今も、変わらぬ優しさをくれている。どことなく、変わってしまった自分にリュカが戸惑っているのは感じているけれど、その優しさは相変わらずだった。
リュカは、日向の人だ。
自分とは、住む世界が違いすぎるのだ。
しかし、リュカはすでにナディアにとって、簡単に切り離せる存在ではなくなっていた。
ーーーー怖い。
失うのが、怖い。
なんてわがままなのだろう、とナディアは自分の欲深さを知る。
『ベルナール公爵さまだって、あなたを不憫に思って同情してるに違いないわ。愛されてるなんて勘違いしてないわよね?』
ローズの言葉が頭に響く。
そんなことは、わかっている。
わかっているから、苦しいのだ。
ナディアは、そっと、隣に座るリュカを見上げた。自分は、リュカを失くして、生きていけるのだろうか、と。答えはイエスだ。きっと、生きていける。けれど、その人生はいかほどにつらく苦しい道だろうか。
今、触ろうと思えば触れられる距離にいるのに触れないもどかしさと、以前のように触れてもらえなくなった寂しさを感じているだけで胸が張り裂けそうなくらい苦しいのに…。
失った後のことなど、想像したくもなかった。
「…ごめんなさい、約束も取り付けず急に来て…。公爵さまにも、なんとお詫び申し上げればよいのか…」
静寂を切り裂いたのは、コレットだった。
ナディアの向かい側の椅子に腰を下ろしたコレットは、わざわざ、ナディアに会いに訪ねてきてくれたのだ。
「私のことは気にしなくて構いません」
隣のリュカはナディアの隣でそう言った。柔らかい物言いに、ナディアは少しほっとする。
「ナディア…本当にごめんなさい。謝って済むことじゃないのは、わかっているけれど、どうしても謝りたくて…」
申し訳なさそうに、眉尻を下げて言うコレットに、ナディアは出来る限りのほほ笑みを浮かべた。
「ありがとう、コレット。でもね、コレットに謝ってもらうようなことは何もなかったわ。だからどうか、そんなに気に病まないで」
それは、紛れもないナディアの本心だった。ローズが言ったことはただの事実であり、コレットは家格が上のローズに逆らえなかっただけの話。誰が悪いとか、悪くないとか、そういう話ではないのだ。
「ローズさまに言われたことは、自分でもわかっていたことだし…、ローズさまのように私のこの痣で不快な思いをさせてしまうのも事実だと受け止めているわ」
「ナディア…、私はあなたの痣を醜いとか汚いと思ったことなんて一度もないわ」
コレットの嘘偽りのない言葉に、ナディアはただ「ありがとう」と頷く。
すると、膝に置いていたナディアの手があたたかさに包まれた。隣を仰ぎ見れば、オパールグリーンの瞳が、ナディアを優しく見下ろしている。
「私もです、ナディア。例えあなたの痣を不快に思う者がいようとも、そうでない者がいることもまた事実。それをどうか、忘れないでください」
重ねられたリュカの手から、優しさが染みわたってくるようだった。
ナディアは、二人の言葉に涙をこらえるのでいっぱいいっぱいで、やっとのことで頷いて見せる。
コレットは、見つめ合う二人を見ながら「では、私はこれで」と椅子から立ち上がった。
「コレット、今日はわざわざ会いに来てくれて嬉しかった。ありがとう」
「私のほうこそ、会ってもらえて嬉しかった。ナディア、また会ってくれる?昔みたいに、二人で」
「もちろんよ、コレット」
「約束ね。ーー公爵さま、今日はお会いできて良かったです。お二人の時間を邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
「こちらこそ、会えてよかった。これからもナディアと仲良くしてください」
見送りはいらないと言うコレットを玄関で見送った後、二人は応接間へと戻り、先ほどと同じ長椅子に肩を並べて座った。
そして訪れる静寂。ナディアは急に緊張してきてしまった。
「あ、あの…、お茶を、入れ直して…わっ」
立ち上がったところ、手を引っ張られて体勢を崩したナディアは、リュカの膝の上に着地。慌てて立ち上がろうと試みるも、両腕でがっちりとホールドされてしまった。
「…リュカさま、あの…」
リュカの膝に横向きに座るナディアは、すぐ横にリュカの視線を感じて身じろぎをする。お腹に回された腕を両手ではがそうとしたけれどびくともしない。
さっき、あれほど触れたい、触れられたいと願っていたはずなのに、いざ実現すると恥ずかしさが勝って逃げたくなる。
「ーーーあなたは、美しい」
ーーーーー忌々しい。
吐き捨てられた言葉が、ナディアの胸に深く突き刺さって抜けない。
けれども、不思議なことにローズへの憎しみや恨みつらみは無く、ぶつけられた言葉だけがナディアの中にずっしりと重くのしかかり、そこに居座っていた。
ただ、ローズの言葉が、世間の言葉としてナディアは受け止めるべき言葉なのだと、それが「普通」なのだと思い知らされただけなのだ。
いや、思い出された、と言うべきかもしれない。
この顔の痣は、周りからすれば忌むべきものであり、晒してはいけないもの。自分は、ひっそりと陽にあたらぬように生きていくべきなのだ、と。
(わかっていたのに…)
どうして忘れていたのだろう、と振り返るナディアの脳裡に浮かぶのはただ一人。オパールグリーンの瞳をした、彼の人。
リュカと出会ってからだ、とナディアは思う。リュカと出会ってから、自分はとても欲張りになっていった気がする。リュカの周りは、みんなナディアの事を優しく受け入れてくれていた。リュカはいつも慈しむようにナディアを見つめ、甘やかすから。
リュカはナディアがこうなった今も、変わらぬ優しさをくれている。どことなく、変わってしまった自分にリュカが戸惑っているのは感じているけれど、その優しさは相変わらずだった。
リュカは、日向の人だ。
自分とは、住む世界が違いすぎるのだ。
しかし、リュカはすでにナディアにとって、簡単に切り離せる存在ではなくなっていた。
ーーーー怖い。
失うのが、怖い。
なんてわがままなのだろう、とナディアは自分の欲深さを知る。
『ベルナール公爵さまだって、あなたを不憫に思って同情してるに違いないわ。愛されてるなんて勘違いしてないわよね?』
ローズの言葉が頭に響く。
そんなことは、わかっている。
わかっているから、苦しいのだ。
ナディアは、そっと、隣に座るリュカを見上げた。自分は、リュカを失くして、生きていけるのだろうか、と。答えはイエスだ。きっと、生きていける。けれど、その人生はいかほどにつらく苦しい道だろうか。
今、触ろうと思えば触れられる距離にいるのに触れないもどかしさと、以前のように触れてもらえなくなった寂しさを感じているだけで胸が張り裂けそうなくらい苦しいのに…。
失った後のことなど、想像したくもなかった。
「…ごめんなさい、約束も取り付けず急に来て…。公爵さまにも、なんとお詫び申し上げればよいのか…」
静寂を切り裂いたのは、コレットだった。
ナディアの向かい側の椅子に腰を下ろしたコレットは、わざわざ、ナディアに会いに訪ねてきてくれたのだ。
「私のことは気にしなくて構いません」
隣のリュカはナディアの隣でそう言った。柔らかい物言いに、ナディアは少しほっとする。
「ナディア…本当にごめんなさい。謝って済むことじゃないのは、わかっているけれど、どうしても謝りたくて…」
申し訳なさそうに、眉尻を下げて言うコレットに、ナディアは出来る限りのほほ笑みを浮かべた。
「ありがとう、コレット。でもね、コレットに謝ってもらうようなことは何もなかったわ。だからどうか、そんなに気に病まないで」
それは、紛れもないナディアの本心だった。ローズが言ったことはただの事実であり、コレットは家格が上のローズに逆らえなかっただけの話。誰が悪いとか、悪くないとか、そういう話ではないのだ。
「ローズさまに言われたことは、自分でもわかっていたことだし…、ローズさまのように私のこの痣で不快な思いをさせてしまうのも事実だと受け止めているわ」
「ナディア…、私はあなたの痣を醜いとか汚いと思ったことなんて一度もないわ」
コレットの嘘偽りのない言葉に、ナディアはただ「ありがとう」と頷く。
すると、膝に置いていたナディアの手があたたかさに包まれた。隣を仰ぎ見れば、オパールグリーンの瞳が、ナディアを優しく見下ろしている。
「私もです、ナディア。例えあなたの痣を不快に思う者がいようとも、そうでない者がいることもまた事実。それをどうか、忘れないでください」
重ねられたリュカの手から、優しさが染みわたってくるようだった。
ナディアは、二人の言葉に涙をこらえるのでいっぱいいっぱいで、やっとのことで頷いて見せる。
コレットは、見つめ合う二人を見ながら「では、私はこれで」と椅子から立ち上がった。
「コレット、今日はわざわざ会いに来てくれて嬉しかった。ありがとう」
「私のほうこそ、会ってもらえて嬉しかった。ナディア、また会ってくれる?昔みたいに、二人で」
「もちろんよ、コレット」
「約束ね。ーー公爵さま、今日はお会いできて良かったです。お二人の時間を邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
「こちらこそ、会えてよかった。これからもナディアと仲良くしてください」
見送りはいらないと言うコレットを玄関で見送った後、二人は応接間へと戻り、先ほどと同じ長椅子に肩を並べて座った。
そして訪れる静寂。ナディアは急に緊張してきてしまった。
「あ、あの…、お茶を、入れ直して…わっ」
立ち上がったところ、手を引っ張られて体勢を崩したナディアは、リュカの膝の上に着地。慌てて立ち上がろうと試みるも、両腕でがっちりとホールドされてしまった。
「…リュカさま、あの…」
リュカの膝に横向きに座るナディアは、すぐ横にリュカの視線を感じて身じろぎをする。お腹に回された腕を両手ではがそうとしたけれどびくともしない。
さっき、あれほど触れたい、触れられたいと願っていたはずなのに、いざ実現すると恥ずかしさが勝って逃げたくなる。
「ーーーあなたは、美しい」