リュカが、ここに来るのはナディアを送り届けたとき以来、二度目だった。
そういえば、口論になった時に友だちになったとかなんとか言っていたのを思い出して、リュカは苦虫を嚙み潰したような顔になる。あれからその言葉の通りノアが、自分が仕事で忙しくて会えない間にもナディアに接触していたのかと思うと腹立たしかった。
「お待たせしました!」
少し高い女性の声に、リュカが視線をやるとブラウンの髪をひとつにまとめただけの質素な身なりの女性と呼ぶには少し幼く、少女と呼ぶには違和感がある女性が走って駆けてくる。
確かナディアと同じ年だと聞いていたが、童顔のせいかナディアより幼く見えた。
そんなに急いでくることもないのに、と申し訳ない気持ちになりながらリュカは口を開く。
「初めまして、ベルナール・リュカと申します。あなたがアリスですか?」
「は、はい、アリスです。はじめまして」
「突然おお呼び立てして申し訳ありません。少し話せますか?」
こくこくと首を縦に振って、アリスは「こ、こちらへ」とリュカを食堂へと案内してくれる。促されるまま、丸椅子に腰掛けると、テーブルを挟んだ反対側にアリスも座った。
さっきから感じていたことだが、改めて建物を見回すリュカは何とも言えない気持ちになった。
建物は古く、壁にはひびも入り、欠けた煉瓦はところどころ補修されたあともある。小さな子どもたちが生活するには酷な環境だろうと心が痛んだ。
「あっ、お、お茶!」
「いえ、大丈夫です」
緊張するのも無理はないか、とリュカはまた申し訳なく思いつつ苦笑する。
「お話、というのは…」
「えぇ、…ナディアの事なのですが」
リュカは、アリスの緊張を解くようにゆっくりと言葉を紡いだ。お茶会の日以降、ナディアの様子がおかしい事、自分のは何も話してくれないこと、そして、何か知っていたら教えてもらいたくて今日ここに来たことを。リュカの話を真剣に聞いていたアリスは、神妙な面持ちでひとつ息をはく。
「実は…、私にも話してくれないんです…。私も、あの日から様子がおかしいのは気づいて、どうだったのか聞いたんですけど、ホントに当たり障りのない返事しか返ってこなくて…」
「そうでしたか…。あなたにも話していないとなると、もうお手上げですね。話してくれるまで待つしかないのでしょうか…」
「…ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「あなたのせいではありません。そもそも、私が無理にでも止めさせておけば良かったんです…」
頭を抱えるリュカは、視線に気づく。アリスの緑色の瞳だった。それは、リュカが普段女性から向けられている秋波でもなく、珍しいものでも見るかのような視線だった。リュカと目が合うと、ハッとして両手を顔の前で振って「すみませんっ」と慌てる。
「珍獣でも見るような眼でしたね」
「ち、ちがうんです…、なんか、ナディアの事で悩んでる公爵さまはイメージしてなくて…。ナディアの話だと、翻弄されてるのはいつもナディアの方なので…、公爵さまでも悩むんだなぁと…って、すみません!私すごく失礼なこと!無礼をお許しください!」
椅子から立ち上がって土下座でもしそうなアリスにふと笑みがこぼれる。リュカの表情に安堵してアリスはまた椅子に座りなおした。
「ナディアがどんなふうに私のことを話しているのか興味深いですね。時間があれば是非伺いたいものですが。そろそろ行かなくては。アリス、今日は突然失礼しました。あなたに会えて良かったです。あ、最後にひとつ、ノアはこちらによく来るのでしょうか?」
「あ…っと…、はい、よく来ます。友達と称してナディアに会いに…」
「そうですか…」
「あ、でも、ご安心を!ノアは私がしっかり見張ってますので!私は公爵さまの味方です」
至極真剣な顔で力説されて、リュカはまたしても笑ってしまった。
「ありがとう。とても心強い味方ですね」
見送りについてきたアリスが、まだ何か言いたげな顔をしている事に気づいたリュカは門の前で振り返り、少し間を置いた。
「…あの、私がこんなことをいうのは烏滸がましいのかもしれませんが…」
視線をリュカに移して、アリスが控えめに話しだす。両手は所在なさげに体の前で握られていた。寒いのか、少し震えているようにも見て取れる。そういえば、着ている服も少し薄手だった。
「ナディアを見つけてくれて、本当にありがとうございます。ナディアは、顔の痣のせいでずっと殻に閉じこもって…、誰かに恋をすることも、ましてや結婚とか出産とか、女性として生きていくことを諦めていたんです。酷い時なんて、尼になるとか言ってるくらい。…私、それがとても悲しかったんです。いくら痣があってもナディアは綺麗なんだからって言っても全然届かないし…。でも、公爵さまと出会ってからナディア、少しずつ変わってきたんです」
秋の終わりを告げるような、冷たい風が二人の間をすり抜けていった。
「ノアがここにきてる事、公爵さまは多分知りませんでしたよね?」
見抜かれていたのか、とリュカは内心ドキリとした。
「ナディア、言わなきゃ言わなきゃってずーっと頭抱えてましたから。でも、それは公爵さまに嫌われたくないっていうナディアの気持ちからなんです。まぁ、ノアの下心に全く気づいてない鈍感ナディアも悪いんですけど。これまで孤児院とかごく親しい人としか関りを持とうとしなかったナディアが、公爵さまと出会って、世界を広げていこうとしているようにも見えて、私すごく嬉しかったんです」
なのに…、とアリスは顔を曇らせる。
「なのに、あの高飛車小娘のせいで…!また殻に閉じこもっちゃって、ナディアの馬鹿は!」
どこかで聞いたことのある言葉に苦笑した。きっと自分の事は全て筒抜けなのだろうなとその言葉尻から伺える。ナディアの前では、いつも余裕がなくなる自分を自覚している身としては少しいたたまれなさを残しつつ、リュカは目の前のアリスの目をしっかりと捉え、頷いてみせる。
「…ナディアは、本当に良い友を持ちましたね」
孤児院に来るにあたり、手土産に昼食を用意していたのでリュカは御者に運ばせた。なんとなく歩きたい気分になったリュカは、御者に先に行くと告げて歩を進める。待ち合わせの時間はとうに過ぎていた。
そういえば、口論になった時に友だちになったとかなんとか言っていたのを思い出して、リュカは苦虫を嚙み潰したような顔になる。あれからその言葉の通りノアが、自分が仕事で忙しくて会えない間にもナディアに接触していたのかと思うと腹立たしかった。
「お待たせしました!」
少し高い女性の声に、リュカが視線をやるとブラウンの髪をひとつにまとめただけの質素な身なりの女性と呼ぶには少し幼く、少女と呼ぶには違和感がある女性が走って駆けてくる。
確かナディアと同じ年だと聞いていたが、童顔のせいかナディアより幼く見えた。
そんなに急いでくることもないのに、と申し訳ない気持ちになりながらリュカは口を開く。
「初めまして、ベルナール・リュカと申します。あなたがアリスですか?」
「は、はい、アリスです。はじめまして」
「突然おお呼び立てして申し訳ありません。少し話せますか?」
こくこくと首を縦に振って、アリスは「こ、こちらへ」とリュカを食堂へと案内してくれる。促されるまま、丸椅子に腰掛けると、テーブルを挟んだ反対側にアリスも座った。
さっきから感じていたことだが、改めて建物を見回すリュカは何とも言えない気持ちになった。
建物は古く、壁にはひびも入り、欠けた煉瓦はところどころ補修されたあともある。小さな子どもたちが生活するには酷な環境だろうと心が痛んだ。
「あっ、お、お茶!」
「いえ、大丈夫です」
緊張するのも無理はないか、とリュカはまた申し訳なく思いつつ苦笑する。
「お話、というのは…」
「えぇ、…ナディアの事なのですが」
リュカは、アリスの緊張を解くようにゆっくりと言葉を紡いだ。お茶会の日以降、ナディアの様子がおかしい事、自分のは何も話してくれないこと、そして、何か知っていたら教えてもらいたくて今日ここに来たことを。リュカの話を真剣に聞いていたアリスは、神妙な面持ちでひとつ息をはく。
「実は…、私にも話してくれないんです…。私も、あの日から様子がおかしいのは気づいて、どうだったのか聞いたんですけど、ホントに当たり障りのない返事しか返ってこなくて…」
「そうでしたか…。あなたにも話していないとなると、もうお手上げですね。話してくれるまで待つしかないのでしょうか…」
「…ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「あなたのせいではありません。そもそも、私が無理にでも止めさせておけば良かったんです…」
頭を抱えるリュカは、視線に気づく。アリスの緑色の瞳だった。それは、リュカが普段女性から向けられている秋波でもなく、珍しいものでも見るかのような視線だった。リュカと目が合うと、ハッとして両手を顔の前で振って「すみませんっ」と慌てる。
「珍獣でも見るような眼でしたね」
「ち、ちがうんです…、なんか、ナディアの事で悩んでる公爵さまはイメージしてなくて…。ナディアの話だと、翻弄されてるのはいつもナディアの方なので…、公爵さまでも悩むんだなぁと…って、すみません!私すごく失礼なこと!無礼をお許しください!」
椅子から立ち上がって土下座でもしそうなアリスにふと笑みがこぼれる。リュカの表情に安堵してアリスはまた椅子に座りなおした。
「ナディアがどんなふうに私のことを話しているのか興味深いですね。時間があれば是非伺いたいものですが。そろそろ行かなくては。アリス、今日は突然失礼しました。あなたに会えて良かったです。あ、最後にひとつ、ノアはこちらによく来るのでしょうか?」
「あ…っと…、はい、よく来ます。友達と称してナディアに会いに…」
「そうですか…」
「あ、でも、ご安心を!ノアは私がしっかり見張ってますので!私は公爵さまの味方です」
至極真剣な顔で力説されて、リュカはまたしても笑ってしまった。
「ありがとう。とても心強い味方ですね」
見送りについてきたアリスが、まだ何か言いたげな顔をしている事に気づいたリュカは門の前で振り返り、少し間を置いた。
「…あの、私がこんなことをいうのは烏滸がましいのかもしれませんが…」
視線をリュカに移して、アリスが控えめに話しだす。両手は所在なさげに体の前で握られていた。寒いのか、少し震えているようにも見て取れる。そういえば、着ている服も少し薄手だった。
「ナディアを見つけてくれて、本当にありがとうございます。ナディアは、顔の痣のせいでずっと殻に閉じこもって…、誰かに恋をすることも、ましてや結婚とか出産とか、女性として生きていくことを諦めていたんです。酷い時なんて、尼になるとか言ってるくらい。…私、それがとても悲しかったんです。いくら痣があってもナディアは綺麗なんだからって言っても全然届かないし…。でも、公爵さまと出会ってからナディア、少しずつ変わってきたんです」
秋の終わりを告げるような、冷たい風が二人の間をすり抜けていった。
「ノアがここにきてる事、公爵さまは多分知りませんでしたよね?」
見抜かれていたのか、とリュカは内心ドキリとした。
「ナディア、言わなきゃ言わなきゃってずーっと頭抱えてましたから。でも、それは公爵さまに嫌われたくないっていうナディアの気持ちからなんです。まぁ、ノアの下心に全く気づいてない鈍感ナディアも悪いんですけど。これまで孤児院とかごく親しい人としか関りを持とうとしなかったナディアが、公爵さまと出会って、世界を広げていこうとしているようにも見えて、私すごく嬉しかったんです」
なのに…、とアリスは顔を曇らせる。
「なのに、あの高飛車小娘のせいで…!また殻に閉じこもっちゃって、ナディアの馬鹿は!」
どこかで聞いたことのある言葉に苦笑した。きっと自分の事は全て筒抜けなのだろうなとその言葉尻から伺える。ナディアの前では、いつも余裕がなくなる自分を自覚している身としては少しいたたまれなさを残しつつ、リュカは目の前のアリスの目をしっかりと捉え、頷いてみせる。
「…ナディアは、本当に良い友を持ちましたね」
孤児院に来るにあたり、手土産に昼食を用意していたのでリュカは御者に運ばせた。なんとなく歩きたい気分になったリュカは、御者に先に行くと告げて歩を進める。待ち合わせの時間はとうに過ぎていた。