「う、うん、ほんろら」
「ノアさまだって、何言っているかわからないです」

 鈴を頃がしたようなナディアの笑い声が澄んだ空気に解けていく。ふと、ノアを見ると、彼は赤い頬を隠すように手で口元を覆っていた。

「ノアさま?もしかして葡萄はお嫌いでした?!」
「いや、違う、違うから。好きだよ、って、あ、違う、好きなのは、葡萄の話で…って、そうじゃなくて…~~~~」

 的を得ないノアに首をかしげるナディア。ノアは、いたたまれず「じゃぁ、また」と言って足早に踵を返した。

「ノアさま!ありがとうございます!」

 その声に片手を挙げて応えるノアを見送ってから家に入った。瞬間、ほのかにあの香りがナディアを包んだ、気がした。確信を持てないほど、かすかな香りに、胸が早鐘を打つ。

「お母さま?!どちらですか?」
「あぁ、ナディア!少し前に、公爵さまがいらしたのよ」

 リビングから慌てて出てきた母は、ナディアを見るなりそう言った。

 ーーーーやっぱり、気のせいじゃなかった。

「これをナディアに届けてくださったのよ。せっかくだから直接渡して欲しいとお願いしたのだけれど、忙しいご様子で…」

 渡されたのは小さな小箱。恐る恐る開けると、そこには金に縁どられた小さな赤い石のピアスがひとつ。

「っーーーー」

 あまりに見慣れたそれに、胸の奥からこみあげるものがあった。

「少し前とは、いつでしょう?」
「10分も経っていないと思うわ」
「お母さま、ちょっと出かけてきます。馬をお借りしますとお父さまにお伝えください」
「え、ちょっと、ナディア!?」

 小さな小箱を前掛けのポケットに入れると、母の制止も振り切ってナディアは家を飛び出した。

 厩舎にいるたった一頭の父の馬に駆け寄る。当然鞍はついていなくて、どうしようか逡巡したのちナディアは慣れた手つきで頭絡に馬銜(はみ)と手綱だけつけると厩舎の壁に足をかけて馬にまたがる。

「ごめんね、少しだけ付き合って」

 手綱を引き、馬の腹を蹴る。手綱を短く取り、落とされないように両ひざで馬の肩を挟む。久しぶりの乗馬に少しの不安を感じながらも、ナディアは急いだ。
 家からリュカの邸宅まではしばらく一本道だ。きっと追いつけるはず、と逸るナディア。
 彼女の気持ちに同調しているかのように馬は瞬く間に駆けていく。