「ここまできて隠し事はナシよ、ナディア」

 ぎろりとアリスに睨まれて、仕方なくナディアは口を開いた。

「き、キスを・・・」
「キーーーーーんんっっ」

 今度は、叫ばれる前にナディアの両手がアリスの口を塞ぐ。

「え、え、き、キスって・・・・挨拶じゃなくて?」

 口を抑えるナディアの手を自分ではがすと、アリスはナディアにぐっと近寄って来た。その目は嬉々としている。人の事だと思って楽しんでるな、と思いながらもナディアは続ける。

「ベルナール公爵さまからしたら、あんなの挨拶のうちなのかもしれないのだけど・・・」

 今日の馬車の中での激しいキスを思い出して、ナディアは顔から蒸気が出そうなくらい真っ赤になってしまった。両手でほてる頬を包み込んで冷やしたが、心臓はばくばくと音を鳴らしてやまない。

「さ、さすが社交界一の色男だけあるわ・・・」
「そんなところで感心しないで。ベルナール公爵さまは本当に尊い方なのよ、本来は」
「本来は、ね。でも、公爵さまはきっとナディアの可愛さに一目ぼれしたのよ!そうに違いないわ」
「なに言ってるの、アリス」

 アリスは、事あるごとにナディアの事をかわいいとほめてくれた。仮面を外したナディアの素顔をみては、かわいい、仮面なんて必要ないと言ってくれる。

「何って、本当の事よ。ナディアはこんなに可愛いんだもの。公爵さまも見たんでしょ?ナディアの素顔」
「そうだけど、こんな痣を見て可愛いなんて思うはずないわ・・・。そんな風に言ってくれるのはアリスだけよ」

 そう言いながら笑ったナディア。けれどもその瞳には悲しさを宿していた。いつもそうだ、とアリスまで暗い気持ちになる。
 痣のせいでナディアはいろいろなことを諦めている。
 恋をすることも、結婚することも、()いては子どもを産んで母となることもだ。

 そんなナディアに、例え「役」だとしてもアプローチしてくる異性が現れた事にアリスは少なからず喜んでいた。
 ただ、まだ油断してはいけない、とも感じている。
 もし、ベルナール公爵とやらが、ただの好奇心で、ナディアを弄んでいるだけだとしたら、傷つくのはナディアだ。
 アリスはそうならないでほしいと祈るしかない。

「ナディアは、キスされて嫌じゃなかった?」
 そういえば・・・と、ナディアは考える。

「嫌、ではなかった・・・ただ、突然の事に驚いただけ・・・」

 初めて会った日のキスも今日の二度目のキスも、どちらもあまりに突然で、何が何だかわからないまま終わっていた。
 嫌だ、と思う余裕もないほどに。
 ただ、改めて思い出しても不思議とそこに不の感情はないことに気づく。
 これも、あの社交界一の色男の為せる技なのだろうか、などと馬鹿なことを考えている自分にナディアはあきれた。

「そう、なら良かった。私の大事なナディアに嫌な事したら公爵だろとこのアリスが許さないから!」
「もう、アリスったら。あ、でも、女除けのための恋人役っていうのは誰にも秘密にしてね」
「わかってる。その代わり、ちゃんと報告してね」

 話がひと段落した2人はベッドに横になった。
 ナディアは隣にアリスのぬくもりを感じながら瞼を閉じる。
 今日はおとぎ話に出てくるお姫様のような一日だったせいか、体も頭もひどく疲れていた。
 アリスに全てを話したおかげで少し気持ちが軽くなったのか、その夜ナディアは自分でも驚くほどとても気持ちよく眠りに落ちていった。