桶に張った水面に自分の顔が映る。
 左目の痣は、子どものころから薄くなることも濃くなることも、広がることもなく、ただいつもそこにあった。
 どうして、こんな痣をもって生まれてきてしまったのだろうと、神様を恨んだ事もある。理不尽に母を責めたこともあった。

 でも、それはもう昔のことだった。

 だとしても、この痣は決して美しいものでもない。
 どちらかといえば醜い。
 こんな痣を持つ女など、誰も見向きもしない・・・はずなのだ。
 ましてや女性に事欠くことのないベルナール公爵なら尚のこと。
 恋人役など、いくらでも買って出る女性がいるはずなのにどうして自分だったのだろう、と不思議でならなかった。

 ふと、唇に目がいって、昨日のアレを思い出して顔からぼっと火が出た。
 ほんの一瞬だったのに、そのやわらかさは今もはっきりと唇に残っていて、ナディアの頬を赤らめた。

「あれは、た、ただの挨拶よ、挨拶」

 さぁ、仕事仕事、といつもと変わらぬ一日にナディアはとりかかった。


 あの日以来、リュカからなんの音沙汰もないまま数日が過ぎた。
 やっぱり、あれはリュカのきまぐれで、自分のことなどもうどうでも良くなったのだ、とナディアは思っていた。
 それは、寂しいとか、そういう感情では無く、安堵に近いものだった。
 ただ、下働きで得ていたお給金を他でどう担保しようかと頭を悩ませていた矢先の事。


「お迎えに上がりました。ナディアさま」


 ベルナール公爵家の馬車がナディアの屋敷の前に突如現れたのだった。
 ナディアは、孤児院にパンを届けて家に帰ってきた所で、使いの者に対応していたのはナディアの父と母。
 使用人が居ない以上、客人の相手をするのは父か母かナディアしか居ないのだから仕方のない事だったが、両親には知られたくないと思っていたナディア。

 その願いも今儚く消え去った。