思いを言葉にして伝えることが、こんなにも勇気がいることだとは知らなかった。

 どく、どく、どく、と自分の拍動に鼓膜が押される。

 すると、しばしの沈黙の後、ナディアの両手はリュカによって剥がされていく。

(あぁ……、やっぱり、私はもう……)

 拒絶されてしまった、とナディアは腕の力を抜いた。離れていくリュカに、涙がまた溢れてくる。

 こうなることはわかっていたのに、いざその時になればなんの心構えもできていなかったと思い知る。

「……私がどうしてあなたを捨てるなどと……?」

 手を持ち替えて、リュカはナディアに向き直る。その顔は、依然苦し気にしかめられていた。

「そ、それは……、もともと、私はただの女除けにしか過ぎませんし……、それに、好きになってはいけない、と……契約する際に約束を……」

『私のことを、絶対に好きにならないこと』

 リュカとの出会いは、今も鮮明に思い出せた。唐突に目の前に現れた美しき貴公子のすべては、平凡な生活を送っていたナディアの記憶に強く刻み込まれている。

 あの時は、尊すぎるリュカを好きになるなど、自分には考えもつかず、約束なんてなくても問題ないとすら思っていた。なのにどうだ、自分はリュカの優しさに触れ、いつの間にか心を奪われているではないか。

 ナディアの言葉に少しの間考えたリュカは、思い出したのか「あぁ……」という顔をして額を片手で覆った。

「約束を守れなくて、も、申し訳、ありません……」

 涙ながらに言って、ナディアは俯く。きっと涙で化粧もおちていて醜い顔を見せたくなかったし、リュカの顔を見ることも躊躇われた。

「契約というのは……、ナディアを引き留めるための口実に過ぎなかったんですよ……。怖かったのは、私の方ですナディア。私はいつも、あなたを失うことを恐れていました」

 つながれたままの手に、ぎゅっと力が込められる。リュカが、天下のベルナール公爵が恐れることなどこの世にあるのだろうか。しかもそれが、自分を失うことだなんてナディアは信じられなかった。

「――やっぱり、無理です。私にはあなたを手放すことなどできません」