「実は、さっきの酒場に私もいたのですよ」
「えっ」
「あなたが酔っ払いの喧嘩を止めに入って倒れた時に声をかけたのが私です」
「あ、あの時の・・・・」
でも、どうしてーーーと疑問が顔に浮かんでいたのだろう。公爵は続ける。
「あなたが女性だということはすぐにわかりました。どうして男装などしているのだろうと興味がわいていた所、あなたのここを見てピンと来たんです」
ここ、と人差し指で左目を指さしながら公爵は言った。
(やはり見られてしまっていたのね)
ナディアは心が沈んでいくのを感じるのと同時に、この痣の事がベルナール公爵の耳にまで届いていることに驚いた。
社交界にはほとんど出席していないし、リシャール伯爵家は今や落ちぶれ貴族とまで言われている。
なのに、国王の右腕と言われている公爵のような位の高いお方にまで知られているとはつゆ知らず。
ナディアは、自分の「異質さ」を改めて思い知らされた気がした。
「年端もいかない少女が男装をして酒場でアルバイト。どこかの孤児かとも思ったが、それにしては身のこなしが優雅でした。とても庶民の所作ではなかった。そこに、右目の痣です。私はどうしても確かめたくて、ここで待っていました」
納得いただけたでしょうか、と公爵はナディアの瞳をのぞきこんできた。
「それで・・・・、公爵さまは、それを知ってどうするおつもりなのでしょうか」
「さて、どうしましょうか・・・」
公爵は、意地悪い笑みを端正な顔に刻む。
一体、この公爵が何を望んでいるのか、ナディアはすでに考えるのをあきらめていた。全くもってわからない。
社交界一の色男と言われているようなお方が、しがない貧乏伯爵家の「呪われた子」の秘密を握ってどうしようというのか。
今のナディアには、薄い唇が開くのを、ただ見つめて待つことしかできない。
「伯爵令嬢が男装して酒場でバイトとは・・・・。世間に知れたら、爵位降格か・・・・いや、爵位はく奪は免れないでしょう」
爵位はく奪・・・、それはナディアが一番恐れていたことだ。
例え貧しくとも、この領地を治めることが生きがいの父と母からそれを奪うことだけはなんとしても避けなくてはならない。
鷲づかみにされたかのようにどくどくとうるさい心臓を抑え、ナディアはその場に跪いた。
「ど、どうか、このことは内密にお願いいたします!」
「私になんのメリットが?」
「公爵さまのお望みをなんでも聞きますゆえ!」
「なんでも?」
「はい、なんでも、わたくしめに出来ることでしたらどんなことでも致します。なのでどうかこのことは内密にお願いいたします!」
ベルナール公爵は、少し試案したのち端正な顔に微笑を浮かべ、ひれ伏すナディアを見下ろして言った。
「では、私の恋人になってもらいましょうかーーーー」