「リシャール伯爵家のご令嬢ですね」
曲がった先、屋敷の塀にもたれかかる人影がナディアに話しかけた。冷たいけれど、艶のある声が闇夜にまぎれて消えていく。
「何をおっしゃいますか。わたしは伯爵家の使用人のものです」
震える手をぎゅっと握りしめて、ナディアは答える。
「どなたか存じませんが、急いでいるので失礼」
「私は、リュカ・ベルナールと申します」
頭を下げて通り過ぎようとしたナディアはその場に足が凍り付いて動けなくなった。
この国でその名を知らない貴族は居ないと言っても過言ではないほどの有名貴族。
リュカ・ベルナール公爵は、現王子の指導を任されている王からの信頼も厚いベルナール公爵家の当主だ。
また、その整った容姿と巧みな話術で数々の女性を虜にしてきた社交界一の色男の異名も持っていた。
どうして、こんな所にベルナール公爵がいるのか、しかも自分に声をかけてくるなんて一体どういうことだろう。
ナディアの頭の中は疑問で埋め尽くされた。
けれどもいくら考えても答えなど出るはずもない。
自分はベルナール公爵とは会った事も話した事もないのだから。
「ベルナール公爵さまがどうしてこのような所においででしょうか」
「質問しているのはこの私です」
ぴしゃりとナディアの言葉を押さえつけ、ベルナール公爵は壁から背を離すと近づいてくる。
目の前まで来た公爵は、ナディアからは見上げないといけないほど長身だった。
けれども、ナディアは恐怖で地面を凝視するしかない。
「質問に答えないおつもりですか?」
「いえ、ご質問にはお答えいたしました。私はリシャール伯爵家の使用人でございます」
ナディアの答えに公爵は鼻で笑った。
「あくまでも白を通す気ですかナディア嬢。いいでしょう。では、服を脱いでください、使用人」
「こ、公爵さま。なぜ、そのような・・・」
「聞こえませんでしたか?それとも私の命を聞けないというのでしょうか。男なら服を脱ぐことくらいせん無い事。服を脱いで自分はナディア嬢ではないことを証明してみせてください。でないと私は納得しませんよ。それとも、今すぐリシャール伯爵にあなたが本当に使用人か尋ねてもかまいませんが?」
取り付く隙もない言葉に、降伏するほか道がないことを悟り、ナディアは息を吐いた。
今の今まで、呼吸もろくにできないほど自分が緊張していたことに気づいた。公爵は、自分がリシャール伯爵家の長女ナディアだという確信を持っている。
この使用人を名乗る自分が、服を脱いで証明することなどできないことも端からわかっているのだ。
「申し訳ございません、嘘を申し上げました。公爵さまのおっしゃる通り、わたくしはリシャール伯爵の長女ナディアでございます」
深くかぶっていた帽子を取り、膝を折って頭を垂れるナディア。
顔を上げたナディアの目に、ベルナール公爵の笑みが映りこんだ。
その笑みは、なんというか、勝ち誇った風でもなく、ナディアの返答にただ満足している風としか言えない、嫌味っぽさのかけらも感じない不思議な笑みだった。
間近に見る噂の公爵は、予想していたよりもずいぶん若かった。
切れ長のオパールグリーンの瞳はまさに宝石のようにキラキラと光り、すこし癖のある美しいブロンドヘアは耳のあたりまで伸びている。
耳には小さな小さな赤い石のピアスが着けられていた。
「初めまして、ナディア嬢。改めて、私はリュカ・ベルナール公爵と申します」
先ほどまでの威圧的な態度が嘘のように消え去り、ナディアは公爵の目的がますます見当がつかず困惑する。
それでも挨拶を交わしつつ、疑問をぶつけてみた。
「あの、どうして私だとわかったのでしょうか・・・」
公爵は、大仰に両手を広げ「覚えてくれてないのですか、冷たいお人だな」と言うが、ナディアにはまったく覚えがない。
曲がった先、屋敷の塀にもたれかかる人影がナディアに話しかけた。冷たいけれど、艶のある声が闇夜にまぎれて消えていく。
「何をおっしゃいますか。わたしは伯爵家の使用人のものです」
震える手をぎゅっと握りしめて、ナディアは答える。
「どなたか存じませんが、急いでいるので失礼」
「私は、リュカ・ベルナールと申します」
頭を下げて通り過ぎようとしたナディアはその場に足が凍り付いて動けなくなった。
この国でその名を知らない貴族は居ないと言っても過言ではないほどの有名貴族。
リュカ・ベルナール公爵は、現王子の指導を任されている王からの信頼も厚いベルナール公爵家の当主だ。
また、その整った容姿と巧みな話術で数々の女性を虜にしてきた社交界一の色男の異名も持っていた。
どうして、こんな所にベルナール公爵がいるのか、しかも自分に声をかけてくるなんて一体どういうことだろう。
ナディアの頭の中は疑問で埋め尽くされた。
けれどもいくら考えても答えなど出るはずもない。
自分はベルナール公爵とは会った事も話した事もないのだから。
「ベルナール公爵さまがどうしてこのような所においででしょうか」
「質問しているのはこの私です」
ぴしゃりとナディアの言葉を押さえつけ、ベルナール公爵は壁から背を離すと近づいてくる。
目の前まで来た公爵は、ナディアからは見上げないといけないほど長身だった。
けれども、ナディアは恐怖で地面を凝視するしかない。
「質問に答えないおつもりですか?」
「いえ、ご質問にはお答えいたしました。私はリシャール伯爵家の使用人でございます」
ナディアの答えに公爵は鼻で笑った。
「あくまでも白を通す気ですかナディア嬢。いいでしょう。では、服を脱いでください、使用人」
「こ、公爵さま。なぜ、そのような・・・」
「聞こえませんでしたか?それとも私の命を聞けないというのでしょうか。男なら服を脱ぐことくらいせん無い事。服を脱いで自分はナディア嬢ではないことを証明してみせてください。でないと私は納得しませんよ。それとも、今すぐリシャール伯爵にあなたが本当に使用人か尋ねてもかまいませんが?」
取り付く隙もない言葉に、降伏するほか道がないことを悟り、ナディアは息を吐いた。
今の今まで、呼吸もろくにできないほど自分が緊張していたことに気づいた。公爵は、自分がリシャール伯爵家の長女ナディアだという確信を持っている。
この使用人を名乗る自分が、服を脱いで証明することなどできないことも端からわかっているのだ。
「申し訳ございません、嘘を申し上げました。公爵さまのおっしゃる通り、わたくしはリシャール伯爵の長女ナディアでございます」
深くかぶっていた帽子を取り、膝を折って頭を垂れるナディア。
顔を上げたナディアの目に、ベルナール公爵の笑みが映りこんだ。
その笑みは、なんというか、勝ち誇った風でもなく、ナディアの返答にただ満足している風としか言えない、嫌味っぽさのかけらも感じない不思議な笑みだった。
間近に見る噂の公爵は、予想していたよりもずいぶん若かった。
切れ長のオパールグリーンの瞳はまさに宝石のようにキラキラと光り、すこし癖のある美しいブロンドヘアは耳のあたりまで伸びている。
耳には小さな小さな赤い石のピアスが着けられていた。
「初めまして、ナディア嬢。改めて、私はリュカ・ベルナール公爵と申します」
先ほどまでの威圧的な態度が嘘のように消え去り、ナディアは公爵の目的がますます見当がつかず困惑する。
それでも挨拶を交わしつつ、疑問をぶつけてみた。
「あの、どうして私だとわかったのでしょうか・・・」
公爵は、大仰に両手を広げ「覚えてくれてないのですか、冷たいお人だな」と言うが、ナディアにはまったく覚えがない。