すべての季節に君だけがいた

「いやーでも、あの隠しコマンド見つけたときは、心臓ぎゅってなりましたけどね」
 思わず「え」と声を漏らしてその場に固まる。
 すると、驚き固まっている俺を見て、同じように板野さんも「え」と声を出した。
「もしかして……気づいてなかったんですか? あんなに分かりやすかったのに」
「いや、全然……。そんなのどこにあったの?」
「〝分からない〟、の選択肢の右下にある、不自然な矢印を押せば出ますよ」
「えっ」
 静かな場所なのに思わず大きな声を出してしまい、俺はすぐに口を片手で押さえる。
 隠し……コマンド? 
青花が隠した選択肢って、いったいなんだ……?
「あっ、すみません師走さん。今日SNS友達とオフ会があって、そろそろ抜けます」
「ああ、うん」
「じゃあまた明日会社で! 隠しコマンドのこともまた明日……!」
 慌ただしく席を立つ板野さんに、俺は緩く手を振って見送る。
 しばらく茫然自失していたけれど、すぐにハッとして、空になったコップを持って俺も席を立った。
 ――今すぐ、青花の隠したメッセージを見たい。
 その思いだけで、走って地下鉄まで向かった。

 何もない殺風景な部屋に戻ると、俺は部屋の電気を乱暴につけて、すぐにパソコンを立ち上げる。
 機械音が静かな部屋に響いて、ログイン画面が表示された。
 ノールックでパスワードを入力し、すぐに青花のゲームのサイトに飛ぶ。
 ドクンドクンと、心臓が強く激しく鼓動している。

【私の名前は〝aoca〟です。皆さんの選択を導いて、世界を救ってさしあげましょう】

「久々だな……この画面」
 青花にそっくりな天使が、クリオネのようにふわふわと変わらず浮いている。
 俺はゆっくり次のページをクリックして、選択画面へと移動した。

【私、aocaは永久に眠り続ける世界平和の元門番であり、いたずら好きの天使でもあります】
【さて、私を起こせば世界を救える可能性もありますが、いたずら好きのため未来の保証はできません。ここからは賭けになりますが、どうしますか?】

▼叩き起こす
▼起こさない
▼分からない


 相変わらずめちゃくちゃな選択肢。俺は目を凝らして、隠された記号を探す。
「あった……」
 たしかに、〝分からない〟の選択肢の下に、小さく「→」が付いている。
 どうしてこんなに分かりやすい隠しコマンドに、気づかなかったんだろう。
 タッチパッドに添えた人差し指と中指が、微かに震えている。
 この矢印をクリックしたら、青花の隠した思いが見えてしまう。
 俺は一度ごくりと唾を飲み込んでから、そっと矢印をクリックした。
 すると、そこにはこれまでなかった第四の選択肢が突如現れた。

▼眠る私のそばにいる

「そばに……」
 その言葉を見ただけで、ぐっと目頭が熱くなる。
 涙が出ないうちに進まなければと、俺は恐る恐るその選択肢をクリックした。
 すると、画面上の天使はこう答えたのだ。

【君と生きる世界は美しかった。もっと一緒にいたかった。もし生まれ変われたなら、次の世界でまた会いましょう】

 ……ああ、ようやく聞けた。
 ようやく、青花の本音が聞けた気がした、今。
 涙が頬を伝う。ぽたりと手の甲に涙が落ちて、指先も震えた。
 新しい人生を歩みましょうなんて背中を押しながら、彼女は俺がそばにいることを本当は望んでくれていた。
そして、生まれ変わった世界で会うことを願ってくれていた。
「うっ……ふっ……」
 あれから、十年以上もの時間が過ぎた。何度も何度も季節は巡った。
 未来が見えない俺たちは、ひとつも約束を果たすことができなかった。
 同じように時間を刻むこともできなかった。
 眠っている間に俺の人生は進み、青花の人生は止まったままだった。
 でも、君を大切に思う、その気持ちは、何度季節をまたいでも揺るがない自信があったんだ。
 自分が老いて姿が変わっても。
 どんなに時が経っても。
「青花っ……うっ……」
 青花。君が目を覚ます日を、ずっと、ずっとずっと待つつもりだったよ。
 でもそれは、本当に悲しいけれど、叶わなかった。
 だから、今度は青花が待っていて。
 俺がいつか永遠の眠りについて、いつか生まれ変わって、また新しい世界で目を覚ますその日まで。
 俺が目覚める日を、今度は青花が、ずっとずっと待っていて。
 その日まで、一分一秒たりとも無駄にせず、生きていくと誓うから。
 今度こそ約束だよ、青花。

【禄、大好きだよ。大好き……】

 そのとき、ゲーム画面の天使が、しゃべるはずもないのに、そう囁いた気がした。
 生きている意味がないと泣いていた君が、あの夜残してくれた言葉。
「青花。俺も……大好きだよ」
 画面越しに浮かぶ天使に、絞り出すような声でそう伝える。
 今日は、もうこれ以上ないくらい泣いて、青花の記憶に浸ろう。
 そして、朝が来たら、涙を拭いて、立ち上がって、季節を何度もまたいで、日常を重ねよう。
 君がくれたたくさんの奇跡を胸に抱いて、歩いていく。
 そうしていつか人生の役目を終えたら、一番に君に会いにいくから。

 眩しいくらいの、朝を迎えよう。
 次の世界こそ、君と一緒に。

次の世界で


 病院から勝手に抜け出したその日。
夜が明けるまで私たちは一緒にいて、朝日が昇る様子を夕焼けだんだんから眺めた。
 線香花火の終わりかけの火球のように溶けだしそうな太陽が、禄の真っ黒な髪の毛をオレンジ色に染めている。
「綺麗だね」と禄が言うので、私も「うん」と頷く。
 あまりの美しさに、涙が出た。
 この世界と、長い長いお別れの時間が近づいている。
 禄の手を握り締めながら、禄と出会えるのはこの一週間が本当に最後かもしれないと、覚悟もしていた。
 私は全ての景色を目に焼きつけるように、ゆっくり瞬きをする。
 禄が隣にいるだけで、世界はこんなにも美しく輝くんだ。



「神代君、娘が迷惑をかけたな……」
 朝方病院に戻ると、一晩で少し老けたんじゃないかという様子のお父さんが、私たちを部屋で待っていた。
 この最後の一週間、時間の猶予をもらったけれど、病院で過ごすことが原則だと言われている。
 禄は静かに首を横に振ると、私の目を優しく見つめる。彼の瞳に促されて、私はぺこっとお父さんに頭を下げた。
「あの、心配かけて……ごめんなさい」
「全くだ。どれだけ肝を冷やしたか……」
 お父さんは一瞬声を荒らげたけれど、すぐにへなへなと力なく椅子に座り、顔を片手で覆う。
 それから、力なく言葉を続けた。
「いや、いいんだ。もう、生きてさえいればそれで……」
「え……」
 思いきり怒られる覚悟をしていた私は、拍子抜けしてしまった。
 まさかこんなに弱気なお父さんを見ることになるなんて……よほど心配をかけてしまったんだろう。
 私は素直に心から反省し、お父さんに近寄り、小指を差し出す。
「この最後の一週間、絶対無理しない。ずっとベッドで安静にしてるって、約束する」
 きっぱりそう言いきると、お父さんは少し驚いた顔をしながらも、不器用に小指を絡める。
 お父さんの指は私の指よりずっと太くて、少し冷たかった。
 禄は何も言わずにそんな私たちを遠巻きに見守っている。
「あのねお父さん、この一週間、禄とも一緒にいたい」
「ああ、もちろんだ」
「ずっとちゃんと紹介してなかったけど、禄は私の大切な人なの」
 突然の紹介に、禄は思いきりうしろでうろたえている。
 しかし、お父さんは眼鏡の奥で目をわずかに細めるだけで少しも動揺しておらず、「そうか」と優しくつぶやいた。
 こんなに優しい声が出せる人だなんて、今まで知らなかった。
 ……本当に、この世界は、向き合わなければ見えてこないことばかりだ。
「父さんは……、青花の目覚めを必ず待ってるから」
「あはは、ちゃんと長生きしてよー」
 私は冗談を言って返すけれど、お父さんは優しい笑みを浮かべたまま。
 そして、私を安心させるように宣言した。
「目覚めた世界で、ひとりになんてさせないからな」
「え……」
 その言葉は、私の不安を一気に溶かして、優しく体を包み込んでいった。
 お父さんはまっすぐ私の目を見つめながら、言葉を続ける。
「今まで、寂しい思いしただろう。玲子がいなくなって……、年頃の娘との距離感が分からなくなっていた。すまなかった、青花……」
「お父さん……」
「久々のひとり暮らしにはなるが、健康第一で待ってるよ」
 そう言って、お父さんは目を細める。
 今まで聞いたことのない本音を知った私は、少し戸惑っていた。
私は、お父さんの本当の優しさに、全く気づけていなかったんだな……。
ちくんと胸が少し痛んだけれど、親孝行は目が覚めたら考えよう。きっとまだ遅くない。
私は、「待ってて」と明るく言い放って、お父さんに笑顔を向けた。

 それから私と禄は、毎放課後を一緒に過ごした。
 イヤホンをしながら病室でオンラインゲームを対戦したり、ガンクロさんの配信動画を一緒に観たり、作りかけのゲームをお互いそれぞれ進めたり。
「ねぇ、そのゲームやらせてよ」
 ノートパソコンでゲームをこそこそ作っていると、突然禄がしびれを切らしたようにそう言ってきた。
 私が眠るまでにゲームをやらせてもらえると思っていたんだろう。
 一向に教えてくれそうにない私に、少し拗ねた様子でお願いしてくる禄。
「私が目覚めたらね」
 いたずらっぽくニヤッと笑って返すと、彼は途方に暮れたような顔をする。
「それ、何年先なんだろ……」
「その方が待ち遠しくていいでしょ」
 なーんて嘘だけど、と心の中でつぶやく。
 永久コールドスリープに入る前に、私は二つのことを決断していた。
 一つ目は、五年後までにもし目を覚ませたら、禄に会いに行くということ。
 二つ目は、五年経っても目を覚ませなかったら、このゲームをお父さんから禄に渡してもらって、さよならするということ。
 きっと禄は何も納得できないと思うけれど。
 でも、五年もあったらきっと環境は大きく変わるし、禄に大切な人ができていたり、私の存在が薄れていたりしても仕方がない。大人になりすぎた頃に高校生の私と再会しても、きっと戸惑うだけだと思うし。
 だったら、そのときはもう別々の世界でお互い生きた方がいい。……なんていうのはただの綺麗ごとで、私の知らない世界を生きてきた禄を見ることが怖いから、本当は逃げたいだけかもしれない。
 でも、この決断に後悔や迷いはないよ。
 禄には、私に縛られすぎずに、新しい人生を歩んでいってほしいから。
「あ、青花見て。桜吹雪だ」
「えっ、ほんとだ! 雪みたい」
 禄の言う通り、カーテンを全開にしていた窓の外で、桜の花びらが風に乱れ散っている。
 眩い夕日に透かされながら、雪のように儚い花びらが四方に舞う。
 立ち上がった禄が、窓を少し開けて手を出して、手のひらで桜の花びらを受け止めた。
「見て、五枚も取れた」
「わー、春だー」
「はは、シンプルな感想だ」
 禄は笑うとき、目がふにゃっと細くなる。それがとても愛おしい。
 私は花びらを全て両手で受け取ると、それを禄の頭の上に降らせた。
「えいっ」
「わっ、びっくりした。何するの」
 禄の頭上から、桜の花びらがひらひらと舞う。
 彼は驚いたように花びらを受け止めている。
「私が寝てる間も、禄に神のご加護がありますように、祈っといた!」
 自信満々にそう伝えると、禄は「雑な祈りだなー」と苦笑する。
 私も笑いながら、禄の髪の毛に載った桜の花びらを取ろうと手を伸ばす。
 しかし、そのまま腕を引っ張られ、禄にぎゅっと抱き締められた。
「……青花にこそ、神のご加護が、ありますように」
 私よりもずっと真剣に、そうつぶやく禄。
 あまりに優しく、祈るみたいに抱き締められたので、私は不覚にも一瞬涙腺が緩んでしまった。
 でもそれを、ぐっと堪える。最後の一週間くらいは、笑顔の私でいたいと思っているから。
「夢の中に、禄がたくさん出てきたらいいな」
「……出られるように、頑張って念じておく」
「ふふ、いいねそれ」
 抱き合いながらそんなバカげた話をしていると、開いた窓から風が入り込んできて、机に裏返しで置いていたメモの切れ端を攫ってしまった。
 私は床に落ちたそれにすぐに気づくと、禄に見られないように、無理やり彼の顔の角度を変えてから、紙を素早く拾い上げる。
「あ、危なかった……! 見てないよね?」
 急いでベッドに戻りつつ問いかけると、禄は怪訝そうに眉を顰めた。
「見てないけど……何隠したの? メモ?」
「秘密!」
 禄は私が背中に隠したものをじっと覗き込んでくるけれど、身をよじって何とか隠す。
 じつはゲームのメインキャラとなる天使の絵を、メモの切れ端に描いていたのだ。
 絵心がないのでめちゃくちゃ下手くそだし、何だかゆるキャラみたいになってしまったので恥ずかしいから見せたくない。
「何のメモかも教えてくれないの」
 しかし、禄があまりにしゅんとした顔で聞いてくるので、心が揺らぐ。
 私はうーんと斜め先を見上ながらよくよく考えて、説明する。
「……私が作ってるゲームのキャラの、デザインラフ」
「なるほど。どんなキャラにしたの?」
「て、天使……」
 いろいろネタバレしてしまってるけれど、まあいいや。
 開き直った私は、イラストを隠しながらもしぶしぶ答えた。
 すると、禄は不思議そうな顔で、「なんで天使にしたの?」とさらに聞いてくる。
「禄が神様だから」
「ふ、まだそれ言ってるの?」
 真剣な顔で返す私に、禄は呆れたように苦笑を漏らした。
 私は頭の中に自分が描いた天使を思い浮かべながら、心の中で理由を補足する。
 天使にした理由は、五年後、もし禄がこのゲームを開いたとき、力が抜けちゃうくらい可愛いキャラがいいだろうと思ったんだ。
 あと、禄のお守りになってくれるようなキャラは何かなって考えたとき、真っ先に天使が出てきたから。
「だって禄は、私の神様だもん。やっぱり」
「それ、俺の名字に引っ張られてるだけでしょ……」
「違いますー」
 冗談としてしか受け取ってくれないけれど、私にとって、禄はやっぱり神様みたいな存在だよ。
 禄が現れてから、私の一日は一年分みたいに濃くなった。本当に、魔法みたいだったよ。
 どんな未来も受け入れて、前に進もうと思えたのは、間違いなく禄と出会えたから。
 私だってできれば、五年以内に目覚めて、禄と一緒にこのゲームをやりたいし、完全に諦めている訳でもない。
 でも、五年以内に治療法が見つかることは、どんな神様でも難易度高めな奇跡だと思うから。
「禄、未来で会おうね」
 私は再び、夕焼けだんだんで交わした約束を口にする。
 禄はうんと力強く頷いて、「約束する」と優しい声で返してくれる。
「青花」
 それから、名前を優しく呼ばれ、ふいにキスをされた。
 それは本当に一瞬の出来事で、ぽかんと口を丸く開けて驚いている私を見て、禄も少しだけ顔を赤らめている。
「ごめん、いきなり」
「う、ううん……! 全然、いいよ」
どうしよう、心臓を労わらなきゃいけないのに、初めて禄からキスをされて、激しくドキドキしている。私はぶんぶんと手を横に振って取り繕い、なんとか動揺していることを悟られないようにした。
甘酸っぱい空気が充満している部屋の中に、窓の隙間から、桜の花びらが入り込んできた。
「あ、禄、また桜が!」
 照れくさくて、会話に困った私たちは、二人でその美しい景色を見上げる。
 禄の瞳の中にも、儚げな桜が舞っている。
「綺麗だね」
 禄がそうつぶやくたびに、心が、震える。
 ……ねぇ、禄。
もし君が大人になっても、桜を見て綺麗だと思うこの気持ちを、どうか忘れないでいてほしい。
 たとえこの先、どんなに悲しいことやつらいことがあっても。
 世界を敵だと思わないで。ひとりで考え込まないで。必要とされていないなんて、悲しんだりしないで。
 もし生きてる意味がないと感じることがあったら、ゆっくり目を閉じてから空を見上げて、視界いっぱいにこの世界の広さを感じてみてほしい。
 そして、思い出して。
 何度でも季節は巡るということを。
 どんな人にも、等しく……優しく。


「禄と一緒に見る桜が、世界で一番綺麗!」
 一週間ごとに季節が巡っていく美しい世界を、私は君と生きた。


end

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