腐女子とゆめかわ男子の契約恋愛



校門を出ようとしたところで、後ろから声を掛けられた。梶原だった。

「よお、遅いな」
「そうでもないでしょ、文化祭前よりは早いわ」
「まあ、そだけどよ」

そう言って梶原が鳴海の隣に並んだ。帰る時間が一緒であれば、路線は一緒で鳴海が途中の駅で先に降りる。そういう惰性がこの二年間で出来ていて、鳴海と梶原は当たり前のようにして並んで歩いた。

「もうクラスが受験一色で滅入るって……」
「そんなのうちのクラスだってそうよ。みんなここが頑張り時なんだもの。人生の岐路よ、岐路」

進学する大学で、人生のかなりの道が変わる。そういう意味では此処からのラストスパートは必須だった。それでも息の詰まる受験勉強はメンタルが疲弊する。気分転換しねーか、と言ったのは梶原だった。

「意外。余裕ね」
「余裕でもねーけどよ、残り少ない高校生活が勉強一色でもつまんねーだろ?」

まあ、同意はする。梶原の晴れやかな顔に、一日くらいならいっか、という気分にさせられた。

「初心に戻ろーぜ。ピーロランド……とまで行くと、俺がハメ外しすぎるから、ちょっと頑張って、リッツカートルトン」
「おごり?」
「しゃーない、おごる」

じゃあ、行くか。梶原に貰ったアクキーも、栗里に貰ったぬいも、まだ家の外で撮影をしていない。オタク同士、好きなだけお茶とケーキと推しを撮りまくろう。

「おしゃれして来いよ」

あれ、なんかどっかできいたセリフだな。どうせ梶原は鳴海にそう大して期待は持っていないだろうから、気が楽だ。

「あんたも限定クロピーのぬいぐるみ持ってらっしゃいよ」
「言われないでも持ってくって」

そう言って約束した日には、二人そろってテーブルにかわいいアフタヌーンティーセットの傍に推しを置いて写真を撮りまくった。相変わらず梶原はうわごとのようにクロピーを褒めて、鳴海はアクキーとぬいのバランスにてこずった。梶原がクロピーに対する賛辞を垂れ流す度に気持ち悪いと思っていた最初の頃が古ぼけたモノクロの解像度の悪い写真に思えてしまうくらいに、今、目の前でクロピーを褒めまくって写真をバシャバシャ撮っている梶原は、鳴海から見てかわいかった。じっと梶原がクロピーを愛でている様子を見ていたら、なに、と怪訝な顔をされた。

「前来た時は、クロッピで散々BL妄想してたくせに、今日は大人しいのな。やっとクロッピの魅力を分かったのか」
「いや、クロピーは相変わらず黒いペンギンにしか見えないわね。それにクロピーのカップリングを考えたところで、私が萌えないなら無理にカップリングを考える必要はないのかなって思っただけよ」
「『息をするようにカップリングを考えるのが腐女子の性(さが)』とか言ってたくせに」
「多分、受験勉強で疲れてるんだわ。確かに萌えセンサーが鈍いし……」

あの時は自分たちでもカップリングを考えた。鳴海が攻めで梶原が受けだと真剣に思った。それが今じゃどうだ。まるきり反転して欲しくなっている。うああ! と鳴海は頭を抱えたくなった。そんなに乙女になったって、梶原は腐女子に乙女心を求めてなんかいないのに!

ああ、意味のない思考がむなしい……。鳴海たちはやっと一通り写真を撮り終え(推しを食べかけの食べ物となんて写さないのが常識である)、きちんとティータイムを行った。スコーンにクロテッドクリームとジャムを乗せながら、鳴海がこの前のウイリアムとテリースの新衣装の感想とイベントの内容について話していると、ところでよ、と梶原が口を挟んだ。

「そのぬいぐるみは何処で買ったんだよ。俺見たことねーけど」
「ああ、これは栗里くんが買ってくれたのよ」

鳴海がそう言うと、声を上げて憤慨した。

「はあ!? お前、いつの間にあいつから物貰ってたんだよ! 一応俺の彼女だろ!?」

『一応』だからね。ホントの彼氏でもないのに、なに鳴海を拘束するつもりで居るんだろ。それに、そもそもの原因は梶原だ。

「栗里くんには、あんたが由佳のこと好きだってバレてるからね。それをカタにされて、一度だけ出掛けたわ。そもそもあんたが迂闊だから、私が被害を被ったのよ。むしろ私は被害者よ」
「ちぇ……」

梶原は抹茶のフィナンシェをひと口齧った。

午後の陽光がラウンジの大きな窓から差し込んでいる。外は真冬の寒さだが、施設内暖房と、その煌めく陽光のおかげで、この場はまるで春みたいだ。鳴海はスコーンを食べ終わると紅茶をひと口飲んだ。カップを置くと、梶原がフィナンシェを半分食べたところで、クロピーの頭を撫でた。

「高校に来て、この趣味打ち明ける羽目になるとは思ってなかったなあ」

梶原がクロピーをなでながらうっとりとそう言う。そう言えばこの人、公衆の面前でクロピー好きを告白したんだよな、と鮮明な記憶を顧みた。

「結局あんたは勇気を出したんだもんなあ。それも由佳の前で。凄いよ、尊敬する。でも私も、高校来てまでこんなにオタ活が出来るとは思わなかったから、楽しかったなあ。梶原のおかげだよ」
「そりゃ、お互い様だろ。それに勇気出したってんなら、お前だってそうじゃん。河上たちと腐女子仲間で盛り上がってたの、知ってんだぜ、俺……」
「あれ、見てたの?」
「通りがかりに見えたの!」

むう、と少し拗ねたような顔をした梶原が一転、はあ、とため息を吐いた。見てた、と、見えた、の違いにむっとしたのは分かるけど(いや、そもそも些細な違いだからそこにこだわる理由は分かんないけど)、何故ため息を吐かれなきゃいけないのかは分からない。それでも、梶原に感謝してることは伝えなきゃ、と思って、鳴海は言葉を続けた。

「でもさ……、やっぱり梶原が最初に私のスマホ見た時に、中学の同級生みたいに囃し立てて、気持ち悪がって、茶化さなかったからさ、最悪な状態からのスタートにならなかったじゃない。それが私には幸いしたと思うんだ。それに、契約持ち出されたときは、マジか、梶原、頭大丈夫か、って思ったけど、よくよく考えてみれば、そのあと梶原、決定的に私の腐女子を否定しなかったよね。だからだと思うんだ。あんたが私の腐女子を受け止めてくれたから、私も梶原の前で自信を持ってオタ活出来た。いろんなデート、楽しかったよ。ありがとう」

微笑む鳴海に、梶原が渋面をした。

「止めろよ、今生の別れみたいに」
「でもまあ、それに近いんじゃない……? 高校までは中学生を引きずっていられるけど、大学は世界が広そうだから、それが出来るとは思えないし……」

だから、鳴海も大学に入学したら、きっぱり梶原を忘れる。春休み中はぐずぐずしてしまうかもしれないけど、大学に行ったら気持ちを切り替えるんだ。鳴海の晴れ晴れとした顔を見て、梶原が拗ねたような顔をした。

「……まだ卒業式があるだろ。お前ひとりで先に卒業するなよ……」
「うん、まあ、そうなんだけどね……」

気持ちの整理は、少しずつつけていかないと。梶原はまだ拗ねたような顔をしている。オタ友が遠くなるのが寂しいのは分かるけど、それも踏まえての卒業だから。

「卒業式で、今までのこと全部丸く収まるの。それが、私の望む卒業式よ」

カップに残った紅茶を飲み込んで、鳴海が前を向く。梶原は、やっぱり不貞腐れたような顔のままだった。



月曜日に登校すると、敦は栗里を呼び出した。

「なに? 前に渡り廊下から見てたの、知ってるけど、梶原は市原さんに本気じゃないんだから、僕は責められる理由がないと思うけど?」

栗里は俺が話しかけるとイライラして言った。当たり前だ。こいつは俺のライバルでもある訳だし。だけど手を借りるなら栗里しかいない。俺は頭を下げて事情を話した。

「はあ? 告白したい子がいるから力を貸せって、馬鹿なの? なんで僕がお前に協力しなきゃいけないわけ? お前が生田さんを好きだったとして、それは絶対叶わないし、もしホントにそうなら僕はとことんお前の邪魔をするね。お前には恨みがあるからさ。それ以上に、まさか今更市原さんに本気だなんて言わないんだろ? もしそうなら、余計に邪魔したいね」

栗里は苛立ちも露わにそう言った。しかし敦は栗里に頼むしかないのだ。出来ることは全てやってしまっていて、あとは栗里だけが頼りなんだから。敦はもう一度、協力してくれ、と盛大に頭を下げた。DKのプライドなんて言ってられない。好きな子に告白できずに卒業なんて、出来るもんか。
栗里が、呆れた顔をして敦を見ていた。










桜のつぼみが硬く結んだその先端を綻ばせている。空には雲がたなびき、少しぬるんだ風が鳴海の頬を撫でた。講堂で卒業式のリハーサルを終え、三年生は帰宅していった中、鳴海は久しぶりに生徒会室に来ていた。……もう籍を譲ってしまった部屋だけど、この部屋で梶原と色々な話をした。しんみりと三年間の思い出を思い出していると、ガラリと扉が開き、梶原が入って来た。

「あれっ、市原、来てたの?」
「梶原こそ、なんで来たのよ」

鳴海が振り向くと、梶原は照れたようにへへへ、と笑った。

「まあ明日で高校生終わりだし、積もる思い出に浸ろうかと思ってさ」
「そうね。明日で終わりだね……」

春の空気に溶かすように加奈子が言うと、梶原が、そうだな、と頷いた。

「契約も、……明日までだ……」
「そうだね……」

本当に梶原と関わってしまって、三年間色々あった。思い出せばキリがない。全ての始まりはあの春からだった。梶原に腐女子がバレて、契約カップルになった。一方的かと思ったら、梶原も脛に傷持つやつだった。お互いがお互いの推しを推し続けて、相手の推しを最初はけなしたが、次第にそれを推す姿勢を受け入れていった。思いもかけなかった時に鳴海は梶原への片想いを自覚し、それと同時に失恋した。それでも梶原が笑っているのが嬉しかった。幸せそうに手を繋いだ梶原と由佳の姿を見て、ちょっと胸は痛かったけど、でも嬉しかった。あの春にスマホを落とさなければ、梶原がぶつかって来なければ、こんな気持ちを抱くことはなかったんだなあと思いつつも、それを含めて、楽しい思い出が出来たと思う。心残りと言えば、梶原が由佳に告白しなかったことだ。はっきりさせて、鳴海に決定打を突き付けて欲しい。大学へ行ったら忘れるつもりだけど、春休みの間、もやもやして仕方ない。だから、促すつもりで言ってみた。

「……梶原……」
「ん? なに?」
「ホントに由佳に告白しなくていいの……? もう会えなくなっちゃうんだよ……?」

本当に自分でも何をお節介妬いてるんだか。それでも梶原には明日校門を出るときに晴れ晴れと笑っていて欲しいから……。だから。

「かじ……」
「言うよ」

ふと。
言葉が被った。
梶原が真剣な顔をして鳴海のことを見ていた。
その目を見て悟る。

ああ。やっと決心したんだ。梶原は悔いなく高校生活を終えることが出来るんだ。

どこか安堵の気持ちと、一抹の寂しさ。そんなものを抱えて、鳴海は頷いた。

「……大丈夫だよ……。梶原なら、きっと上手くいく」

鳴海が言うと、梶原は表情を和らげた。……まるで今の流れる空気みたい。ぬるんで、あたたかくなったそれみたい。







……梶原に、春が来る……。





そして翌日。晴れて進路も決まり、鳴海は清々しい気分で卒業式を迎えた。桜のつぼみはまだ硬いが、鳴海の心はもう新しい生活へと半分飛び立っていた。勿論残りの半分は、由佳との別れを惜しむものだ。

卒業式もつつがなく終え、教室で担任から最後の挨拶を聞いたあと、由佳と一緒に校門を目指した。あそこを超えてしまうと、もう今までのように毎日会うことはなくなる。寂しかった。

「メッセ送るね」
「時々手紙も書くわ」
「一人暮らしの部屋、遊びに行っても良い?」
「いいわよ、大歓迎!」

くすくすと笑いながらゆっくりと校門に近づく。校門の脇に植えられた大きな桜の木の下に、梶原が佇んでいた。その視線がこちらを見る。その表情が真剣で、……ただ卒業式だったから、という真面目な顔ではなかった。

(お……っ、いよいよ覚悟を決めたのかな……。そうだよね、私と違って、梶原はもう、由佳と繋がりがなくなっちゃうんだもんね……)

それならもっと早くに行動に移せばよかったのに。そう思ったけど、じれじれと焦らされながら、別れの機会にならないと行動を起こせない優柔不断なキャラも、二次創作でかなり読んできた。読者(なるみ)としては焦らされたが、梶原と由佳が、晴れてハッピーエンドを迎えるなら、それも良いと思う。梶原は基本的に悪いやつではないし(ゆめかわオタクであるというだけで)、由佳は、超が付くほどいい子だ。
ホクホクとしながら、鳴海が由佳と歩いていると、桜の下に立っていた梶原がこっちへ向かって歩いて来た。

(キタワアーーーーーーー-!!!)

いよいよここで梶原の一世一代の告白か!! そう思って半歩、由佳の後ろに控えた。そのとき。

「い……、い、市原!」

……、…………。

ぽかんと立ち尽くした鳴海に真っすぐの視線を向けているのは、間違いなく梶原だ。その光景を、頭の中で理解できない。

WHAT? なんつった? 今?

由佳は、半歩後ろに居た鳴海を振り向いてきらきらとした笑顔を浮かべている。
鳴海は慌てて梶原に声をかけた。

「梶原? 落ち着いて? あんたがこの場で声を上げるなら『生田』であって、『市原』じゃないでしょ?」

最初の発音が『い』で、同じであったために、緊張のあまり混乱したのかと思った。しかし梶原は視線をそらさず鳴海を見る。

「おっ、俺は……っ、憧れの子よりも、ありのままの俺を受け入れてくれた市原に、改めて交際を申し込みたい!」

ざわざわざわっ。

名残惜しそうに校門付近で記念撮影をしていた卒業生、見送りに並んでいた在校生。その全ての目が鳴海と梶原に注がれた。

ええええ!? あんた、今まで言ってたことと、全然違うじゃん!!

そう戸惑いつつも、何故かじわじわと嬉しさが込み上げてくる。

「梶原、マジで言ってる? 私は『市原』で、由佳が『生田』だよ? それに、交際って、契約じゃなくて?」
「おう! 本気と書いてマジだ!!」
「マジなの!? どうしちゃったのあんた、ホントに!! 男子が支えたくなる女子が好きって言ってたのに!! 私なんて、全然支えたくなるキャラじゃないじゃん!!」

鳴海が混乱しながら言うと、梶原はそうでもない、と真剣な顔で鳴海を見る。

「昨日、俺のこと思って身を引こうとしてた、頭が良すぎて気が回りすぎる市原は、何としても誤解を解いて、余計なことを考えるその頭から守ってやりてーって思った」

はあ? そんなの、気にするに決まってんじゃん!! だって仮にも、……す、好きになった相手を、困らせたくないっていうのは、恋する乙女だったら誰でも思う事じゃないか。

「お前はも少し、栗里や清水を見習えばよかったんだよ」

梶原の言葉で、栗里か清水が、三人が会したあのデートで鳴海が言ったことを、梶原に知らせていたことが分かった。

参ったなー。全部つつぬけなの……。

「お前みたいな才女には、俺みたいな野生児で丁度バランスが取れるんだよ。黙って彼女になりやがれ」
「自分を推すのにそんな言い方しかできないの……」

こんな口説き方、ウイリアムだったら絶対にしない。でも鳴海の心はメープルシロップたっぷりのホットケーキを食べたみたいな幸福感に包まれていた。

「わりぃかよ。俺の頭ではこれが精いっぱいのグッドチョイスだ。さあ、市原の最推し、交代の瞬間だぜ」
「呆れた。図書室で勉強した時間は無駄だったのね……。それに最推しはこれまでもこれからもウイリアムとテリースだけだから。其処はどんだけ頑張っても譲れないから。っていうか、梶原ごときの顔でウイリアムとテリースに取って代わろうなんて千年早いわ。私の推しを軽く扱わないでくれる?」

ちっちっちっ、と舌を鳴らすと、梶原はむっとした顔をして、鳴海に選択を迫った。

「強情張んなって。んで、どうすんの? ホントのところ、彼女になる? ならない?」
「……でも梶原、東京行くんでしょ?」


鳴海は地元に残る。梶原との距離は、結構遠い。鳴海がそう言うと、やっと梶原が不安そうに瞳を揺らした。

「……遠距離は、無理か……?」

遠距離になったら、今までみたいに顔は見れなくなる。当然、寂しい。……と思う。しかし、鳴海は腐女子だ。二次創作を大量に接種している為、妄想は得意だ。

「大丈夫! 梶原の一人暮らし、毎日妄想するから! エブリデイエブリタイム妄想で補完するから!」

どん! と胸を叩くと、梶原は不安そうな顔を一転させて、この春の青空みたいに晴れやかに笑った。

「お前、本当に残念な、真性腐女子美人だな!」
「お互い様よ!」

破願した鳴海が言うと、いつの間に来ていたのか、栗里が梶原の隣に立ち梶原にピンクの花冠を渡した。

「文化祭ではこいつに盗られちまったからな。やり直しだ」

梶原は、にかっと笑って言うと、その可憐なピンクの花冠を鳴海にそっと被せた。
ピンクは由佳のイメージだって言ってたのに……。

急に頬が熱くなる。私、梶原にかわいいって思われてんのかな……。そうだったらどうしよう。やだ、なんか嬉しい……。

「心残りだったんだよ、これ。やり直せてよかった! 夏休みにお前が東京に来たら、二人でピーロランド行こうな!」

そう言って梶原が笑った時、校門付近に集まっていた卒業生たち、それから見送りの為にその場にいた在校生たちが、一斉に叫んだ。

「Congratulation!!!」

わあん、と生徒たちの声がその場に響き、それと同時に何か丸いものが空高く投げ上げられた。……まるで防衛大学の卒業式みたいな、そんな光景で、高く高く投げ上げられたそれらは、鳴海たちの周りにぽとんぽとんと降って来た。それは沢山のウイリアムとテリースのうつ伏せぬいたち、そしてクロピーのぬいぐるみだった。

餞(はなむけ)だ。鳴海と梶原のオタクを受け止めた上での、皆からの餞だ。

嬉しい……。鳴海が腐女子でも、梶原がゆめかわオタクでも、みんなは受け入れてくれた。隠すことはなかったのだ。

「市原さん! もっと一緒にウイリアムとテリースについて語りたかったよう!!」

叫んで話し掛けに来てくれたのは、香織。

「ごっ、ごめん!! 私ももっと早くから一歩踏み出してればよかったって思ってる! メッセ交換して!!」
「勿論よう!!」

さっとスマホを取り出して、ID交換をして、香織がぎゅっと鳴海に抱き付いてきた。ああ、こんな幸せな卒業式は想像していなかった。嬉しくて、同志と笑い合う。その様子を見ていた梶原が鳴海に右手を差し出してきた。香織が、お邪魔したね! と言って去って行くと、鳴海も梶原を向き直った。そして固く握手をする。その様子を少し離れたところに居た栗里が穏やかに微笑んで見つめ、その表情を見た清水が、ぐっと堪えた表情をしたのち、やや俯き、少し口もとに諦めの微笑みを浮かべた。

「これ(ぬい)、誰の発案? 梶原なの?」
「そうだ。俺ら、ずっとみんなを騙してたろ。だから、最後にみんなに知ってもらえたら良いかなって思ったんだ」

得意げに笑う梶原に、突っ込むことを忘れない。

「実は卒業しちゃうから出来たんでしょ」
「まあ、そういう面もあるな。でも、隠さなくてもこんなに晴れやかな気持ちで、お前という心と心を分かり合える真の恋人は出来たし!」

恋人、と言われて、ちょっと照れる。鳴海にとって、梶原とは、オタ活仲間の時間が長かったから。

「毎日、妄想日記送るわ。添削して」
「ホンットーに、お前って、残念美人!! でも、お前となら遠距離でも大丈夫って自信持てるわ!」

二人の笑い声が青空に吸い込まれて、周りからも一斉に爆笑が起きた。その賑やかな光景の中、梶原がふと、鳴海の指に、指を絡めて握った。……ちょっと、恥ずかしいじゃないか。でも、どっか胸の奥がぽかぽかして、頬に熱が集まるのを止められない。今までとは違った接触に照れくさくてもぞもぞとした鳴海の手を、梶原がしっかりと握りしめた。……ああ、梶原、ホントに私のこと……。そう思ったら、胸の中にじんわりとした甘いメープルシロップが満たされてきて、甘い匂いに溺れて酔ってしまいそうだった。

「改めて、卒業生の先輩方、おめでとうございます!!」

校門前に集まっていた卒業生たちが在校生たちの声に応じて、わあーっと腕を振り上げ、賑やかに校門を出ていく。

卒業だ。卒業だ。学び舎からの卒業、そして。








契約カップルから卒業して、本当の恋人になる――――。










今まで帰り道が途中まで一緒だったという事は、勿論卒業式を終えてから帰る道だって一緒だという事だった。鳴海は梶原に手を握られたままで歩いていて、やはりリアルの恋が恥ずかしくて、梶原から逃れようとした。

「か、かじわら……、て、……はなして……」

自分は梶原に対して、こんなにも弱々しい声を出すような腐女子だっただろうか。それでも、繋がれたてから感じる梶原のぬくもりにふにゃふにゃになりそうになりながらも、鳴海は梶原に懇願した。梶原はちょっとむっとした顔をして、「ヤなの?」と問うた。

「ヤ……、とかでは、ないんだけど……、……だって、梶原だって、今まで私に対して契約の時からずーっと『好き』って思い続けてきたわけじゃあ、ないんでしょ? 私たちは同志、オタク仲間だったじゃない……。急に間合いを詰められても……」

慣れないぬくもり、慣れない距離に鳴海が戸惑っていると、梶原は「しかたねーなあ」と言って、やっと手を放してくれた。

「確かに同志の時間は長かったさ。でも、好きだと思ったら、色々考えるのが普通だろ?」
「は……、はあ!? い、いろいろって、なによ!! やだよ、そんな……」

そんなの、とまで言わせずに、梶原は鳴海の唇を塞いだ。一瞬で離れたそれは、しかし、鳴海の頭を真っ白にするには十分な出来事だった。

「!! !! !!!」
「当分はこれで我慢しといてやる。でも、俺は東京行っちまうから、こっちにいる間はぎっちりデートしようぜ」

にやにやしながら言う梶原に対して、鳴海は言葉が継げない。はくはくと息を繰り返した。

「馬鹿――――っ!!! もう絶交だっ!!!」
「絶交って、子供かよ!」
「だって梶原が意地悪するから!!」

恥ずかしさが振り切れて怒りに変わっている鳴海に、梶原が拗ねた顔を見せた。

「じゃあ、金輪際会わないつもりかよ」
「そ……っ、そういうわけじゃ、ないけど……」

言葉尻が弱くなった鳴海に、梶原が笑った。

「はは、期限直せって。東京でお前の推しのグッズ、代わりに買っといてやるからさ」
「基本的に推しには自分で愛を注ぎたいから、そういうのは要らない。努力の末に入手するという過程も、グッズに愛情を注ぐ一因になるから。それよりホテルのデザートブッフェが良い」
「またリッツカートルトンかよ!! あそこたけーんだよ!!」



梶原の叫びが響き、鳴海の笑い声が青空に溶けた……。


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