「お疲れ」
「いや、こっちこそごめん。俺の顔立ててくれて……」
結局、プランナー代はどうにもならないけど、生花店とのメッセのやりとりで生花は提供してもらえることになった。花冠に仕立てるのは、華道部の部員の中には洋花も扱える部員が居るらしいから、その人たちに頼もうという事に落ち着いた。華道部の部長も突然の申し出を快く受けてくれて助かった。良くも悪くも梶原のリーダーシップがものを言った。
そんな夜遅い帰り道だったけど、鳴海の心は弾んでいた。学校から帰れば、家で『TAL』の新衣装を見れるのだ。今年は『TAL』が発売になって五年目で、記念の年だから色々なオプションが用意されているらしく、新衣装も度々公開されている。そんな喜びが脳内いっぱいに広がっていた時だった。
「あぶね!」
ぐっ、と横からウエストに引っ掛けられた腕の力で背後に引き戻されたかと思うと、ドン、と背中に制服の感触を感じるとともに、目の前を派手なクラクションを鳴らしながらゴオーっという音をさせてダンプが通り過ぎて行った。……横断歩道が赤だったのだ。
「おいおい、死ぬ気かよ」
「い、いや、ごめん……。前見てなかった……」
急にどきんどきんと心臓が走り始める。あの大きなタイヤに引かれていたら、打撲程度じゃすまなかった。そうなれば、新衣装のウイリアムとテリースにも会えなかった。……って、それより。
ぎゅっと背後から抱き締められたままの姿勢にどきどきする。これって、吊り橋効果だよね?
「……っ、く、くるしいんだけど……」
訴える声が弱々しくて、我ながらぎょっとする。梶原はもっとびっくりしたようで、あ、わり! と慌てて手を放してくれた。でも……。
梶原が、確実に、鳴海の命を守ってくれたのだ。
電車に乗っても鳴海の心臓はおかしかった。梶原は最初のデートの時から変わらず、何時も通り鳴海を扉の横に立たせて、自身は握り棒を持っているだけなのに、鳴海の心臓は跳ねっぱなしだった。
どきん、どきん、どきん、どきん。
顔の向きをそのままに、視線だけを梶原の顔の方に向けてみると、梶原はぼーっと車窓から流れていく夜景を見つめているだけだった。それなのに。
のどぼとけ、出っ張ってるなあ、とか、あれっ? もしかして髭、生え始めてるのかな? とか、意外と体臭、くさくないんだな、とか、たった今、新鮮に知ることばかりだった。
列車がレールを滑る音に合わせて、鳴海の心臓が跳ねる。
タタン、タタン、タタン、タタン。
どきん、どきん、どきん、どきん。
なんで急に、こんなに梶原に対して心臓鳴らしてんだろ。おかしいや、私……。
『次はー、――――駅、――――駅~……』
そう車内放送が流れた時だった。降車の客だろうか、二~三人の人の塊が扉の方に寄ってきて、梶原を後ろから押した。その拍子に、どん、と壁に付かれた梶原の手は、鳴海の顔の真横に。
「うおっと、わり。押された」
「あ、……いや……、だいじょぶ……」
タタン、タタン、タタン、タタン。
どきん、どきん、どきん、どきん。
なんだ、この変な協奏曲は。早く電車止まって欲しい。そしてこの体勢から解放して欲しい。
ふわっと香る、かすかな汗のにおい。変なの。リアル男子の汗のにおいなんて、絶対御免だと思ったのに。
……変なの。
タタン、タタン、タタン、タタン。
どきん、どきん、どきん、どきん。
協奏曲は、鳴海が降りる駅まで続いた。
……梶原の手からは、解放されたのに。
「それじゃ、お疲れ」
其処は鳴海の家の前。梶原は鳴海が自宅の門の前で見送る中、夜道を駅へと戻って行った。女子に夜道は危ないからと、それだけの理由で、由佳相手でもないのに梶原は電車を途中下車して家まで送ってくれたのだ。
梶原が駅へと向かう角を曲がったのを見届けた後、鳴海は門扉に手をかけ、はあー、とため息を吐いた。
「そりゃないよ、梶原……」
呟きは、夜の住宅街に吸い込まれて消えた。