腐女子とゆめかわ男子の契約恋愛



月曜日に登校すると、席に着いた鳴海の所にクラスの女子たちがわっと集まって来た。

「市原さん、梶原くんとデートしたんだって?」
「梶原くんのエスコートでピーロランドに行ったんでしょ?」
「いいなあ。梶原くんイケメンだしスポーツマンだし、リーダーシップもあるし、いいなって言ってる子多いんだよ」
「でも、梶原くんと市原さんだったら文句言う人居ないよね~。美男美女カップルで、非のつけどころがないし!」
「写真ある? 私服の梶原くん、見てみたい!」

そう口々に言われて、そこまで梶原の人気が女子たちに浸透していたことに驚く。一見、まあイケメンではあるけれど、鳴海が関わるタイプではないと思っていただけに、梶原の先手は確かに鳴海に落ち着きを与えていた。スマホを取り出してクロピーとのスリーショットを見せると、鳴海を囲んでいた女子たちがわっと湧く。

「わ~、期待を裏切らないイケメン! チョイスがおしゃれ!」
「ピーロで目立ったでしょう? こんなイケメンの隣で写真が撮れるのは、やっぱり市原さんくらい美人じゃないと駄目だね~」

口々に騒がれて、おっ、これは表面的とはいえ、理想の卒業式に一歩ずつ近づいてる? と思わせる展開だった。それはまあ嬉しい。この人気を維持すれば、卒業式にわびしい思いをすることはないだろう。鳴海はそう期待した。その輪に加わった由佳が

「シナロールやクロッピよりも、なるちゃんの方がかわいいって言うのが羨ましいな。それに、ただ立ってるだけなのに、梶原くん、ファッション雑誌の読モみたいにかっこいいし。クロッピのイケポーズも霞んじゃうね」

などと言ったのを、周りの女子たちが肯定する。この女子受けが、腐女子であることが知れたら手のひらを反すように覆るのかと思うと、それが、なんとしてでも腐女子であることを隠し通して、友達と彼氏に恵まれた卒業式を迎えるのだと、余計に鳴海に思わせた。
その時、女子の輪の外側からにゅっと背の高い男子が鳴海のスマホを覗き込んだ。

「あれ、市原さんってピーロランド好きだったの?」
「きゃっ!」

声を掛けてきたのは同じクラスの栗里だった。急に現れた栗里に驚いて、小さな悲鳴を上げたのは由佳だ。

「栗里くん、急に人の頭の上からの登場の仕方はどうなの? 由佳がびっくりしてるじゃない」
「いや、みんなが騒いでたから、気になって。驚かせてごめんね、生田さん。大丈夫?」

栗原はやさしそうな顔をしたイケメンで、梶原が剛とすれば栗原は柔、というイメージの物腰柔らかな男子で、こう言う時の女子へのフォローもスマートで完璧だ。由佳は少し顔を赤らめて、突然のことに跳ねたのだろう胸を押さえながら、大丈夫、と頷いた。


「それより、ピーロランドに行ったんだって?」

この高校に入学して以来、この学年ではどっちかというと梶原派という人と、どっちかというと栗原派という人に分かれていた。……とはいえ、学校が二分するようなことはなく、梶原のリーダーシップでこの学年はまとまっていた。

「そうなの、梶原が連れて行ってくれたの。初めてだったけど楽しかったよ」

鳴海がそう言うと栗原は、ふうん? と一瞬思案した様子になって、それからこう言った。

「初めてのデートプランにしては、梶原のプランに頼りすぎじゃない? 普通だったら市原さんの好みを聞いて優先しそうなのに」

そう言うものなのか? なにせ、本質は腐女子で一般人のデートがどんなものか分からないので、言い返しようがない。鳴海としては一般人のデートをリードしてくれたのだから、これ以上ない感謝を梶原に感じている。

「初めてだったんだけど、でも楽しかったよ。いっぱい写真も撮ったし、お土産まで買ってくれたの」

そう言って買ってもらったキーホルダーを見せれば、あっ、それ25周年の記念デザインだね、と由佳からアシストが入る。

「かわいくてお気に入りなの。丁度タイミングよく行けて、良かったわ」
「へえ……。意外だな。市原さんって、そういうかわいい系じゃないと思ってた」

どきっ。本当はカッコいいのとクールの組み合わせが最高に好きですけど、それは言えない。そう思って、そお? とあいまいに返す。

「僕なら、市原さんを本当に満足させられそうなのにな。……市原さんさあ、一度、僕とお試しにデートしてみない?」
「は?」

話の急な展開に鳴海が目を白黒させていると、栗原はにこりと柔和な笑みを顔に浮かべながら、続けた。

「なんとなくだけどね? 市原さんと梶原ってタイプが違うから、趣味とかがかけ離れてるんじゃないかと思うんだ。梶原はアクティブ派だけど、市原さんって文科系というかインドア派に見えるんだよね。だから、僕と市原さんはタイプが似てると思うんだ。デートプランも、テーマパークより映画とかの方が好きそう」

微笑む栗里と、黄色い声を上げる鳴海を取り囲んでいた女子たち。一気に騒がしくなった教室に、廊下から悲鳴のような声が聞こえた。

「栗里せんぱーいっ!! そんな彼氏のいる女よりも、此処に先輩に声を掛けられるのを待ってる女子がいますうー!!」

悲鳴と共に教室の扉を開けて、栗里に体当たりした生徒の胸のリボンは緑色。一年生だな。しかし凄い度胸。普通、後輩って、先輩の教室に入るの緊張するもんじゃない? 少なくとも鳴海はそうだけど。

「清水……。僕は清水とは付き合わないよ。中学の時に何度も言ってあるでしょ」
「だってだって!! そりゃあ、栗里先輩はカッコいいし、スポーツも万能で、頭も良いし、更にはお金持ちのおうちだから、有象無象の女子を煙たがるのは分かるんですけどっ! でも私っ、本気なんですっ! 本気だから、高校まで追いかけて来てるんですっ! この本気さを、分かってもらえませんかっ!?」

おお、朝っぱらから、なんか熱烈な告白ドラマが始まったな。栗里の気持ちが逸れてくれると良いと思って、鳴海が傍観してると、栗里が座っている鳴海の肩を自分に引き寄せた。ぐっと体を引かれて、とん、と肩と背中が栗里に触れる。当然教室内の女子はきゃーと悲鳴を上げ、男子はおいおいーと傍観している。

「清水が悪いわけじゃないし、気持ちは嬉しいけど、僕が清水に持ってる気持ちはほんっとに妹見てるみたいな感覚なんだよ。そんな相手に恋愛するっていうの、無理だと思わない?」
「でもでも、先輩! この女よりも私の方がかわいいです!!」

栗里は、顔でからかう相手を選んでいるのかな。鳴海がそう思っていると、栗里は、違うんだよ、と言った。

「男ってね、手に入りそうなものより、手に入らなさそうなものを手に入れることの方が楽しいの。狩猟本能に似てるね。逃げられると追い掛けたくなる。だから、清水みたいに僕を追っかけてくる子は、最初っから僕の興味を引けないんだよ」

自分を好きだっていう相手に、結構辛辣なこと言うなあ。好きだからアプローチしたい、でもそれが相手をしらけさせる。清水という女の子が、少し可哀想に見えてしまった。

「というわけで、僕は市原さんに興味があるんだよね。どう? 一度僕とデートしてみない? 絶対損はさせないからさ」

るん、という擬音までついてきそうな軽いノリに、鳴海は頭痛を感じた。どうにもこうにも、鳴海の周りには普通の感覚の男子は居ないのか。一年の上期はひたすら擬態上の友達を作ることに集中していたから、三学期になった頃に周りの男子の様子を見てみたけど、やっぱり何というか、鳴海の推しのように鳴海の心を奪ってくれる男子は居なかった。そう思うと梶原はやり方があくどかったけど、鳴海の高校生活の悲願である『彼氏』になってくれたんだから、まあまあ許せる。栗里も、正確に難はありそうだけど、外見は推しそっくりだから、観賞用にはいいかもしれない。

そんなことをやっているうちに予鈴が鳴る。清水はそれでも栗原の言動に堪えないのか、先輩、また来ますから!! と言って、教室を去って行った。
一陣の嵐が去った後、梶原が呑気に登校してきた。鳴海はぱっと栗原から体を話して、そっけなく誘いを断った。

「えーと、悪いけど栗里くんは他を当たってくれるかな? 取り敢えず私、その気ないし」

本音を言えば梶原にだって全くその気はないのだが、擬態しているので『彼氏がいるので』面を装った。栗里はまじまじと鳴海の顔を見て、しばらく考えた後に、

「そう? まあ梶原の彼女だし、そう言われると思ってたけど、市原さんって僕から見て、今でも十分に魅力あるんだよね。だから絶対僕のものにしてみせる」

などと宣言した。鳴海を囲んでいた女子たちのきゃー、という声が教室に響き、梶原がなんだなんだ、とこっちを見ていた。
鳴海はその日の勉強会を終えての帰りに、朝の女子たちの言葉を梶原に伝えた。きっと、鳴海が擬態に成功していることを満足してくれるだろうと思ったからだ。そして何気に梶原がとても褒められていたので、きっと梶原みたいなタイプは、褒められて有頂天になるだろうと思ったからだった(栗原のことは詳しく言わなかった。知れるなら自然に知れるだろうし、鳴海は弱みを握られているわけでもない栗原と付き合う気は全くなかったし、それは梶原も分かっていると思ったからだ)。鳴海は隣を歩く梶原に、朝の由佳の言葉を伝えた。

「友達がさ、この前のピーロランドで撮った写真見て梶原の事、褒めてたよ。『クロピーのイケポーズも霞むね』だってさ」

何気なく笑って伝えただけだった。しかし梶原は急に「違うだろ!」と声を荒げた。

「『クロピー』ってなんだよ! 『クロッピ』だろ! そこはちゃんとしろよ!! キャラクターの名前を間違えるなんて、言語道断だぞ!! クロッピに謝れ!!」

鳴海は梶原の剣幕に飲まれてぽかんとした。馴染みのないキャラクター名を間違えることはあると思うのに、そこ、そんなに気にしなきゃ駄目な事か?

「……ちょっと間違えただけじゃない。そんなに怒らなくて立って良くない?」
「え……っ、あ、……そっか……? わ、悪いな、急に……」

鳴海の言葉に、急に言葉尻が弱くなる。……あれっ? なんか梶原の様子がおかしい。さっと鳴海の視線から逃れようとして、全く鳴海のことを見ない。なんとなくいつもの梶原じゃないような感じがして、鳴海は梶原に問うた。

「……あのさ、梶原。……もしかして、クロピー、好きだったりする……?」

なんとなくそう感じただけだった。しかし鳴海の言葉に梶原は大袈裟に反応した。

「いやっ! 好きとかじゃなくて……っ! ええ……と……、ああ、あの、妹が、好きみたいで……っ! それで……っ!」

あれっ? 梶原、一人っ子って言ってなかったっけ……。

「……梶原、妹居たの? 一人っ子って言ってたよね……?」

鳴海がそう返すと、梶原は、しまった! という顔をした。そして、以前鳴海が梶原にスマホを見られた時みたいに、天を仰いだ。……これは……。

「……梶原、……もしかして、クロピ―が好きだったとか……?」
「だから、なんで何回も間違うんだよ! 『クロッピ』だろ!」

半ばやけくそ、という感じで梶原が叫んだ。

「そーだよ! 俺はピーロランドが好きなんだよ!!  この趣味は止められないけど、その所為で中学時代、笑いものにされたんだ! だから高校では隠し通そうと思ってたのに……っ! 」

市原が名前間違えるからいけないんだぞ! とまで言われてしまった。えっ、それは責任転嫁じゃん?
しかし、成程。鳴海だけではなく、梶原も脛に傷を持つ身だったのか……。

「最初から言ってくれれば良かったのに。どうして黙ってたの、同志だって分かったよね?」
「だましたことについては本当に悪いと思ってる!! 俺、こんな性格だから、絶対笑われると思って!!でも、どうしてもピーロランドに行きたいんだよ! それには市原の力を借りないと、男一人じゃ浮いちまうんだよ! あの場所!!」

あの朝、弱みを握られてからずっと屈してきた梶原が、乗換駅で鳴海に向かってがばっと土下座した。そこまでか。まあ、推しを崇める気持ちは分かるから、そこは同情する。脅され続けた一ヶ月間の落とし前は付けさせてもらうけど。

「……じゃあ、これからは一方的な脅しにはならないってわけね。梶原は私の秘密を、私は梶原の秘密を守る。つまり運命共同体、ってわけか」

にやり、と、きっと今、鳴海は悪い笑みを浮かべている。でも、ずっと一方的に弱みを握られていた時間は、形容しがたいくらいに屈辱的だったのだ。これでフェアだ。梶原が、がっくりと項垂れる。

「……ばらさないから、ばらさないでくれ……」
「勿論よ。でも一ヶ月間、私に屈辱を強いたその落とし前は付けさせてもらうわ」
「……なんだったら、ばらさないで居てくれるんだ……?」

一ヶ月間、頭に乗っていたことを反省しているようだった。反省はしているようなので、其処は認めよう。それを鑑みて、高校生にしては、ちょっとキツい制裁を科す。

「そうね、あんなジャンクなパンケーキじゃなくって、ホテルのデザートブッフェをご馳走してくれるなら許しても良いわ。高校生には妥当な制裁だと思わない?」

鳴海の言葉に、梶原は分かった、と頷いた。鳴海は梶原の手を引いて彼を立ち上がらせると、そのまますっと手を出す。梶原も分かったようで、手を握り返してきた。それは勿論恋人同士の握手ではなく、同盟を結んだ二人の握手だった。




翌日曜日。ホテルに立ち入るんだからと一応気を遣った格好をしてロビーに着いたら、待ち合わせ時間の十分前だというのに、既に梶原が居た。梶原も何故か満面の笑みで張り切った格好をしてそこに居た。やっぱり場所がホテルだからだろうかと思って、梶原のエスコートで最上階のラウンジフロアに着くと、その満面の笑みの理由が分かった。

「……梶原。今日はあんたが楽しむ目的じゃなくて、私を騙していたことの罰としてあんたにおごらせるつもりだったんだけど?」

鳴海が睨みつけるのなんて全然堪えてないという感じで、梶原は鳴海に満面の笑みを向けた。

「だって市原は『ホテルのデザートブッフェ』って言っただけだし、俺がおごるなら何処のどんなブッフェでもいいんだろ!」

さあ入ろう、さあ行こう、とばかりに梶原が鳴海の手を取ってレストランに入っていく。入り口にはピンクとラベンダー色と水色でデコレーションされた五段のケーキがどん! とそびえていた。最上段には王冠を被ったキッティとシナロールのマジパンが飾られていて、二人を取り囲むように白いチョコレート細工のアーチが作られている。アーチの周りはケーキの土台と同じ色のクリームで絞り出された薔薇の花々。まるでキッティとシナロールが王宮の庭園に居るかのようなデコレーションだ。側面は、一体どれだけ時間がかかったのだろうと思わせる、全ての段にフリル状の生クリームが絞られていて、各段には苺、ブルーベリー、ラズベリー、果ては花の砂糖漬けなど、色味良いフルーツと花がちりばめられていた。

他にも、確かピーロランドのお土産売り場で見たような、女子向けのコスメ用品を模したチョコレート細工とか、ポヨポヨプリンやマイレディがプリントされたマカロン、クリームデコで作られたクロピーが載ったカップケーキなどなど……。鳴海がその壮観な様子に唖然としている横で、梶原は既にスマホを取り出してバシャバシャと写真を撮っていた。

そして梶原は、店員に席に案内されるや否やテーブルを離れて皿にクロピーを山盛り盛って帰ってくると、今度はテーブルでクロピーのスイーツの写真をバシャバシャと撮っていた。

「かわいいぜ、クロッピ。お前のその立った三本の毛、つぶらな瞳、ツンと尖ったくちばし、丸いお腹に艶やかな羽根。どれをとっても、お前は最高のペンギンだ。お前が一番だぜ……」

学校での態度からは想像もつかないような、クロピーに対する賛辞の数々。そんなクロピーに対する誉め言葉を独りごとのようにぶつぶつ言いながら写真を撮っている梶原を、鳴海は呆れながらも何処かデジャヴを感じながら見ていた。……そう、対象は違えど、同じオタク。鳴海も推しキャラの登場するコラボカフェで、推しのデコレーションがされたランチの写真をバシャバシャと撮ったことは記憶に新しい。きっと今の梶原は、今まで果たせなかった女子の園であるスイーツブッフェに堂々と立ち入り、大好きなクロピーを堪能しているのだ。そう思うと、梶原のことを怒ったり責めたりは出来なくなる。同じ穴の狢(むじな)ではないか。そこで同感せずしてオタクとは言えない。
テーブルに持って来た様々なクロピーのスイーツの配置を変えながらあれこれと工夫をして写真を撮っている梶原に、鳴海はひと言呟いた。

「クロピーが一番……。つまり、クロピーが最強攻め、ってこと? でも、そのキャラスイーツの並びでいくとシナロール×クロピー……? でも隣のお皿はクロピー×キッティよね? 梶原はクロピー、受け攻めどっち派なの?」

そうなのだ。梶原のクロピーの配置に一貫性がなく、鳴海は梶原の性癖を掴み損ねていたのだ。大切なことだから、ここは押さえておかねばと思って質問したのに、梶原は鳴海の言葉に激怒した。

「最強攻めとか受け攻めどっち派とか、俺のクロッピで変な事考えんな!! それと何度言ったら覚えるんだ! 『クロッピ』だろ!? お前も同じオタクなら、相手の推しの名前を間違えんな!!」
「息をするようにカップリングを考えてしまうのよ。性(さが)ね……」

ふう、と憂いの吐息を零す鳴海に、梶原は怒ったままだ。

「次に俺のクロッピで腐妄想したら、お前の頭カチ割るからな」

怒り心頭の梶原に、これ以上は藪蛇と見て鳴海も黙る。しかし、受け攻めがはっきりしないことに、どうしてもお腹の底がムズムズして、気持ちが悪かった。
その後も梶原は会場にある全てのクロピースイーツを網羅し、次々とその雄姿をスマホに収め、そしてそのほとんどを食べるのは鳴海だった。コラボカフェの会場がリッツカートルトンホテルという事もあって、鳴海はその上品なスイーツたちを満喫した。そして梶原が会計をしている間に化粧直しに行き、戻ってくると、梶原は二人組の女の子と何やら話し込んでいた。

知り合いかな? それとも、ああいうゆめかわいいに馴染むような、パステルカラーの洋服が似合う女子が好みなのかな? そう思って声を掛けずにいたら、ふと梶原が此方を見た。おそらく鳴海が戻ってきているかどうかを確認したんだろう、梶原は鳴海を視界に認めると、大変なんだ、と血相を変えて駆け寄って来た。何事かと思って話を聞くと、

「この子がキーホルダーを落としたって言うんだ」
「キーホルダー?」

女の子曰く、店の前のコラボカフェ開催を知らせる看板と共に記念写真を撮ろうとしたら、中にピーロランドのキャラクターのキーホルダーを入れた巾着袋がなかったのだと言う。なくしたという女の子は涙目で、

「大事にしてたのに……」

と俯いてしまった。それを友達の女の子が探そうよ、手伝うよ、と励ましている。

「俺も探すよ。どんな色の巾着? 柄は? 中に入ってるキーホルダーは何?」

梶原の言葉に女の子たちが驚いている。

「あ……、ええと、巾着は、ピンク色の、シナロールの柄のやつです……。キーホルダーは、天使の羽根が付いたシナロールのと、パティシエのシナロールです……」
「巾着、シナロールのピンク色のグッズだったら、30周年記念のグッズじゃん! それに、パティシエのやつは、確か期間限定でピーロショップと人気漫画家がコラボしたやつだよね!? 大変だ、絶対探し出さなきゃ!!」
「えっ? い、一緒に探してくれるんですか……?」
「勿論! 大事な宝物だろ?」

梶原は女の子たちと一緒にラウンジフロアを探し出した。観葉植物の葉に隠れた根元や、待ち合わせに使われるソファの脇など、細かく見てまわる。しかし、何度も何度もフロアをくまなく探しても、件の巾着は見つからなかった。このフロアには、コラボカフェを目当てに沢山の女の子たちが訪れている。その中の、心無い人が、もしかしたら落ちていたレアものの巾着とキーホルダーを持って行ってしまったという事も考えられる。そんな嫌な考えが頭をよぎった時だった。女の子がか細く呟いた。

「もう駄目だ……。諦めます……」

女の子もそう考えたのか、見つからないことに落胆し、泣きそうなまま肩を落とした女の子の正面に立った梶原が、女の子を励ます。

「諦めちゃ駄目だ! 君の大好きなシナロールを大事にしてくれ!」

梶原が女の子を励ました言葉に鳴海もはっとした。それは、推しを推すうえで一番根本の、気持ちだった。愛し、崇拝する推しのことを諦めない。しかもそれが一期一会のめぐり逢いの限定グッズだったら尚更のこと。推しは推されるためにそこにあって、推されて初めて輝く。鳴海も常日頃から思っていたことだった。

「そうだよ、諦めないで。落としたのがこのフロアじゃないかもしれないでしょ? もっと手広く探してみよう」

鳴海の言葉に梶原が賛成する。女の子たちはそうですね、と言いつつ、コラボ会場の入り口をちらりと見た。入り口で写真を撮ろうとしていたのだから、きっとこれから入るつもりだったのだろう。この子たちには(巾着とキーホルダーは気がかりだろうけど)コラボカフェを楽しんでもらったらどうだろう、と思ったところだった。梶原が、

「君たち、折角来たんだから、少しの間カフェを楽しんで来たらどう?」

と提案した。そしてその間に、鳴海と二人で巾着とキーホルダーを探してやると約束していた。カフェは一時間制で、入れば60分で席を立たなければならない。一時間後に、また会場入り口前で会うことを約束し、彼女たちを店の中に送りだそうとした時だった。泣きそうだった女の子が梶原を振り返って、こう問うた。

「……なんで、……そんなに親切にしてくれるんですか……?」

ごもっともな疑問だったし、鳴海も、梶原が見知らぬ女の子にここまで親切に出来る性格だとは思っていなかった。特に今の若者は対人関係が希薄だし、通りすがりの他人に対してはそれがより顕著に出る。女の子の疑問と鳴海の疑問に、梶原は明るく応えた。

「俺はクロッピが好きだからな。クロッピに顔向けできないようなことはしないよ」

そう言って女の子たちを店に送り出すと、梶原は鳴海を連れて最上階フロアを降りた。

「まず、フロントで落とし物がなかったか聞いてみよう」

女の子たちがこの会場に来るまでに立ち寄った場所が、地元の駅の後だと、最寄りの地下鉄の駅からピーロショップに立ち寄り、そしてそのあとホテルに来ていた。
ロビーまで降りてフロントに落とし物を尋ねたが、それらしいものはなかったと言われてしまった。……となると、ピーロショップか駅になるが、鳴海はピーロショップの場所を知らない。60分後というタイムリミットもあるから、ここは手分けした方がいいのではないかと梶原に申し出た。

「そうか。じゃあ、駅に行ってくれるか? 俺はピーロショップを当たってみる」
「分かったわ」

鳴海はそう言って、30周年限定のシナロールの巾着袋と、ピーロショップと人気漫画家がコラボしたキーホルダーをスマホで検索して梶原に柄を確認すると、ホテルを離れた。途中でピーロショップへ行く梶原と別れ、地下鉄の駅へ向かう。駅入り口の階段を駆け下りると真っすぐ改札の駅員を訪ねた。しかし駅員にスマホの画像を見せても心当たりがないという事だった。駅員が、

「落とし物でしたら、駅長室に届けられてるかもしれません」

と教えてくれたので、駅長室も訪ねてみる。しかし此処でも空振りだった。そこへ梶原からメッセが届く。

――『どう?』
――「だめ、ないわ」
――『こっちも駄目だ。ショップには届けられてないってさ。誰かが持って行っちまったのかな』

そうだとしたら、あの女の子はどれほど悲しむだろう。鳴海がもし推しのキーホルダーを無くしたら(しかもそれが限定品だったら)泣くに泣けない。そんな思いを、推しを持つ子にして欲しくない気持ちでもう一度考えてみる。何か見落としている場所はないか。あの女の子たちが行きそうな場所……。そう思って、鳴海は彼女たちが着ていた服を思い出した。ちょっと普段着ではなさそうなかわいいワンピースを色違いのお揃いで着ていた。あれは絶対『色チ合わせ(色違い合わせ)』だ。となると、身なりに相当気遣ってきている筈だ。
鳴海は駅のトイレをくまなく探した。改札に近い所から、三つある出口に向かう通路に設けられた多目的トイレまで全部調べた。しかしなかった。

(もしかして、灯台下暗しで、ホテルのトイレに立ち寄ってないかな……?)

会場の前で写真を撮ろうとしたなら、その前に化粧直しをしていても良さそうな雰囲気の子たちだった。

――「ねえ、もう一度ホテルを探してみない?」
――『いや、俺もそう思った。あの子たち、見落としてるところあるんじゃねーかって思ったんだよ』
――「そう思うわ。ロビーのトイレとか、ラウンジ階のトイレ、見なかったよね?」
――『トイレか! そういや見てねーな! いや、俺が見たら駄目なんだけど!』

急いで戻る、という梶原に、後を追う、と答えて、鳴海もホテルに急いで戻った。トイレなら梶原は立ち入れない。鳴海が早く戻らなければならないのだ。
走ってホテルに戻る中、鳴海は笑ってしまった。強引なところがあるかと思ったら、こんなに他人に一生懸命になれるなんて、梶原は凄いな。梶原の、『推しを大切にする』という気持ちがひしひしと伝わって来て、鳴海の腐女子魂と共鳴する。梶原みたいなやつだったら、鳴海の推しのことも馬鹿にしないだろうし、尊重してくれそうだ。そう思えるほどに、鳴海は梶原を信頼できるようになっていた。






「ありがとうございます!!」

60分後の約束の時に巾着袋(中身入り)を渡したら、女の子は泣いて喜んでくれた。もう駄目かと思った……、と安心した様子の女の子に、これからは忘れないようにね、と付け加えて鳴海たちは今度こそホテルを出た。

「あー、すごいデートだった!」
「ははは。悪いな、巻き添えにしちまって」

悪びれもせず、梶原が言う。

「いいのよ、こう言う時は巻き添えになったって。だって誰にでも推しは大切にしてほしいもんね」

鳴海が言うと、その通り、と梶原は笑った。

「あ、ところでさ。あの子に言ってたけど、何で『俺はクロピーが好きだからな』が理由だったの?」

クロッピな、と鳴海の言い間違いを注意しておいて、梶原は話をし始めた。

「市原はクロッピの経歴を知らないだろ。クロッピは大怪盗の父親と教育ママの母親の間で育ったペンギンで、忙しい両親に代わって妹のクロナを守って育ててるんだ。クロナが、父親が泥棒だからってことでいじめられっ子なのを庇って、よくいじめっ子とよくケンカするけど、本当は父親が金持ちから盗んだ金品を貧しい人たちに配っていることを誇りに思って、自分もその手伝いをしたりする、すごく正義感の強いペンギンなんだ。いずれ世の中をお金のことで困らない世界にしたいっていう夢を持っていて、クロッピは父親の跡を継ぐつもりなんだ。先祖伝来の家業がつぶれちまうこの世の中で、父親の背中を見て、その偉大さを分かってるクロッピはちびのくせにすげー奴だと思うよ」

俺は妹居たことないから、妹を守る大変さってのは分かんねーんだけどよ、と、梶原は更に続ける。

「子供心に『おれもクロッピみたいに、よのなかのこまってるひとをたすけたい!』って思ったんだよな。子供に貧富や格差の解消とか社会の平等性を説いたクロッピは、本当にすげーキャラだと思うぜ!」

昔の少年少女が鼠小僧に憧れたみたいなもんか。しかし幼児期の男の子は大体ロボットものに憧れるものだと思っていたけど、とんだ曲者がいたもんだ。
今まで隠しに隠していた鬱屈の分なのか、梶原は鳴海の前でポップコーンが弾けるように、クロピーの話で盛り上がっていた。

「俺は姉が二人居るから、おもちゃが全部おさがりでさ。クロッピはピーロランドのキャラクターの中でも唯一男が持っててもおかしくない黒いペンギンのキャラクターだったから、最初は外見からだよ。でも、おもちゃで遊んでたらそんなキャラだって知って、一気に好きになったんだ。クロッピが盗みに入った場所には印として『Do my ideal』って書いたメッセージカードを置いて行くんだ。それがまたカッコよくってよ!!」

目をきらきらさせて推しについて語る梶原を見て、鳴海は、自分たち腐女子が推しについて語る時と同じ心を持っている、と感じた。梶原とは、対象こそ違えど、推しを全力で推しているという点で、心友も同然だった。

「お子様騙しのゆめかわ趣味、だなんて思って悪かったわ、梶原。あんたのその心意気、私がウイリアムとテリースを愛する気持ちと全然変わらないのね。そうよね、崇拝する推しがいる時点で、私とあんたは同等の心友たる存在だったんだわ」
「市原! 俺のこの、クロッピに捧げる気持ちを分かってくれたのか!! つくづくお前って、いいやつだな!! クロッピについてこんな風に誰かに語れる日が来るなんて、思ってなかったぜ!」

感動で泣き出しそうな梶原に、すっとハンカチを差し出す。

「いくらでも語って。推しを崇める気持ちを理解できる私なら、あんたのその暑苦しい思いを受け止められるわ。同志がいなくて今まで孤独だったでしょう。クロピーの良さは正義の味方的な平凡な事しか分からないけど、あんたにとって凄く大事な存在だってことは分かるわ」
「だから何度言ったら分かるんだ! 『クロッピ』だろ!!」

いちいち細かいことに煩いけど、梶原の推しに対する熱い気持ちが分かって、鳴海は全くの同類として梶原を見た。


その日、鳴海は朝から気合が入っていた。本日正午に、推しキャラであるウイリアムとテリースの登場する乙女ゲーム『Take Away Love~君の初恋を奪うよ~』のバージョンアップがあるのだ。新しいストーリーとシーン、それにキャラクターたちの新しい衣装がお目見えする。この日を祝日としないで、いつが祝日だというのか!! というくらいの鼻息の荒さで下校時間を待ちわびていた。

本当は昼休みにすぐさまプレイしたい。しかしここは学校。鳴海が一般人に擬態していなければならない場所だ。なんとしてでも梶原を彼氏としたまま、表向き晴れやかな卒業式を迎えたい。中身がゆめかわオタクであろうと、梶原はその性格と外見でまあイケてる彼氏だった。梶原の秘密を握っているとしても、鳴海の秘密も握られているわけであり、こんな弱みを晒す相手は他に作れない。被害を梶原一人で済ませたい、という気持ちもあったからだ。

そう言う訳で、頭の中ではもうウイリアムとテリースがどんな衣装なのか、彼らの新規エピソードはどんなエピソードなのか、という疑問がぐるぐると回って、遠心力で溶けてしまいそうになっているが、表向きは冷静な顔で微笑みを浮かべて由佳と一緒にお昼ご飯を食べている。ああ、由佳だって『Take Away Love(通称TAL)』をプレイしたら、絶対ハマると思うのに、この子はゲームに一切興味がないのだ。ウイリアムとテリースを知らないなんて、人生損してるよ、由佳……。

と心の中で呼びかけても、楽しそうにおしゃべりをしながらお弁当を食べている由佳には通じない。まあいいや。焦らされた方がより喜びが大きくなる。そう思って由佳の前でにこにこと笑顔を浮かべていた時、かすかに「テリース」という言葉が聞こえた。

(はっ!? 心の声が口から飛び出た!? 今、由佳に聞かれてなければ良いけど!?)

と、動揺した時だった。教室の後方からきゃーという歓声が上がり、そうだよねー、という相槌と共に彼らの名前が零れ出た。

「やっぱりウイリアムはトップオブ恋人! 大体、金髪碧眼って女子の好き要素ぎゅっと詰まってて、嫌いになれる人のことが分からない!!」
「そうそう!! そんでもって、ウイリアムが太陽なら、テリースは月よね。テリースって、ウイリアムの対極みたいに凄く物静かだけど、口説いてくるときの台詞が情熱的だもん、これは落ちるよお~」
「待って! でも私は二人も良いけど、アラルドを推したい!! 乙女ゲームにありがちな、金髪碧眼とか、執事風とかじゃなくて、アラブの王子を持ってきてるところが良いのよ!! 天真爛漫で自信家なところが、絶対恋愛リードしてくれそうじゃん!!」

鳴海は教室後ろの女子たちの言葉に耳を疑った。いや、『TAL』は確かに今、女子高生の間で大人気の乙女ゲームだ。しかし、今までこの教室で『TAL』の話が話題になったところに遭遇したことがない!