父と母が、いる。父と母が、かつていた。


 昔。交通事故で二人を亡くし、同乗していた自分だけが生き残った。当時私は4歳で、後部座席のチャイルドシートが一枚を取り留める起因となったらしい。それはもうド派手な事故で、記憶が曖昧なのは、ショックな出来事を脳が記憶から抹消しようと目論んでいるからだった。ただ、断片的にふと、映画なんかで血だらけの主人公なんかを見たりすると、あの日の情景、夢や妄想とも似た母の顔を思い出す気がする。

 即死の父に対し何とか自分を救おうとした。死に抗う血だらけの様が、ひょっとすると映画終盤の傷だらけの主人公に酷似しているのかも知れなかった。

 どういった原因で、何が理由で、そこを掘り下げることはなく、母の姉夫婦に預けられ中学まで世話になった。良くしてもらった。貰いすぎたほどに、だ。そんな二人の愛娘、(ふみ)ちゃんは一つ年下の可愛らしい女の子で、ピアノやバイオリンに興ずる多才な芸術家だった。


 音。笑顔。声。その幸せな、まるで絵に描いたような家族に自分がいることがなんだか場違いな気がずっとしていた。史ちゃんの言葉遣い、髪、白、所作。そのどれも、伯母さん夫婦に比べられたくなく、気がついたらざんばらの髪色を何度も抜いて、ジャージみたいな服を着て、言葉遣いが悪くなる。

 優しさは時に痛く。ここにいて、いなさい。大丈夫。そう言われることが、自分のなかで酷く重荷になっていた。だから、義務教育を経て人知れず家を出た。ありがとう、ごめんなさい。

 そう書いた紙切れのそばに置いたのは、初めて伯母さん夫婦の家に来てから貰ってきて、一度も使ったことのないお小遣いの入った封筒だった。






 何にもなれない、と思う。何かになりたい、と思う。
 どこにも行けない、と思う。どこかに行きたい、と思う。

 自分が何を思い。何を乞うているのか。何を大切にし、何を重んじているのか。

 年だけ重ねて、一年稼いで自力で入った高校の今でやっと三年目。やっと三年だ。周りの生徒より一年年を取っていても、定時制高校の人間は他者をそう重んじない。朝に間違えた。昼間に寄りかかれない。そんな不自然の吹き溜まりで、今日も静かに使えるかわからない勉強に身を焦がす。