「この調子なら行けるかもな」

 ある日の放課後、若槻くんに「アズの新曲を覚えたんだ。自慢したいから来て」と呼ばれて自習室へ行くと、いつものドラムセットを準備をしながら彼が言った。

「行くって、どこに?」
「ライブだよライブ。七月にやるじゃん」
「……そう、だね」

 七月に迫った、アズがプロデュースする合同ライブ。すでにチケットは発売後、十分足らずで完売したらしい。一般購入も難しいと噂も聞く。やはり有名なアーティストが来るのだから、ライブハウスではなくもっと大きな会場でないと入りきらないのではないか。
 しかし、今回のライブはあくまでライブハウスを守ること。すでに枠は限られている。外れてしまっても、それはそれで仕方がないのだ。

「もしかして若槻くんはライブ行くの?」
「それがさ、先行も優先も全部応募したけど全滅。今、誰か余ってないか聞いてまわってるところ」

 若槻くんの行動力にはいつも驚かされる。それに比べて私は、ようやく教室で一日中授業を受けられるようになったところだ。スタートラインにようやく立っただけ。

「私、まだ行けない」
「へ? そうなの?」
「うん。ちゃんと私が胸を張れるくらい自信がついたら行く。やれることが増えたから、バイトもレジ対応できるようにならなくちゃ」
「……そっか。じゃあ近いうちに、アズに会いに行こうぜ」

 きっと大丈夫だから。と若槻くんは愛用のバチを持ってドラムの前に座った。

 以前より前向きに物事を捉えるようになって、気付けは六月の後半に差し掛かっていた。ようやく梅雨入りしたようで、夜でもしんしんと雨が降り続いている。
 なんとなく寝つきが悪くて、スマホにヘッドフォンのコードを挿したままリビングに降りた。
 冷蔵庫から牛乳を取り出して、適当にマグカップに注いで数十秒、電子レンジで温める。取り出して、息を吹きかけて冷ます。

「あれ、どうしたの? 随分贅沢な恰好ね」

 お風呂から上がったばかりの母がひょっこりと顔を覗かせる。このまま寝室に行くらしい。「早めに寝なさいよ」と言い残して出ていくと、リビングには私一人残った。
 片手にスマホでSNSをチェックしつつ、反対の手には温めすぎたホットミルク。首にかけたヘッドフォンからは、アズが一年前のこの時期に発表した曲が流れている。我ながら至福な恰好だった。

「……さすがに欲張りすぎたか」

 椅子に座ろうとスマホをテーブルに置こうとすると、突然、緊急速報のニュースがSNSに流れてきた。何の気なしにスクロールして、表示された記事に目を疑う。

【動画サイトで話題のアーティスト・アズ、死去】

 すぐ近くで、世界が崩壊する音がした。