――その日をきっかけに、私は毎朝教室に行くようになった。どうしても無理だと思ったときだけ保健室に行くけど、そのたびに芦名先生が「どうだった?」と聞いてくれるし、休み時間を挟んで行けるようになったら教室に向かうようにしていた。

 何より、鹿原さんが教室にいるということが私にとって救いだった。
 担任の先生が席を隣にしてくれたようで、いつも話しかけてくれる。話す内容は大体推しのアイドルのことで、一度クラスメイトに推しについて語ったら引かれたことがあるらしい。似た体験をしているのに、私と大違いだ。逆に私が彼女にアズの話をしても、彼女は一切嫌な顔をせず、むしろ真剣に聞いてくれた。

「アズの曲、ヤバくない!? 最近のも良いけど、教えてもらった楽曲、本当にこれが初めて作ったの!?」
「ヤバいよね? そういえば今度のゼンのソロ曲、またアズが提供するって言ってたね」
「そうなのよ! しかも今度はバラードらしくって!」

 むしろ私より盛り上がっている気がする。
 他のクラスメイトとも多少会話できるようになって、しばらくして一日ずっと教室で授業を受けられるようになった。それでも授業の時以外はヘッドフォンをお守り代わりで首から下げている。
 それももう少ししたらいらなくなるかもしれない。そう思えるほど、教室が怖いと感じなくなった。

 誰かと会話することが楽しいと、純粋に思えるようになると、品出し中に声をかけられる度に怯えていたアルバイトも気が楽になった。
 商品の場所を探している間でも何となくの会話で間を繋げられるのは、顔を覚えてもらえるのにも繋がる。いつかの固形石鹸を探していた女性も、「またお願いね」と言って帰っていくのを見て嬉しくなった。
 冷たい目で見ていた先輩も、ふいに目が合うと苦虫を噛んだ顔をしてどこかに行ってしまう。つい最近、レジが並んでいるのにお喋りに夢中になっていたのを店長に注意されたらしい。

 何より、何かを成し得たあとの帰り道に聴くアズの曲が、いつもより楽しみに思えて仕方がない。
 今まで自分が出来ないことばかりに共感して聴いていた曲が、今の自分で受け取るメッセージが全く異なることに気付いた。
 こんな楽しみ方があるなんて思いもしなくって、自分は間違っていなかったと内心安堵する。