「念のため言うが、ついてくるなよ」

 険しい顔で一本桜をにらみつけながら、彼は言った。

 私たちは会話をしようと思えば、おそらくできる。でも、実際にしたことはない。

 必要性を感じないから。視線の動き、息遣い、そんなものから、私は簡単に人間の心中を察することができる。

 なるほど、これから彼の妻となる女の家にあいさつに行くようだ。

 雪為は女にも結婚にもさして興味はない。ただただ面倒なイベントだと考えているらしかった。

 大門のほうから彼を呼ぶ声がする。当主が出かける準備が整ったのだろう。

 雪為はちらりとそちらに目を向けたかと思うと、吐き捨てるように言った。

「馬鹿らしい。人間などどうせ死ぬときはひとり。結婚などなんの意味がある」

 それはまるで呪詛のように、彼の足元に黒煙となってまとわりつく。

 さっと踵を返して雪為が立ち去る。私のもとに、匂いとも気配ともつかぬものを残してーー。

 あぁ、覚えがあるわ。幾度も感じた空気だもの。

 彼は長くない。命の火はもってあと数年といったところか。

 東見の当主はみな短命だ。彼の前も、その前も、もっとはるか昔も。

 莫大な財と強大な権力を維持する力は、文字どおり命を削って生み出されているのだ。