初音が屋敷に来てから一年が過ぎた。

 日の光を遮るための暗幕が引かれた小さなお堂のなかで、雪為が対峙するのは、陸軍将校の瀬村(せむら)だ。

 厳めしい大男が、今は場の空気にのまれてしまったようにオドオドと視線をさまよわせている。

 まぁ、無理もないこと。異形と対話するときの雪為は、彼自身もこの世のものではなくなっているのだから。

 地の底から響くような、低いうなり声で雪為は告げる。

「視える。あぁ、今はよい。しばらくは……よい」

 ごくりと喉を鳴らして、瀬村は尋ねる。

「し、しばらくとは具体的には?」

「そなたの命が続く間は進めばいい。だが、止まらねばならないときは、そう遠からずやってくる。子孫に伝えよ。時機を見誤るなと。さすれば、瀬村家には今以上の栄華がおとずれる」

露西亜(ロシア)との戦は進んでよい、そういうことですな?」

 最後の念押しのように瀬村はしつこく食いさがる。

 人間の顔に戻った雪為は、もう興味もないといった表情で小さくうなずいた。

 当面の指針は得られたと、瀬村は満足げな顔で東見の屋敷を出ていく。

「終わられましたか?」 

 庭の片隅にひそんでいた初音が、ひょっこり姿を現す。

「あぁ」

 雪為が答えると、彼女は小さな子どものようにパタパタと小走りで雪為に近づく。

 衣食住が整ったおかげで、初音の外見はずいぶん見られるようになった。汚れが落ちた生来の肌はなめらかで美しく、身体にも年頃の娘らしい肉がついた。
 黒目がちな瞳も、丸い唇も、おかっぱ頭も、親しみやすく愛嬌がある。