翌朝、私は家の前の薬草園にいた。こじんまりとしているが、三年かけて私が作ったものだ。ここで足りないものももちろんあるので、そういうときは山に取りに行く。
雪が積もった場所では普通、植物はその重みで枝や幹が折れ、葉が傷み、根が腐って育たない。でも、雪華国の植物はこの厳しい自然環境に順応してか、強い耐寒性と生命力を持って野生している。
「医仙」
しゃがんで竹ざるに摘んだ薬草を入れていると、後ろから青年がやってきた。
「まだ横になってなきゃ、無理は禁物よ」
立ち上がろうとしたら、それを手で制された。青年は私の隣に腰を落とし、手元を覗き込んでくる。
「それは?」
「これは多年草の『ムラサキ』。山の高い場所にある畑はひんやりしてて涼しいから、ムラサキの栽培に最適なの。この根を乾燥させたものを薬として使うのよ」
収穫したムラサキの根を見せれば、青年は興味深そうに眺め、腕まくりをした。
「……手伝う。看病の礼だ」
「え……でも、あまり外にいないほうがいいわ。病み上がりなんだし……」
「もう平気だ。お前の治療が効いたらしい」
頑として聞かない青年に根負けして、私は「そう? それじゃあ、お願い」と一緒にムラサキの根を収穫する。それから黙々と作業をしていたのだが、沈黙が気まずい。相手は口数が多そうな人ではないし、私が一方的に話しても鬱陶しいだろう。
「お前は……いくつだ」
やっと話したと思ったら……。
ムラサキの根についた雪を払い、淡々となんてことないように尋ねてくるが、いきなり女人にする質問じゃない。
「若く見えるが、いやに口調が大人びている」
「なるほど、私がおばさんみたいだと」
その能面を壊してみたい衝動に駆られ、ふざけて返せば、青年は渋い面持ちで動きを止めた。
「……お前は一回りも二回りも年上の男たちに頼りにされ、オヌフ民族のような屈強な男たちを恐れてもいない。それに少し……驚いた」
その言い訳じみた返答に、私はふふっと笑う。
「わかってるわ、あなたに悪気はないって。ただ、その無表情を崩してみたかったのよ。あなた、ちっとも笑わないから」
にっこりする私を青年は〝理解できない〟と言いたげに見ていた。
「だって、急に『お前はいくつだ』とか聞くんだもの。あなた、初めてのお見合いじゃないんだから」
青年の台詞の部分は真顔で声真似もしつつお届けした。すると、青年は少しばかりばつが悪そうに目を逸らす。
「……お前は、いつもそんななのか」
「そんなって?」
「……物怖じしないで人をからかう」
「物怖じしないって……オヌフ民族の人たちのことを言ってるなら、彼らを誤解してるわ。確かに狩猟民族なだけあって勇ましいけど、仲間思いでいい人たちよ。それと、私はだれかれ構わず人をからかってるわけじゃないわ。あなたのその眉間のしわを薄くできないものかと思っただけよ」
深いしわが刻まれた目の前の眉間を指でぐりぐりと押せば、青年は「おいっ」と微かに目を見張った。私の手首を掴んで阻止しようとする青年の額には、しっかり泥がついている。土いじりの最中だったのを失念していた。
「ぶっ……ごめんなさい、私のせいね……ふふっ」
疲弊の滲んだ顔で沈黙している青年の額を着物の袖で拭ってあげる。
「話が逸れたけど、私の年齢の話をしていたんだったわね。私は二十……十八よ」
つい、前世の年齢で答えそうになり、言い直す。精神年齢は前世の二十七歳なのだが、そんなことを話しても信じてもらえずに変人だと思われるか、村人たちのように仙女だと騒ぎ立てられるかのどちらかだ。でも、言い直したのがいけなかった。
「天雲山に住む仙人は不老不死らしいな」
青年の目がすっと細められ、なんでか探られているような気になる。
「わ……私が不老不死なら、しわに悩まなくて済むわね。寒いと肌が突っ張って、しかもカピカピになるもの」
両手で頬を押さえて笑みを作ると、青年は「あ」という顔になり、私から視線を逸らす。
「……今度は、お前の顔に泥がついている」
「……あ」
天然泥パックの出来上がり。
「これで喧嘩両成敗ね!」
「喧嘩……をした覚えはない」
「お互い様って意味よ」
青年は呆れ気味に息を吐き、まくっていた袖を伸ばすと、躊躇いがちに腕を伸ばしてくる。そして、不器用な手つきながら服の袖で私の顔をごしごしと拭いた。
「えっ、あなたの服が汚れるわよ!」
「別に構わない」
ぶっきらぼうに答える青年に、私はされるがままになっていた。
服よりも私の肌が汚れるほうが一大事だと思ってくれている……ってことよね?
気遣ってくれたんだろうけど、まったくそれが表情に出ないので戸惑ってしまう。
「こんなふうに、無意味な時間を過ごしたのは……初めてだ」
無意味って、それはひどくないかな?
そう突っ込もうと思ったのだが、青年があまりにも思いつめた様子で言うので飲み込んだ。
「で、その無意味な時間を過ごした感想は?」
「……悪くない」
ひと言感想文ね。
私は苦笑いしながらも、胸のあたりがぽかぽかと温かくなるのを感じていた。
きっと、彼はこんな平凡な日常とはかけ離れた世界にいたのかもしれない。そこから逃げてきて、ここに辿り着いたのか、なにひとつ私は知らないけれど……。
「その悪くないと思えたものは、大事にしないとね」
どういう意味だと、青年の眼差しが問いかけている。
「この広い世界で、大切だと思えるものを見つけるのは難しい。そして、それを得られたとしても、大切なものを失うのは簡単よ。どんなに強く握りしめていても、瞬きをした瞬間にこの手をすり抜けていることもあるわ」
自分の手を見つめて思い出すのは、繋いでいたはずのあの子の手の感触と温もり。自分で言っていて気づいた。私もまた、この世界で悪くないと思えたものを大事にしないといけないのだと。
「大事にしたくても……できないときは、どうすればいい」
青年の手が私の手首を掴む。その手は自分から触れてきたくせに震えていて、力が込もっていた。なんとなしにされた質問でないことは明らかだったので、私も言葉を選びながら真剣に答える。
「そのときは……その大事なものを忘れずにいる。そばに置いておけるに越したことはないけど、そうできなかったら覚えておくわ。大事だと思った気持ちを」
「……それで満足できるのか」
「できないよ? でも、それを思い出したとき、きっとつらいだけじゃなくて……私を励ましてくれると思うから」
抽象的な話だ。でも、私たちはそれぞれ大事なものを思い浮かべ、なにかの答えを探そうとしていた。
「……そうか」
青年は苦しげに眉間を寄せ、私から手を離した。
「ねえ、大丈──」
思い詰めているように見えて、『大丈夫?』と尋ねようとしたとき、「白蘭様~!」と子供の声がした。振り返りながら立ち上がれば、村の男の子が走ってくる。
「白蘭様っ、父ちゃんが……ぐすっ、父ちゃんが狩りの途中で転んで、鎌で足を切っちまったんだ! 助けて!」
私は服で手の泥を拭き取ると、泣きじゃくる男の子の頭をくしゃりと撫でた。
「泣かない、泣かない。お父さんのために、今できることをやろう」
男の子は目元をごしごしと拭い、私を強い眼差しで見上げてくる。
「わかった、僕も手伝う!」
私は「よし!」と返して、家から処置道具や薬草が入った治療箱を持ってくると、青年を振り返った。
「あなたは適当に家でくつろいでいて」
「……俺も行こう」
「え? でも、あなたは休んでいたほうが……」
「急を要するのだろう。手は多いほうがいい」
「……それも、そうね。わかったわ、無理はしないで」
昨日の今日で無理はしてほしくないのだが、そばにいないときに体調が悪化しても困る。それなら一緒にいたほうがいい。
苦渋の選択ではあるが、彼も連れて坂を下りたところにある村まで走る。