そうして気づいたら、私はこの雪華国に転生していた。
物心ついたときから転生前の記憶があったので、私の中身はやはり白井蘭のままだった。そのせいか、この世界の両親を自分の親だと思うことはできなかった。
両親も子供にしては言葉遣いが達者で、この世界の人が知らない知識を口にする私を気味悪がっていた。転生の影響なのかなんなのかは知らないが、両親とは似ても似つかない容姿で生まれたことも原因だろう。
いずれ捨てられるかもしれない。その懸念が現実になったのは十五歳になった頃だ。両親が私を妓楼(ぎろう)に売り飛ばす相談をしているのを聞いてしまった。どこぞの誰かの慰み者になるなんてまっぴらごめんだった私は、こっそり家を飛び出した。
私の看護技術はこの国では医術に相当するようで、私は治療を対価に宿を借りたり、食べ物を分けてもらったりして、できるだけ遠くへと逃げた。
そして、誰にも見つからない場所を探して辿り着いたのがこの白龍山だ。十五の少女がここまで見つからずに来られたのは、私が前世の記憶を持っていたからだろう。
でも、両親は前金を貰っていたのか、妓楼からの追手はすぐそこまで迫っていた。
宿では足がつくし、他に身を隠す場所もなく、事前に高山病予防になる薬草を摂取して山に逃げ込んだのだが、情けないことに地理がわからず私は遭難してしまった。
そんな私を助けてくれたのがオヌフ民族の族長だ。土地が空いていた村のそばに小屋まで建ててくれて、食べ物や衣服までお裾分けしてくれた。私に返せるものといったら医術しかないので、病にかかった村人たちを無償で治療して、助け合いながらなんとか生活してきた。
でも、ふとした瞬間に心がそれだけでは足りないのだと、片割れを探すように痛みを伝えてくる。どこに行くにしても、ふたりでと約束したのに、私の隣にあの子はいない。いないんだ、離れないようにと強く手を握っていたはずなのに……。
感傷に浸っているときだった。頬に温かい手が触れ、私は我に返る。目を瞬かせながら視線を落とせば、寝台に横たわっている青年がこちらを見上げていた。
そうだった、看病の途中だった。村の男たちが出て行ってから、私は青年の眠る寝台に腰かけて看病をしていたのだが、いつの間にか記憶の海に沈んでいたようだ。
「目が覚めたのね」
「雨の音が……聞こえて……」
「雨……」
吹雪対策で家の周りを覆っている葦(よし)の簾(すだれ)に、サーッと雨が当たる音がする。窓を見上げれば、朝なのに薄暗い。陰鬱で湿った空気が肌に纏わりつくのを感じた。
「お前の涙とともに……天も泣いた。それも医仙ゆえの力か?」
青年の指が私の濡れた頬を拭っていく。そこで初めて自分が泣いていたことに気づいた私は、ごまかすように笑って肩を竦めた。
「ああ、さっき村の人たちが話しているのを聞いたのね。ここの人たちは確かに私を医仙と呼ぶけれど、私にそんな力はないわ。あったとしても、雨なんて降らせない」
雨の日は決まって憂鬱になる。あの子を失ったこと、自分が生まれた世界が大きく姿を変えてしまったこと、日常が崩れ去ってしまったことを嫌でも思い出すから。
「……そうしてもらえると、助かる」
「え?」
「俺も……雨が……好きではない」
この人も、なんだ。
理由は聞かなかった。私なら、会ったばかりの人間に知られたくないと思うからだ。ただ、彼の傷が透けて見えた気がして、自分だけではないのだと少し心が軽くなった。
「……泣けるうちに、泣いておいたほうがいい。堕ちるところまで堕ちると……涙も、出なくなる」
それは……経験談?
がらんとうの瞳をいくら覗き込んでも、その心は見えない。だから私も探らない。この人に踏み込めば、うっかり自分の傷にも触れてしまいそうだったから。
「私のことよりも、今はあなた自身のことを気にかけて。できる処置はしたけど、つらい症状はない?」
どれだけ時が経とうと、新しい人生を歩み始めようと、あの子や故郷、そこにいた家族を失った痛みや孤独感は消えない。言葉にするのはつらくて、私は話を逸らした。
「身体の怠さはあるが、だいぶ楽になった……」
私が話したくないと察してくれたのか、それとも単に気づかなかっただけなのか、青年は追及してこなかった。
「それはよかった。一日、二日で落ち着くとは思うけど、これ以上高い地点に登るのはやめたほうがいいわ。それから、ここで休んでいても症状が悪くなったら下山して」
寝台から立ち上がって、私は囲炉裏(いろり)に近づく。濡らした布で吊り土鍋の蓋を開け、瓢箪(ひょうたん)をふたつに割って作った皿に玉杓子(たまじゃくし)でお粥をよそった。
「連れの人はいないの? 下山するにしても、ひとりじゃ危ないわ」
青年は質問に答えなかった。いつもそうなのか、無表情で感情がさっぱり読み取れない。身なりがいいのも、若干口調が偉そうなのも、いいとこのご子息だからと考えるのが妥当だろう。そんな名家のご子息様がこんなところに来るなんて、わけあり以外の何者でもない。
もしかして、私と同じようにやむを得ない事情で逃げてきたの?
なにも話そうとしない青年に、私はふうっと息をつき、「わかったわ」と言いながら寝台へ戻る。
「好きなだけここにいていいから」
器を差し出せば、それを受け取りながら青年は真意を探るように見つめてきた。
「なあに? 親切にされることがそんなにおかしい? 顔に書いてあるわよ、なにか裏があるんじゃないかって」
からかうように言えば、青年はわずかに目を見張り、すぐに真顔に戻る。
「俺は……顔に出ていたか?」
「うん、弱ってるから余計に繕えなくなっているのね、きっと」
それと、看護師だった頃に培った観察力や洞察力のおかげでもある。
「俺は……あまり表情豊かなほうでは……ない」
うん、それは否定しない。
とは言えないので、とりあえず笑顔でごまかしておいた。
さて、どうしたものか。この様子だと、ご飯を食べてもらうのは難しそう。
まずは不信感を解いてもらうため、私は自分の身の上話をすることにした。
「私もね、ここの村の人たちに助けてもらったの。ほら私、こんな容姿でしょう? 両親から気味悪がられてて、妓楼に売られそうになったから逃げてきてね」
興味があるのかないのか、青年は相槌もなくじっとこちらを見つめている。
無反応……やっぱり、なにを考えているのかわかりづらい人だな。
「でも、追手がすぐそばまで来てて……山に逃げ込んだら遭難しちゃって。そんな私を村の人たちが助けてくれたの。だから私は、村の人たちにしてもらったことをあなたに返してるだけ」
にこりと笑いかけ、自分の分の食事をつぐと、私は再び青年のいる寝台に腰かけた。
「食欲ないかもしれないけど、それだけはお腹に入れて? 鶏肉に消化しやすい菘(すずな)と清白(すずしろ)、血行をよくする人参に胡麻と生姜が入ってるの。身体があったかくなると思うわ」
青年は思案するように器に視線を落とし、ゆっくりと匙を口に運んだ。ひとまず食べてくれたことにほっとしていると、青年は驚いたように器を見つめて固まる。
「ど、どうしたの? 不味かった?」
「いや……味がするな、と」
「うん? 調味料を入れ忘れるようなドジは踏んでないもの、当然でしょ。いっぱい食べて、たくさん休んで。それから、これからのことを考えましょう」
私は自分の器に入っている鶏肉を青年の器に入れ、笑って見せた。
青年は無償の親切心を信じられないのか、優しくされることに慣れていないのか、他になにかあるのか、やはり無言で私を凝視していた。