◆◇
思出せない。
そのことを二品さんに告げると、彼女は信じられない、という顔をした。
「それは本当に? 実織よ、方條実織。あんなに一緒にいたじゃない。どうして忘れてしまったの」
同じことを、何度も何度も聞かれた。それでも彼女のことを思い出せない原因は分からず、この不思議な出来事に僕は動揺してばかりだった。二品さんは、何度同じことを聞いても僕が答えられないことを悟り、疲れたように肩を落として、消え入りそうな声で呟いた。
「七瀬君、どうしちゃったの……」
二品さんが眉を下げ、淋しそうな表情をしているのを見て、僕は申し訳ない気持ちで一杯になった。でも、分からない。自分ではどうすることもできなかった。
「ごめん……」
謝罪すること自体が悪いことのようにさえ思えるのに、自然と口にしてしまう自分が憎らしい。
「いえ、いいの……。そういうことって、よくあることだと思う。きっとすぐに思い出せるわ」
二品さんは自分に言い聞かせるように、空虚なまなざしで教室の床を見つめて言った。
僕は何か大切なものを落っことした。でも、彼女もまた、何かをどこかに置き忘れたのかもしれない。
それから彼女は口をつぐんで自分の席に戻っていった。その背中は確かに震えていた。彼女は席に着くと、慌てたように机の中に手を入れ、ゴソゴソと何かを探し始めた。僕はその様子を特に気にする理由もなく、自分の机の木も模様を目で辿る。二品さんが言っていた“ミオリ”という人の記憶を思い出そうとしが、その度に頭がぐらぐらして考えることができなくなった。それは、覚えていないというよりも、脳が思い出すことを拒絶しているようだった。
それからしばらく机をぼうっと眺めていると、あることが脳裏をよぎった。
——忘れたい。
ひしひしと音を立てながら、忘れていた想いが押し寄せてくる。
——全部消えてなくなってしまえばいいんだ。
「あ……」
そうだ、つい1週間前のことじゃないか。
「僕が、願ったんだな」
一人ボソッと呟く。
教室を見回しても、僕にはまだ机が一つ足りないようにしか見えない。
忘れることを願ったから、一人の人間を忘れた。そんなことが普通はあるはずがないのに、そのあり得ないことが、本当に起こってしまった。
僕が願った。
何もかも忘れることを、本心から思ってしまった。辛いから忘れたいだなんて、なんて浅はかな考えなんだろう。そんなことをして、心が救われるとでも? 前を向けるとでも? 子供じみたわがままで、周りの人を困らせている。
僕は、僕が許せない。
方條実織とは、一体どんな人なのだろう。
どんな表情をして、どんな声で、どんな性格をした女の子なんだろう。
そして、僕は彼女をどんなふうに見ていたのだろうか。
思出せない。
そのことを二品さんに告げると、彼女は信じられない、という顔をした。
「それは本当に? 実織よ、方條実織。あんなに一緒にいたじゃない。どうして忘れてしまったの」
同じことを、何度も何度も聞かれた。それでも彼女のことを思い出せない原因は分からず、この不思議な出来事に僕は動揺してばかりだった。二品さんは、何度同じことを聞いても僕が答えられないことを悟り、疲れたように肩を落として、消え入りそうな声で呟いた。
「七瀬君、どうしちゃったの……」
二品さんが眉を下げ、淋しそうな表情をしているのを見て、僕は申し訳ない気持ちで一杯になった。でも、分からない。自分ではどうすることもできなかった。
「ごめん……」
謝罪すること自体が悪いことのようにさえ思えるのに、自然と口にしてしまう自分が憎らしい。
「いえ、いいの……。そういうことって、よくあることだと思う。きっとすぐに思い出せるわ」
二品さんは自分に言い聞かせるように、空虚なまなざしで教室の床を見つめて言った。
僕は何か大切なものを落っことした。でも、彼女もまた、何かをどこかに置き忘れたのかもしれない。
それから彼女は口をつぐんで自分の席に戻っていった。その背中は確かに震えていた。彼女は席に着くと、慌てたように机の中に手を入れ、ゴソゴソと何かを探し始めた。僕はその様子を特に気にする理由もなく、自分の机の木も模様を目で辿る。二品さんが言っていた“ミオリ”という人の記憶を思い出そうとしが、その度に頭がぐらぐらして考えることができなくなった。それは、覚えていないというよりも、脳が思い出すことを拒絶しているようだった。
それからしばらく机をぼうっと眺めていると、あることが脳裏をよぎった。
——忘れたい。
ひしひしと音を立てながら、忘れていた想いが押し寄せてくる。
——全部消えてなくなってしまえばいいんだ。
「あ……」
そうだ、つい1週間前のことじゃないか。
「僕が、願ったんだな」
一人ボソッと呟く。
教室を見回しても、僕にはまだ机が一つ足りないようにしか見えない。
忘れることを願ったから、一人の人間を忘れた。そんなことが普通はあるはずがないのに、そのあり得ないことが、本当に起こってしまった。
僕が願った。
何もかも忘れることを、本心から思ってしまった。辛いから忘れたいだなんて、なんて浅はかな考えなんだろう。そんなことをして、心が救われるとでも? 前を向けるとでも? 子供じみたわがままで、周りの人を困らせている。
僕は、僕が許せない。
方條実織とは、一体どんな人なのだろう。
どんな表情をして、どんな声で、どんな性格をした女の子なんだろう。
そして、僕は彼女をどんなふうに見ていたのだろうか。



