ドアをノックしようと手をかけた瞬間。
 「私だってそんな事分かってる!!」
 凄い叫び声と何かが床に投げつけられた音が聞こえ
 次に「みのり! 」と言う声と共に祈莉のお姉さんが病室から飛び出してきてぶつかった。
 「すみません、だいじょ...」
 そこまで言いかけたがお姉さんはどこかへ走って言ってしまった。
 多分、泣いていたと思う。
 すぐにドアが閉まってしまったので良くない事と分かっていて聞き耳を立てる。
 これ以上病気が悪化するなら違う病院へ移動するのもありなんじゃないかという話だった。
 でも祈莉は嫌だと言って聞かない。
 「どうせいつか死ぬんなら最後まで楽しい気持ちでいたいの。そう思えるのがここなの」

 「梨久君がいるからかい? 」
 自分の名前が出てきてどきっとする。
 「梨久君がいると世界に色がついたように感じるの。今、私の生きる希望は梨久君なの。お願い。分かって。違う病院に行ったとしても何かが変わるわけじゃないでしょ? 原因不明なんだから。直接的な解決じゃないのに場所だけ変えて私から希望を奪わないでよ」


 祈莉の言葉を最後にだれもなにも言わなくなった。
 しばらくして「少しお互い頭を冷やそうか」と祈莉のお父さんが言って2人がこちらに近づいてきた。逃げる理由がなかったのでドアから2歩程下がって2人を待った。
 「梨久君、居たのね」
 そう言われるやいなや僕は頭を下げた。
 深く。下げた。
 「僕のせいで祈莉が、祈莉が少しでも生きられるかもしれない道を拒んでしまって申し訳ないです」
 2人は少し黙った。
 祈莉に会えなくなる。そう覚悟した。
 「頭を上げて梨久君。君のせいじゃない。ちっともね」
 「そうよ梨久君。ありがとうね。祈莉と一緒にいてくれて」
 そういう祈莉のお母さんは泣いていた。
 「さぁ、行ってあげて」
 胸が張り裂けそうだった。
 2人は祈莉に一日でも生きて欲しい、そう思ってるはずなのに。少しでも祈莉が長生きする道があるならそっちを選んで欲しいはずなのに。僕がいなければ祈莉は素直に病院を変えてそこで新しい発見があったかもしれないのに。
 祈莉の家族は今、祈莉の命と幸せ、2つを天秤にかけて苦しんでいる。
 それでも僕にはこうやって優しく接してくれた。

 1度深呼吸をしてノックをする。
 返事はない。構わずに開けた。
 「祈莉、」
 祈莉はこちらを向かずに「梨久君? 」と尋ねてきた。
 「うん。そうだよ」
 「また2週間会えないよ。検査だって。あんまり病状、良くなくて」
 いつもと違う。
 静かで今にも消えそうな声。
 ゆっくりとこちらを振り返る。
 祈莉は笑っていた。明らかに貼り付けた笑顔でこう言った。
 「笑っちゃうよね。眼の病気で死ぬなんて」
 祈莉に笑って欲しかった。
 心の底からちゃんと。
 どうしたら笑ってくれる? 
 考えるより先に勝手に口から言葉がこぼれた。
 「検査の間も点字、送ってよ。僕楽しみにしてるから。高校生の夏休みの事も沢山教えるから。祈莉はちょっと手間が増えちゃうかもしれないけどさ。沢山連絡とろうよ。祈莉のペースでいいから。僕に沢山、教えてよ」
 こんなちょっとキザっぽいセリフ、言ってから顔が熱くなるのを感じる。
 でも眼は逸らさない。真っ直ぐ見てそう言った。

 「私のペースに着いてこれるかな? 」
 笑っていた。
 「こっちのセリフだ」

 病院を出てすぐスマホが鳴った。

 『⠁⠓⠐⠡⠞⠉』

 「ありがとう」