「靴、それに履き替えていいよ」

 車の助手席に乗り込むと、那央くんがシートの足元に置いた女性用サイズの黒のサンダルを指さした。

「那央くんて、誰かと一緒に住んでる?」
「いや、一人暮らしだけど」

 おそらく数回は履かれていると思われるサンダルを見つめたあと、フロントガラスの向こうの三階建てのマンションを見遣る。

「じゃぁ、通い妻がいるんだ」

 そろそろとパンプスを脱ぎながらボソッとつぶやくと、ドリンクホルダーから取り出したお茶を飲んでいた那央くんが、咽せて咳き込んだ。

「岩瀬、急に何言いだす……」

 手の甲で口元を拭う那央くんが、わかりやすく動揺を見せる。

「だって、このサンダル彼女のでしょ」
「余計な詮索禁止」
「彼女のだとしたら、わたしが使ったりして嫌がらない?」

 サンダルに足を入れる前に確認すると、那央くんが呆れ顔で笑った。

「生徒にちょっと貸したくらいで、そんなガキみたいなこと言わないよ」
「悪かったですね、ガキで。ていうか、彼女の存在は認めるんだ? うちの学校の過半数の女子が泣いちゃうね」
「そんなわけないだろ。大人を揶揄うなら、海には連れて行かねーぞ」

 不機嫌そうにお茶のペットボトルをドリンクホルダーに戻す那央くんの横顔を見ているうちに、笑い声が漏れそうになる。