「那央くん、電話した? どうしたの?」
通話ボタンを押した瞬間、電話口から聞こえてきた彼女の声は、なんだかやけに興奮気味だ。
「どうした、っていうか……、別にたいした用ではないんだけど。帰宅途中に、夕立に降られちゃって」
「え、大丈夫? 室内にいて気付かなかった」
「予備校? 邪魔して悪い。切ってもいいよ」
「え、切らないで! 今、夏期講習終わったとこだから」
タイミングが悪かったな、と思って通話を終わらせようとすると、彼女がやや鼻息荒く引き止めてくる。
「そうなんだ。おつかれさま」
おれがそう言うと、彼女が今度はふふふっと機嫌よさそうに笑う。
「どうした?」
「うぅん。那央くんがわたしのこと頼って電話かけてきてくれたのが、嬉しいなって」
弾む声を聞いただけで、彼女が今どんな顔をしているのかが想像できて、勝手に口元が緩んだ。
「それより、那央くん今どこ? わたし、行こうか?」
通話しながら階段を降りているのか、彼女の足音が通話口からカンカンと響いてくる。
「いや、そう簡単に来れる場所じゃないんだ。今、高速のサービスエリアの駐車場」
「え、那央くん、どこか遠くまで出かけてたの?」
「うん、夏休みだし、今日は出勤日じゃないから」
「そうなんだ……。ねぇ、こっち、雨なんて降ってないよ。那央くん、本当に帰ってこれる?」
心配そうに訊ねてくる彼女の声のトーンが下がる。
「平気。助手席にクゥー乗ってるし」
腕に抱いたテディベアをぎゅーっと押し潰しながらそう言うと、彼女が電話口でふっと笑った。
「そっか。少しは役に立った?」
「うん、まぁまぁ」
「まぁまぁ、ってなに?」
笑ったり、拗ねてみたり、ころころと反応を変える彼女の声が、耳に優しく心地よい。ふと、フロントガラスに視線を向けると、いつのまにか雨がやんでいた。東の空には少し晴れ間が見えている。