「何?」
「別に」
「岩瀬、お前も今年は受験生だろ。ここに入り浸ってないで、ちゃんと勉強しろよ。おれはもうここからいなくなるんだから、去年の三年のときみたいな補講はできないからな」
目をすがめた那央くんが、真面目に説教じみたことを言ってくる。
怒ってても、綺麗な顔してるな。ぼんやりと那央くんの言葉を聞き流していたら、呆れ顔の彼がため息を吐いた。
「それに、せっかくの春休みだろ。用もないのに頻繁に学校来なくてもいいのに」
理解不能だ、とでも言いたげに肩をすくめる那央くんの目をジッと見つめ返してから、窓の向こうに視線を向ける。
「だって今日、雨だったから。那央くんが震えてるんじゃないかと思って」
「震えてないよ。雨の運転が少し苦手なだけ」
「だからだよ。今日は絶対に荷物を運ばなきゃいけないから、車でしょ」
視線を戻すと、那央くんが目を伏せて苦笑いした。
もともと一年間の期間限定でうちの高校の非常勤講師を勤めていた那央くんは、来週から別の学校に行くことになっている。大学院の研究室に戻るという選択肢もあったらしいが、並行して県内の私立高校の採用試験も受けていたらしく。そこで、化学の教師としての採用が決まったそうだ。
うちの高校の非常勤としての契約も昨日で終わり、今日は片付けた荷物を化学準備室から運び出す日だ。春休みに入ってからも、事務作業を済ませに学校に来ていた那央くんの元に通っていたわたしは、今日が那央くんが化学準備室に来る最終日だということを知っていた。
最終日になる今日は、午前中は雨予報で。それを見越した那央くんは、前日に、学校の駐車場に車を置いて帰っていた。天気予報どおり、朝目を覚ますと雨が降っていたから、それを口実に那央くんに会いにきたけど……。
もし雨じゃなくても、わたしは彼に会うためにここに来ていたと思う。