「ちょっと待ってて。仕事用のカバンだけ部屋に置いてくる」

 駐車場に車を停めたあと、那央くんがマンションのエントランスの前でそう言った。

 雨が降っているとき、わたしたちはまず那央くんのマンションまで車で帰ってくる。そこから最寄りの駅までは、那央くんが徒歩でわたしを送ってくれる。

 那央くんがエントランスの鍵をカバンから取り出すのを黙って見ていると、突然、内側からドアが開いた。

「那央っ!?」

 中から出てきた人が大声で那央くんを呼んだから、驚いてドキッとする。わたしの隣で同じように肩をビクつかせた那央くんは、エントランスのドアの向こうから出てきた人物の顔を見て動きを止めた。

夏乃(なつの)……」

 那央くんが、ボソリとつぶやく。わたし達の前に立っていたのは、那央くんの彼女だった。

 夏乃さん、というのか。遠目から数回見かけて綺麗だな、と思った彼女は、至近距離だとより一層綺麗に見えた。

 仕事帰りなのか、膝丈のネイビーのスカートにベージュのジャケットを羽織った彼女は、前に駅のロータリーで見かけたときよりもきちんと畏まっていて。那央くんの部屋で見た写真の中の彼女よりも随分と大人っぽい。

 だけど、形の良い眉を寄せて、那央くんに鋭い眼差しを向けている彼女の顔は、写真で見た印象よりもキツくて気が強そうだ。

「来るなら連絡くれたらよかったのに」

 那央くんが、少し張り詰めた場の空気を和らげるように、ヘラッと笑う。

 でも、その態度は逆効果だったらしい。夏乃さんは那央くんを見つめる()の光を鋭くするばかりだ。