「今日も歌ってあげようか?」

 カバンからスマホを取り出して、わたしの好きな男性アーティストのバラードを流す。

 短いイントロのあとに流れてくる歌声に合わせて歌い出そうとすると、那央くんがクッと吹き出した。

「前も思ったけど、岩瀬って意外に歌下手だよな」
「耳障りだった? 余計気が散る?」

 慌ててスマホの音量を下げると、那央くんがククッと笑いながら、ギアをドライブに入れ替える。

「いや、大丈夫。その、絶妙な下手さ具合がちょうどいい」
「なにそれ」

 ムッと頬を膨らませると、那央くんが左手を伸ばしてわたしの頭をグシャリと撫でてきた。

「好きなように歌ってて。岩瀬の歌ってる声、なんか落ち着く」

 那央くんの左手がハンドルに移動しても、わたしの頭にはいつまでも触れられた余韻が残る。

「ずるいな、ほんともう」

 那央くんがゆっくりと慎重に車を発進させるのを待ってから、わたしは口の中で小さくつぶやいた。